高萩さんの、城里暮らし(2025/11/08)

高萩さんの田んぼに行くと、夏の初め(6月下旬)に植えた稲が、まだ3/4ほど刈られずに残っていた。
「葉が枯れてから刈り取ろうと思っています。葉としての役目を終えてから収穫、というわけです。本当は”おだがけ”をやろうと思っていましたが、聞くところによるとけっこうな手間がかかるそうなので、植えたまま乾燥させてしまおうかと」
驚いた。もう11月だというのに。そんな米の栽培があるものなのか。
「初雪が降る頃に収穫する、という栽培をしている方もいるようです。完熟雪見米といって、冬の寒さの中において完熟させることで、糖分が蓄積されて甘くなる、らしいですね」

「なるほど」と高萩さんの話に頷きつつ、「カマキリの卵があるよ!」「カタツムリがいるよ!」と高萩家の長男・宗ちゃんが仕切りに声をかけてくるので、それにも「本当だね」「すごいね」と相槌を打つ。
その日の取材では、常に宗ちゃんが一緒だった。宗ちゃんは、私の来訪を心待ちにしていたとのことで、なんだか嬉しい気持ちになる。私も精一杯遊んでやらねばなるまい。片や、高萩さんも一生懸命に栽培について説明してくれるので、こちらも一生懸命に聞かねばなるまい。
日頃のマルチタスクの苦行が、こんな時に生かされるとは。思わぬ副産物ではあるが、タスクを課してくる上司に感謝をするつもりはない。

「実は、草取りを一度もしていないんですよ」
と自慢げに高萩さんが言う。
その割には、田んぼに草が生えていない。少しは生えているけれど、どれもか細い草ばかり。稲のほうが力強く生えている。
苗を植えたのが6月下旬。その時すでに大きく育っていた苗は、草に負けることなく、むしろ大勝!といった感じで、草取りをしなくても農薬を撒かなくても、問題なく収穫できるほどに育ってくれたようだ。高萩さんの大苗定植テストは大成功といったところか。

「倒伏もなく、順調に育ってくれました」
今年、茨城県にはひどい台風が来なかったのもあるが、局地的なゲリラ雷雨はあった。高萩さんの田んぼの稲は、その暴風暴雨には耐えることができた。私の知り合いの田んぼでは、コシヒカリが倒れていた。作っている場所の違いはあるが、ひょっとしたらこの「イセヒカリ」は倒伏に強いと言えるのかもしれない。
「イセヒカリは作り手によって味が変わる、なんて言われているようです」
なんだかマニア仕様な品種ですね、と言ったら「そうかもしれませんね。実際にマニアックな品種ですよね」と高萩さんは笑った。
イセヒカリのすぐ隣には、マコモダケが植えられていた。
「収穫適期は過ぎていますが」
少しだけ残ったマコモダケを写真に撮って、田んぼから上がると「今日、栗林を借りたんです。見に行きませんか?」と誘われたので高萩さんの栗林を見学に行く。

栗林は高萩さんの家と田んぼからすぐの場所にあったので、歩いていくことにした。宗ちゃんは三輪車に乗って我々についてきた。三輪車には後部車輪のところに持ち手が付いていて、それをひねると前輪も同方向に曲がる仕組みになっている。大人が持ち手を操作することで、子どもの危なっかしい運転を制御できるわけだ。
アスパラガスのハウスの前を通ると、ハウスの中は草木で溢れかえりそうになっていて、それは外から見てもわかるほどだった。
高萩さんに聞くと、アスパラの栽培はやめたとのこと。もう木の力がだいぶ弱ってしまっているらしい。アスパラは私が高萩さんと出会った頃から栽培していた品目だったので、少し悲しい気持ちになった。
「今は多品目栽培ですね」
そのように言う高萩さんの顔は、私の悲しい気持ちとは裏腹に楽しそうな表情だった。私が高萩さんと出会った頃、高萩さんは脱サラしてひとり農家としてアスパラガスをメインに栽培していた。
当時、ちょっとした流行だった「ひとり農家」という言葉通りの生活をしている人が身近にいる、ということに偉く興奮した私は、高萩さんを取材して「書く」ことにした。
それから10年以上の月日が流れ、ひとりだった高萩さんは今、長男の運転する三輪車を支えて歩いている。家には妻がいて、幼い双子もいる。
高萩さんの生活はだいぶ変化した。それとともに、作る野菜が変化しても不思議ではない、むしろ、必要に応じて変化するのは至って自然なことなのだろう。

道路を渡ると、向こうから子ども連れの女性が歩いてきた。子どもは宗ちゃんよりも少し大きく、三輪車ではなく補助輪付きの自転車に乗っている。
その姿を発見して、何やら宗ちゃんが叫んでいる。挨拶のような言葉だったと思う。いろいろと喋る子どもなので何と発していたのかよく覚えていないが、とにかく元気に大声で。高萩さんは母親の方と軽く話している。近所の人なのだろう、子どもを連れて散歩していたのだろう。
続いて、犬を連れた老婦人がやってきて、「あー○○ちゃん(犬の名前)!」と宗ちゃんがまた叫ぶ。高萩さんは今度はそのおばあちゃんとお話をする。
このほんのひとときの間に、高萩さんの暮らしの断片を見ることができた気がして、ほっこりとした。

「今日借りたばかり」という栗林の中を散策して、落ちている栗の中からまだ食べられそうな栗を拾った(地主に許可は得ている)。宗ちゃんが誇らしげに私に栗を渡してくるので、私はそれをズボンのポケットに仕舞う。その遊びに飽きると、今度は栗の他に落ちている緑の豆のようなものを拾い、父親(高萩さん)に投げつけ「ニシシシ!」と笑う。

帰りは私が宗ちゃんの三輪車の補助をする。宗ちゃんは栗林で拾ってきた木の枝を振り回し、剣を持った騎士にでもなったかのようだ。途端、「ズドドド!」と声を上げる。
なにそれ、剣じゃなかったの?
と問うと、「違うよ、銃だよ」と言う。銃とか剣とか、物騒な言葉と物をいったいどこで覚えてくるのやら。
「幼稚園の友達から学んでくるようですね」と高萩さん。
そうだよな、子どもって親以外から勝手に学んでくるものだよな、その知らぬ間の成長に、親は驚かされ、喜ばされる。
高萩家と栗林間の短い散歩を終えると、高萩さんは持ち運びできる小さなかまどを一つ持ってきて、薪を割ってそれをくべて、鍋をおいて水を入れて、火をつけて湯を沸かす。

高萩さんが作業中、私は宗ちゃんの子守を勤める。
「見てこれ! HITACHIの重機だよ」「この飛行機、ものすごく飛ぶんだよ」などといろいろなおもちゃを持ってきては見せてくれる。ヒタチとか重機とか、どこで覚えてくるんだ? さすがに幼稚園児は知らないだろう。となると、高萩さんか。
続いて「この銃はね、火炎放射器なんだよ」「刀もあるんだよ」と言って、おもちゃの武器を持ってきては、私に攻撃をしかけてきた。
時折反撃を試みつつも、最終的にはやられ役となる。
やんちゃですよね、宗ちゃん。どちらに似たんでしょうか。
家から双子の妹の方を連れて出てきた高萩さんの奥さんに尋ねてみる。
「かっちゃん(高萩さん)のお母さんが言うには、聞き分けの良い子だったって言ってましたよ」
だとすると。
「私ですかね。けっこう活発な方だったと思うので」
やはり、そうだろうな、と納得した。

そうこうしてる間に、高萩さんはすっかりBBQの準備を整えた。火のついたかまどで栗をゆで、椅子とテーブルが並べられ、テーブルには温かいお茶とお菓子が置かれていた。
なんかすみません。何も手伝っていないです。
「いえいえ。遊んでいただいてありがとうございます。じゃあ、お茶にしましょうか」
高萩家の栗BBQが始まった。火の周りを駆け回る子どもたち、大人たちはそれを見守りながら、時折子どもが火に近づき過ぎるのを制して、おしゃべりを楽しみ、お茶を飲む。
拾ってきた栗は高萩さんが2つに割ってくれて、スプーンで掬ってそれを食べた。なんと言うか、素朴な味わい。「甘い!」というわけでは決してなく、かといって無味なわけでもなく、少しだけ甘くて、あとはそっけない感じの味がした。
互いの近況を話しているうちに、あっという間に日が暮れて、17時を知らせる音楽が流れる。
なんかいいっすねぇ、こういうの。
飛行機が過ぎ去った空を見上げて、思わず言葉が漏れた。
家族と一緒に家の庭で、拾ってきた栗を茹でて、皆で食べる。高萩さんにとっては何気ない、ささやかな日常の1コマであるのだろうが、私にとっては、飛び切りの非日常であった。
「また遊びに来てください。今日は子守をありがとうございました」
高萩さんはいつもどおりの穏やかな声で、そう言ってくれた。
いえいえ、いつも仕事で部屋に”籠もり”気味なので、外での”子守り”は良い気晴らしになりました。
〈わたし〉からはじめる地方論――縮小しても豊かな「自律対話型社会」へ向けて (土着のイノベーション)

