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野良本Vol.54 蜜蜂と遠雷 / 恩田 陸

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蜂蜜とロングバケーション(蜜蜂と遠雷を読んで)

二十歳のころ、東京でピアノを習い始めた。山口智子とキムタクのドラマ「ロングバケーション」にまんまと感化されたクチである。東京に住んでピアノを習えば、ドラマみたいな生活が送れると思ったらしい。

なんと愚かなんだ、当時の私は。もちろん、「せーなくーん!」と年上の女性に呼ばれることもなければ、小洒落たマンションの3階からスーパーボールを落としてキャッチすることもないし、夜の道を散歩しながら「夜の空気が夏だね」なんて言われることもないので仕方がないから自分でそのセリフを言った。

ピアノは1年くらい習っただろうか。小田急線の経堂駅の近くのYAMAHAだった。その成果は、ロンバケでも流れた曲「close to you」を弾けるようになったことくらいで、それから数年して私は水戸に舞い戻った。

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水戸に戻ってきて、IT関係の職に就こうと頑張ったが雇ってもらえず。せっかくシスアド(初級)取ったのにさ、初シスくらいじゃ認めてもらえないという厳しい現実を目の当たりにし、小さくて怪しげな広告代理店で働くことになる。

広告代理店で働きだして数日経ったころに、少し前に面接を受けていたIT企業から「もしよろしければうちで働いてみない?」と遅い合格通知が来る。遅いんだよ、遅すぎるんだよ。落ちたと思っていたじゃんよ。こちとら既にちっぽけで怪しげな広告代理店で、朝の掃除をやっているところなんだよ。私はIT企業の誘いを断り、そのまま広告代理店で働いた。

今思えば、ここが人生の分岐点だったかもしれない。あの時、違う道を選んでいれば、今頃は……過労死していたかもしれないし、年収が倍になっていたかもしれない。もっとも、その広告代理店でも過労死寸前の働き方をしていたけれど、まぁ、今から20年以上も前のことで、ましてや広告業界だったから、そんな労働環境は当たり前だったのだけれど。

で、その広告代理店で働いていた時に、後からピアノ好きの年上の女性が入ってきて「一緒にピアノ習おうよ」と言われてまたしてもピアノ教室に通うことになる。当時、23、4歳くらいだったか。仕事が忙しすぎて、ろくに通えずに辞めてしまったが。

ピアノのドラマといえばロンバケであるが、ピアノの漫画といえば、「のだめ」である。二ノ宮和子の大ヒット漫画「のだめカンタービレ」。ドラマ化もされて上野樹里と玉木宏がハマり役だった。この漫画も好きすぎて、何度も何度も読み返している。笑える音大編は至高。パリ編はクラシックの教養が得られて別の面白さがある。

さて、本題に。恩田陸の直木賞受賞作「蜜蜂と遠雷」は、日本の架空の町で開催される1つのピアノコンクールを最初から最後まで描いた長編小説だ。これでもか、と言わんばかりにコンクールをひたすら描いているのが潔い。一つのコンテンツを事細かく描くのは、恩田陸様だからなせる業だろう。「夜のピクニック」でも、ひたすら歩く会のことを書いて、それであれだけ面白い作品になって世間に認められるのだから、本当にすごい。

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文章はいたってシンプルで読みやすく、簡単な言葉だけで書いているのにな。でも、言葉の使い方がやはり特徴的というか、漫画的というか、詩的というか、なんというか。強調するのに、同じ言葉を続けて使う。それは、まるで歌っているかのよう。そう、歌詞みたいに言葉が紡がれている。また、文章が話し言葉に近いから、日常に近い言葉だから、物語の世界に引きずり込まれてしまう、というのもある。

「蜜蜂と遠雷」は、一人の異端児(養蜂家の息子でありながら、世界的なピアニストに師事する少年)と、元・天才ピアノ少女(現・音大生)、楽器屋で働くもピアニストという夢を諦めきれないサラリーマン、ピアノ界の若き王子様がそれぞれの視点(3人称だけれど)でコンクールに挑む姿が描かれる群像劇。

ストーリー自体に「あっ」と思わせるような仕掛けはないのだけれど、ピアノ演奏時の描写がすごい。ピアノの曲を、音楽を、様々な形で文章化している。歴史、旅、過去といった様々な世界を書くことで、ピアノの演奏を表現している。

読んでいるとピアノの音色が聴こえてくるようだ……といっても、私が知っているクラシックの曲なんてたかが知れているので、読みながらYouTubeで描かれている曲を流すなどして、バルトークやらラフマニノフやらサン=サーンスのアフリカ幻想曲やらを聴きなら読むと、物語の世界により深く、深く入り込んでいけるのが面白かった。

ただし、クラシックの曲というのは2分や3分で終わるものはなく、けっこう長い時間演奏をしているので、読むスピードと釣り合わないのだけれど。そんな凄まじい描写をコンクール中、物語が終わるまで丁寧に描いている。曲の描写だけで、本の半分くらいは費やしているのではなかろうか。

読み進めていくと、当然コンクールは1次予選、2次予選、3次予選と進んでいく。そのうちに、登場するコンテスタントに「推し」が出てくる。私の一押しは、養蜂家の息子だった。次点で元天才ピアノ少女とサラリーマン。王子様は正直どうでもよかった。養蜂家の息子がコンクールの優勝を獲ってほしい!と願いながら読んでいた。もはや子どものような読み方である。

けれど、応援していたのはコンクールだけではない。物語の中で密に進行していく元・天才ピアノ少女の奪い合い(飛躍した想像)である。王子様と元天才ピアノ少女が付き合いそうな感じがどうにも嫌で、養蜂家の息子とくっつけよ!と願っていた。もしくは、サラリーマンと元天才ピアノ少女が付き合う展開なんてのも、意外性があってよかったのでは。サラリーマンは妻子がいるから、ドロドロの展開になるけれど。

養蜂家といえば、思い出したことがある。私はかつて、養蜂家の手伝いをしたことがある。1日だけ。

友人の友人に養蜂家がいて、「バイトを募集しているけどどう?」と誘われたので、ノッた。そのバイトというのが、北海道から運ばれてきた蜜蜂をトラックから降ろして運ぶ作業。北海道の冬は寒すぎて蜜蜂が冬を越せないから、冬が始まる前に茨城県まで運び、茨城で越冬させるのだ。巣箱に入った状態で運ぶので、なかなか重くてけっこうな重労働であったのを覚えている。しかも、作業は夜だった。過酷だったけれど、いいお金になった気がする。確か3,4時間働いて1万円くらいもらえたような。

蜜蜂といえば、メロン農家のもとで働いていた頃、蜜蜂に刺されたことがある。メロンの花に受粉させるために、メロン農家では蜜蜂をレンタルしていた。受粉の時期になるとビニールハウス内に巣箱が置かれ、ハウス内に蜜蜂が飛び交う。私はその中で農作業をした。

蜜蜂はこちらからちょっかいを出さなければ、まず襲ってこない。だから、周囲をぶんぶん飛び回っていても、まるで怖くない。怖いどころか、その小さくてモフモフっとた感じが可愛らしくすら思えた。

作業中に腹のあたりがチクりとしたので、服をめくりあげて見てみると、そこには一匹の蜜蜂がいた。蜜蜂はすでに死んでいて、刺された腹をよく見るとトゲのようなものが刺さっていた。蜜蜂は針で人を刺すと死んでしまうのだ。刺されてもそれほど痛くなかったので、刺した蜜蜂を責めるどころか悪いことをしたと思った。

秋口のころだったろうか。役目を終えて畑の隅っこの方に置かれた蜜蜂の巣箱に、スズメバチが襲来する。数匹で巣箱を襲うスズメバチ。必死に抗う蜜蜂だが、成すすべなく殺されていく。

農家のおじいさんは、蜜蜂に加勢する。ほうきを手に取り、こら!このやろ!とスズメバチを叩き落としていった。

恐るべし、農家のおやじ。スズメバチを恐れることなく、ほうきで立ち向かうとは。

ひょうきんで豪気なおじいさんであったが、数年前に亡くなってしまった。タバコの吸いすぎで、肺気腫になってしまったらしい。

先日の古内茶庭先カフェで、私が蜜蜂の巣箱を移動するバイトをした養蜂家の蜂蜜が売られていた。巣箱を運んだ当時の記憶(つらい夜間の重労働)が呼び起された。蜜蜂のように可愛らしい奥様が販売していたので、見栄を張って高い方の蜂蜜(アカシア)を買ってしまった。買った蜂蜜を家に帰ってぺろりと舐める。甘くておいしかった。

蜂蜜を舐めて思い出したことがある。それは、「蜜蜂と遠雷」のことを長らく「蜂蜜と遠雷」と勘違いしていたこと。本屋の棚から本を抜き取る時に、ようやくその間違いに気が付いた。

もし、この本のタイトルが本当に「蜂蜜と遠雷」だったら。その内容はきっと、妻子あるサラリーマンと元天才ピアノ少女の蜂蜜のように甘く、ドロっとしたラブストーリーだったに違いない。

そのようなイケない妄想ばかりが働いてしまうのは、きっと疲れているからだ。どうやら私には、長い休暇(ロングバケーション)が必要なようだ。

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