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野良本 Vol.46 カボチャの冒険 / 五十嵐大介

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自然豊かな農村で猫と暮らす、という妄想に浸れる漫画

新入りの野良猫。この子もかわいい。

猫の本」でも書いたけれど、最近野良猫がうちに来る。餌の時間になると野良が数匹やってきて、玄関前に居座る。寝そべって餌が出てくるのを待つ猫もいる。

「図々しい猫ね」

同居している母が言う。仕方なくパンをやるが、見向きもしない。長男坊が面白がって鶏肉や豚肉を猫にあげているうちに、舌が肥えてしまったようだ。

肉をやらずに放っておくと、もらえるまで居座る。玄関前に居座り「肉だ、肉をよこせ」と目で訴えてくる猫もいる。または、かわいらしくニャァと鳴いて、肉を求める猫もいる。いじらしい。なんといじらしい行為をするのだ、猫という生き物は。

野良猫群の中で、最近のお気に入りが白猫(尾の先っぽだけが黒い)とキジトラだ。二匹とも、顔がいい。猫らしい顔をしている。

「べっぴんさんだね」と私はこの二匹の猫を褒め称える。

雄だか雌だかわからないが、顔つきがかわいらしいから何となく雌と判断している。この二匹は、最近とても毛並が美しくなった。野良猫とは思えないほどにキレイである。加えて、身体つきもふっくらしてきた(たぶん、いや間違いなく、うちがあげている餌=肉が影響していると思う)。以前から白猫(シロちゃんという)の顔はかわいいと思っていたが、毛並は汚かったし、痩せていていかにも野良猫たる風貌をしていた。キジトラはシロちゃんよりもふっくらしていて、でんとしているところがある。

シロちゃんとキジトラは仲が良いようで、同じ時間に餌をもらいに来る。シロちゃんの天敵は黒猫で、シロちゃんが餌を食べているところに黒猫がやってきて、シロちゃんを追い出してしまう。シロちゃんと同じく身体が白い猫もいる。この猫は白がベースだが、顔や体に黒が多く混じっているから「シロクロ」と呼ばれている。色はシロちゃんと似ているが、顔つきがちょっとキツイ。体も少しやせ細っていて、野良猫らしい野性味もある。最近では灰色をした猫もやってくるようになって(写真)、この猫は身体がまだ小さいから若い猫なのだろう。「なーなーなー」とよく鳴く猫で、「何か人の言葉をしゃべっているみたい」と嫁氏と長男が喜んでいる。ちなみにこの猫もべっぴんさんで、毛並も美しい。シロちゃんに次ぐかわいらしさだ。でも、やっぱりシロちゃんが一番。他の猫にはない、気品があるんだよな、野良猫なのに。

「シロちゃんだったら、飼ってもいいな」

あまりのかわいらしさに思わずそのようにこぼすと。

「ダメだよ」

嫁氏に釘を刺される。何故ならば、嫁と次男が猫アレルギーだから。

いや、それはわかってるよ、わかってはいるけれどどうにかしてこの可愛らしいシロちゃんを我が家で飼ってみたい。でも、それは叶わぬ夢。どれくらい叶わないかというと、私の書いたブログが世間に評価されて書籍化するくらい。もしくは憧れの麻生久美子氏といけないロマンスをするくらい。

はぁ。夜中、自室の椅子に座り、現実の厳しさに溜め息ひとつ。ぼんやりと書棚を眺めていると「カボチャの冒険」が目に入り、手に取った。だいぶ昔に買った本だ。当時は五十嵐大介にハマって、「怪獣の子供」やら「リトル・フォレスト」やら「はなしっぱなし」やら「魔女」を読んでいたっけ。

久しぶりに読んでみると、カボチャのかわいらしさが痛いほどに伝わってきた。飼い主に身体をなでさせるカボチャ、のびをするカボチャ、ヘビやリスと格闘するカボチャ、屋根の上にのぼって鳴き続けるカボチャ。かわいい、なんとかわいいのだろう。猫同士のケンカに負けて血だらけのカボチャも、鳥やネズミをぼりぼりとむさぼるカボチャですらかわいらしく思えた。かわいすぎて感動してしまうほどだ。

何だろう、以前「カボチャの冒険」を読んだ時はこれほどまでの感動は得られなかったのに。恐らく、今の私が猫と深く(?)関わりを持っているから、こんな感情を抱くのだろう。

猫が(シロちゃんが)飼えないならば、せめて「カボチャの冒険」を読んで妄想の中で猫と(シロちゃんと)戯れようではないか。

 

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カボチャの冒険 / 五十嵐大介

出版社 ‏ : ‎ 竹書房
発売日 ‏ : ‎ 2007/7/30
コミック ‏ : ‎ 100ページ
ISBN-10 ‏ : ‎ 4812467217

東北の農村で暮らす作者・五十嵐大介と猫のカボチャ。街で生まれたカボチャだけれど、自然の中での生活で野生に目覚め始める。街猫では見られない、野性味あふれる猫の姿もまたかわいらしい。自然と猫に翻弄されつつも、これ豊かな生活であり、人間にとっても自然な生活ではなかろうか

猫の本

吾輩は猫である / 夏目 漱石
「猫視点」で明治時代の人間の暮らしを語った夏目漱石の代表作の一つであり漱石最初の小説。落語を読んでいるかのような語り口で、ところどころにくすぐりがある。主人公である中学教師・苦沙味(くしゃみ)先生の書斎が主な舞台。苦沙味の友人・元生徒らがこの書斎に出入りをし、そのやり取りの滑稽さが本作品の魅力だと思う。文字数は37万字をこえるので長編小説のように思えるが、一つの大きなストーリーと言うよりは一話一話が独立した話となっている。小説を読むという感覚よりも、落語を読むような感覚が近い。猫の滑稽さよりも人の滑稽さが際立つ「猫小説」である。この小説の影響は、ご存知の通り様々なところにあり、それは明治の時代からそうであったようで「吾輩は○○である」というタイトルの本がたくさん出版されたそうだ。

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贋作吾輩は猫である/内田百閒
夏目漱石の弟子である内田百閒による贋作にして続編。水がめに落ちた苦沙味先生の猫は、実は生きていた……! 今回猫が住みつくのは苦沙味先生ではなく五沙味先生のお宅(ドイツ語教師)。登場人物は出田羅迷(でたらめい)、狗爵舎(くしゃくしゃ)などといったネーミングで百閒先生らしくて笑える。彼らと五沙味先生の話題は借金やらシャンパンの話やら……といった具合だからここにも百閒らしさが出ている。また、本家「吾輩は猫である」と比べると会話劇がやや軽快で読みやすい。百閒ならではの「吾猫」といった感じで本家とは違った面白さがある。

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吾輩も猫である
猫好き作家8名によるアンソロジー。夏目漱石没後100年&生誕150年記念出版。赤川次郎、石田衣良、恩田陸に原田マハといった豪華作家人(皆、猫好きらしい)が猫視点で物語をつづる。「どうやら、私は猫と呼ばれるものであるらしい」「妾(わたくし)は、猫で御座います」「ワタクシは猫であります」「俺は猫だ。名前だって、ちゃんとある」といった具合に本のタイトル同様に、作品・作家ごとに書き出しもパロディーされているのが面白い。しかし、そのストーリーたるや、作家ごとの個性が出されていて、本家「吾輩は猫である」とはまた違った面白さがある。猫好き作家だからこそ描ける、猫のしぐさや行動パターンにの描写には、猫好きではなくともメロメロになってしまうかも。

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ノラや/内田百閒
自宅の庭で野良猫から生まれたノラ。序盤はその猫をかわいがる様子が長々と記述されるが、ある日ノラが行方不明になった途端に一転文章が悲しいものに。ひたすらノラがいないことを悲しむ日々が綴られる本作品。百閒先生はノラを探すために百閒先生は猫探しの新聞広告まで出してしまう。いなくなった猫を悲しむ随筆としては、間違いなく日本一、いや世界一の作品だろう。猫好きは涙なしには読めない(これを読んだ当時の私は涙は出なかったが)。

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作家と猫
昭和の文豪から現代の作家まで49名による猫の作品のアンソロジー。出久根達郎、手塚治虫、室生犀星、和田誠、寺山修二、向田邦子、中島らも、幸田文、岡倉天心、養老孟司、三谷幸喜……。古今東西の著名人がこぞって「猫」について書いている。文章だけではなく、詩や漫画も盛り込まれており、描き方もバラエティーに富んでいて面白い。猫の愛らしさをとことん描いた作品から、猫と一緒に暮らす日々の出来事を描いた作品、いなくなってしまった猫を悲しむ作品と、お話の内容もそれぞれあって、どの作品からも猫の魅力(愛くるしさと自由奔放さ)が存分に伝わってくる。それにしても、これだけ多くの作家・芸術家に時代をこえて愛される猫。その魔性の魅力を読むだけで味わえる作品集である。

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