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野良本(1)茄子 / 黒田硫黄

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私が農業をやるきっかけになった漫画・茄子 / 黒田硫黄

「野良の合間に本読みしてえんだよ」

それは、私が33歳になったばかりの頃だった。メディアに関わる仕事をずっとしてきた私は、いろいろあってすっかり業界に嫌気が差していた。

(もうやだ、この業界…。もっと健全な精神で働きたい!)

という、今思えば叶いもしない夢を抱き、勤めていた会社を退職した。その時に、私の心を強く揺さぶったのが↑の「野良の合間に本読みしてえんだよ」という漫画のセリフだった。

このセリフを言った人物は、メガネをかけた中年男性。地元の人からは「センセ」と呼ばれている。

農作業の合間に軽トラの荷台に腰をかけ、洋書を読んでいる最中、「センセは野良かね。それとも本読みかね」と尋ねられても、読書に集中していて耳に入ってない様子。センセこと高間は、あとで声をかけらえたことに気付くが、その時にはすでに声をかけた人物はいない。

「また変人みたく言われるな」農作業から自宅へ帰る車の中で、ひとりごちる高間。

「野良の合間に本読みしてえんだよ」

その時のセリフが、このセリフだった。

農作業の合間に、軽トラの荷台で本を読む(しかも、洋書!)という、ミスマッチ加減がたまらなくかっこうよく思えた。この僅か1ページ足らずのシーンに、私はヤラレた。

お日様のしたで野良仕事をして体を動かし、いい汗をかいたあとに好きな本を読みながら一休みなんて、スポーティでナチュラルでインテリジェンスな感じがする。

ものすごく、よいではないか! 何かこう、オーガニックでインテリジェンスな生活臭が漂い、加えてオシャレではないか! 農家の後継者や農業従事者が不足しているという状況を考えると、農家で働くことは容易に思えた。

しかも、その頃から農業生産法人なるものが発足し、農家でなくても社員として農業ができるようになってきていた。そのような追い風もあって、「農業ならやれる!」と思いっ切り勘違いしたのだった。

農業を始める前には学校にも通った。

学校でのオリエンテーションの最中に、

「農業をやるきっかけは、漫画です。茄子という漫画のセリフで『野良の合間に本読みしたい』というセリフがありまして、そんな生活がしたいと思い…」

と堂々と皆の前で発表したことが、今となっては顔から火が出るほど恥ずかしく、また愛おしい思い出である。

その後の私はというと、2年間農業を続けたのちに「やっぱり普通の会社員がいい」と思い農業をやめてしまった。結局、普通の会社員になることも難しいと悟り、今は変な会社員として生きている。

野良の合間に、軽トラの荷台で洋書を読むことはできなかったが、

営業の合間に、軽自動車の運転席を倒してスマホの画面を眺めることで満足することにした。

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茄子をテーマにしたオムニバス漫画。その名も「茄子」

さて、この漫画のタイトルは「茄子」という。おはなしの舞台や主人公が度々入れ替わり、どの話にも茄子が登場する(主人公は茄子?)。

舞台は、現代の日本の田舎、現代の日本の市街地、現代のスペイン、江戸時代、未来(?)と様々であり、主人公も中年男性〜女子高生と幅広い。

茄子の調理法なども時折挿入され、レシピ漫画という裏の顔も持つ。おはなしのひとつである「アンダルシアの夏」があのスタジオジブリによって映画化もされたことは、黒田ファンにとっては誉な出来事だ。

本作は、全編を通して持つ「気だるさ」がたまらない。これは、茄子に限らず、黒田作品全般に言えることかもしれないが、基本的にやる気がない。何かを目指して努力している感じが、ほとんどの登場人物から感じられない。

この気だるさが、妙にリアルを描いているように思える。こんな風に「人生だるーっ!」と感じながら生きている人は、案外多いのではないだろうか。共感できてしまうということは、私もそうなのかもしれない。

世捨て人というか、落伍者というか、そんな人たちばかりが登場し、日常に起こったちょっとした出来事(時として大それた出来事)がおはなしの核になっている漫画だ。

大きな展開でも、大してシリアスにならない。主人公たちは、どこか客観的な視点で出来事を見つめ、慌てているようで慌てていない。

気だるい人々は、度々はっとするようなセリフを吐き合う。

先に挙げた「野良の合間に本読みしてえんだよ」もその一つである。

他にも、

「たかがメンドクサイにえらそうにゴタク並べんな」
(高間センセが家出少年に説教)

「俺はさ、君のファンだから」
(高間センセと大西さんのオトナなやり取りの中で)

「宝ってのは、埋もれてるから宝のような気がするんだな、きっと」
……中略
「ロマンチストとは、自分以外はばかだと思っている奴か」

「いや、昼間っから酒食らってる奴のことだろうな。ロマン補充すっか」
(高間とその旧友とのやりとり)

「借りて返さない人は悪人ですよ。返すって言うから貸すのに。こっちはハゲますよ」
(借金取のセリフ)

「誰かが見舞いに来てくれたと思ったら、熊だったんだよ」
(高間、熊に襲われて)

「海川さんはどうして帰らないんですか」
「帰るさ。旅が終われば。まだ途中だ。それだけ」
(有野と海川さんのやりとり。インドにて)

「考えるほどにわからなくなる。若隠居って何だろう」
(有野、インドにて。大人の階段を登る)

以上、「茄子」からの引用

などなど、名ゼリフ&名シーンが満載だ。もっとも、その名ゼリフや名シーンたちも、黒田硫黄の味のあるイラストに添えられているからこそである。

しかし、いかに名ゼリフだからといって、私のように人生を大幅に路線変更する時のきっかけにするのは、いかがなものか。

本の詳細

タイトル / 茄子(全3巻)

著者 / 黒田硫黄

出版社 / 講談社(アフタヌーンKC) 

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