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【第6話】黒澤永之亟誕生秘話

インタビュー
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農作業や田舎暮らしが体験できる古民家・黒澤永之亟が誕生したきっかけとは?

 

 

おはなしをしてくれた農家さん

柴沼 淳さん(1976年生まれ)
古民家 黒沢永之亟 宿主 兼 農家
地域:茨城県笠間市
栽培品目:わらび・たけのこ・みつば・みょうが・きゅうり・トマト・ナス等

 

宿主は農家さん?

田畑と里山に囲まれた、集落の外れにある一軒の古民家。
一見、何の変哲もない昔ながらの一般住宅なのだが、実は宿泊施設になっている。

宿の名前は、黒澤永之亟(えいのじょう)
元々は、宿主である柴沼淳さんの祖父が住んでいた住宅で、屋号も祖父の名前がそのまま使われている。

「農業 柴沼淳」

すうっと差し出された柴沼さんの名刺には、そのように書かれていた。

肩書きが農業?宿なのになぜ?

「正直、深い意味はないです。山があって、田畑があって。それを耕して野菜を作っているから、農業でいいかなと」

何ともシンプルな答えである。
農家の定義からいうと、第2種兼業農家にあたるのだろうか?
いずれにせよ、農作物を栽培していて、宿泊客にも提供しているとのことだから、一種の農家さんであるとしよう。
(そうしないと、話が進められない)

これから始まるのは、農家と宿主を兼ねた柴沼さんの、グローバルでローカルなおはなしである。

 

体験型の古民家宿

永之亟は、宿といっても、宿らしくない。
前述した通り、見た目は普通の古民家である。
それに、永之亟の周辺には、何もない。
あるのは、柴沼さんの言うように、田んぼや畑、そして、小さな里山ばかりである。

こんな場所で宿を経営するなんて。
一体、誰が何の目的で泊まりに来るのだろうか?

「観光地巡りの宿として泊まってもらうのではなく、ここに来て体験させることがメインですね」

宿主の柴沼さんは言う。
どうやら、永之亟は農体験型の宿らしい。

永之亟で得られる体験は、今は昔、古き良き日本の田舎暮らし。
山菜採りや野菜の収穫など、季節ごとに様々な田舎暮らし体験が用意されている。

春はわらびやタケノコ、キイチゴなどを詰みに山へ。
夏は近くの畑できゅうりやトマトなどの夏野菜を収穫。
秋は、栗拾いにそば打ち。
冬には餅つき……。
といった具合に、日本の田舎ならではの体験ができる。

「ここにホテルが建っていたのであれば、また別のやり方をしていたのでしょうけれど、ここにあるのは築93年(2018年当時)の藁葺き屋根の家。ハードは変えられないから、それに対してソフトを合わせ込んでいくというやり方ですね。山があって、田んぼがあって、畑があって。そういうモノを使って、お客さんに何かを楽しんでもらおうと考えるのは、自然の流れでした」

田舎・自然・古民家というハードを使って、農作業や田舎暮らしといった体験=ソフトを提供する。
柴沼さんは、田舎で観光名所が近くにないという弱点を、見事に美点に置き換え、ビジネスへと昇華させていた。

そして、永之亟での体験は、「外」だけにある訳ではない。
永之亟の「中」にも、体験が待っていた。

懐かしいのが、新しい。古民家の魅力

永之亟の引き戸を開けると、目の前には土間が広がっていた。
「土間」。
そこは、家の中であって、家の中でない。
玄関のようであって、ちょっと違う。
土足で足を踏み入れていい場所で、「土間」というだけあって床板がなく、土である。

柴沼さんに案内されて、家の中に入る。
家の中も古民家ならではの独特の風合い。
今では珍しい囲炉裏や板の間といった、昔の日本ならではの造りになっている。

何もせずとも、いるだけで心癒される。
そんな空間だ。

辺りは車の通りがほとんどなく、人口的な音は皆無。
聞こえてくるのは、鳥のさえずりや木々の葉擦れくらい。
雨の日には雨が屋根を叩く音が心地よく、人間は自然の中で「生かされているのだ」という実感する。

なるほど、これは素晴らしい。
いわゆる「田舎暮らし」のイメージそのままである。
田舎暮らしを経験していなくても、どこか懐かしさを感じ、それでいて斬新であって、異国の文化に触れているようでもある。

家の中にいるだけなのに、刺激がある。
刺激というと、心落ち着かないようだが、それが不思議と落ち着く刺激なのだ。
刺激と癒しが同居している感じ。
こんな矛盾しているような不思議な感覚は、日常では滅多に味わえない。

永之亟の中に足を踏み入れてみて、
この宿に滞在するだけでも、貴重な「体験」であることがわかった。

 

15年の海外生活を経て

生粋の茨城弁で私に話をしてくれる柴沼さんは、いかにも、「生まれてこの方、ずっと茨城に住んでいます」といった感じであるが、実はそうではない。
生まれも育ちも茨城ではあるが、社会人生活は海外の方が長い。

柴沼さんは、ニュージーランド1年台湾では14年もの年月を過ごしていた。
長い海外生活の結果、日本という国を、故郷である茨城を、そして、自分自身を、客観的に見られるようになった。
そして、転機が訪れる。

「台湾で仕事をしていて、次第に違和感を覚えるようになったんです。海外にいるということは、外国人をやっているということ。外人やっているのに、サラリーマンをやっているのって、おかしいなと。サラリーマンは日本にいてもできるじゃないですか? わざわざ外国に行ってまでやる仕事じゃない。日本でできることを、海外でやっているのがつまらないなと思うようになりました」

とにかく「普通の器」では収まりきらないのが柴沼さんである。
10年スパンで次の展開を考えるという信条を持っている柴沼さんは、40代の人生に向けて、次のステップを考え始めた。
それを考えながら台湾での生活を送っていた時、永之亟のヒントを見つけた。

台湾の人は、日本旅行がとにかく大好き。3月に日本に行ったという人が、また6月にも行くからね。この間行ったばかりだろと(笑)。私なんか、日本人なのに日本に帰るのは年に1回だというのに。台湾で暮らし、台湾の人の趣向がわかったことで、祖父の家をうまくビジネスに使えないかな?と思うようになりました」

だが、一昔前の台湾人の旅行は、いわゆるツアー旅行が主流であった。
旅行会社が企画するツアー旅行に参加して、メジャーな観光地へ行って、写真を撮って、土産を買って帰ってくる。
そうした旅行では、茨城県は旅行地として選択されにくい。

その時点では、日本の田舎で宿を経営するなんて不可能と思えた。
しかし、時代は流れ、台湾人の旅行の仕方が変わってくる。
個人旅行をする人が増えたのだ。

「個人旅行をする人は、日本のあらゆる観光地を行き尽くして、更に楽しめる場所を探している。そういう人が増えてきた時に、ここ(永之亟)は使えるって思いました。日本で観光立国を目指す動きがあったのも大きいですね。観光客数の目標が、2030年には6000万人というから、日本の人口の約半分にあたります。日本の総人口1億2000万と6000万で3人に1人は外国人になるんだから、そりゃここにも外国人旅行者が来る可能性はあるだろうと」

思い立ったが吉日。
柴沼さんは、ドイツ人の友人と一緒に永之亟を訪れる。
そのドイツ人が永之亟を訪れた感想は、「ここはいい。この環境は最高だ!」
永之亟が外国人ウケするという確信を得て、永之亟プロジェクトは実行に移された訳だ。

 

今できるコトと、今あるモノ

では、永之亟を何に利用するのか。

「自分が海外生活をしてきて、今できるコト。それで、今の自分が持っているモノを考慮しました」

その「今できるコト、今あるモノ」が組み合わさり、体験型の古民家宿という結論に達した。

柴沼さんの今できるコト
  • 外国に住んでいた経験があるから、外国人を受け入れるのに関しては抵抗はない。
    (どんな国の人がきても、英語が通じればアドリブで通るし、中国語なら受け答えもできる)
  • 台湾在住時代に和食屋を開こうと思ったこともあるので、料理はできる。
  • フライフィッシングなど、アウトドアは得意なので、ネイチャーガイドもできる
柴沼さんの今あるモノ
  • 祖父の住んでいた古民家
  • 笠間市池野辺周辺の自然(山・田・畑)
  • 観光地にはない、日本の昔ながらの普通の暮らし
背景
  • 日本が観光立国を目指す流れ
  • 台湾に住んでいて、「外国人なのにサラリーマン」という状況につまらなさを感じた。

加えて、意外にも「黒澤永之亟」という名前も、ひとつのポイントになっている。

「この黒澤っていう苗字は外国人では知らない人いないから」

それは、故・黒澤明さん。
周知の通り、世界に名だたる映画監督である。

「台湾の飯屋さんでご飯を食べていて、たまにフランス人とかが話しかけてくるの。フランス人は、日本が大好きだからね。『日本人か? 黒澤明知っているか?』って。実際に聞かれたことが何度もある。『七人の侍いいよね』みたいな。海外の人も、みんな知っているんですよ、黒澤明は」

「それに…」
と柴沼さんは続ける。
「永之亟って名前もかっこいいし」

要するに、「黒澤永之亟」という名前は、永之亟が祖父の家であったから、祖父の名前も受け継いだという理由のほかに、海外でも通じる「黒澤」姓の知名度の高さと、「永之亟」という言葉の響きの良さがあったから、という裏の理由もあるのは、ここだけの話だ。
これも、「今あるモノ」であるといえば、ある。

「一番未来があったっていう言い方がいいのかな。他にもできることはあった訳だから。今後のニーズに合っている。だって、台湾で和食屋さんを開いたってさ、日本人が台湾で和食屋さんを開いているなんて、いくらでもあるからね。いまいちね、サラリーマンは抜け出せたかもしれないけれど、将来的に見たらちょっとね」

今できるコトと今あるモノ、そして、時代のニーズを察知した上で出した結論。
それが、「田舎暮らしが体験できる宿 古民家・黒澤永之亟」であった。

 

永之亟の楽しみ方

ここまでの話をまとめると、永之亟は外国人向けの宿? と思ってしまうだろうが、そうではない。
いや、本当のことを言うと、以前はそのつもりであった、というのが正しい。

だが、
「始めは台湾人メインでお客を取っていこうと思っていたのだけれど、蓋を開けてみれば、けっこう東京とかの都会からも来る人が多くて。日本人はやめようと思っていたのだけれど、ニーズがある限りはそれはやるべきだなって」
と宿主が言うのだから、日本人でも宿泊してよい。
むしろ、Welcomeである。

「日本人のお客さんには、都会の疲れを癒す場所として利用して欲しいですね。日本の田舎とはなんぞや?というのが、ここには全部あるから。夏は縁側でスイカ食べるとかね。都会の生活で付いた垢を落していって欲しいですね」

事実、現在の宿泊客の割合は、1/3は日本人である。
永之亟から車で15分の場所に住んでいる私でも、永之亟を訪れてとても魅力的に感じた。そして、実際に宿泊してみて、とても心が落ち着いた。
田舎住まいの人間(私)ですら、そんな感動が得られるのだから、都会暮らしの方たちには言わずもがなである。

「海外から来た方には、観光地化されていない普段の日本を体感して欲しいですね。飾り気のない日本を。もともと日本人がやってきた文化を体験をさせる場所というのが、ここの有り様かな。今後、日本に対して本当に興味を持った人が楽しめる場所になると思います。ここに来れば、日本の農村の生活が肌で感じられますから」

農村に行けばどこにでもあるような普通の一軒家を、グローバルな視点で見つめ直すことで、世界を相手にしたビジネスに。
「何もない田舎」に価値を与えることができたのは、柴沼さんの長い海外生活があったからこそだろう。

「要は相手側に感じてもらう部分が違うだけ」

柴沼さんの熱い眼差しは、ローカルとグローバルを行き来している。

2018年10月 らくご舎

古民家 黒澤永之亟のデータ

住所 茨城県笠間市池野辺1633-1

人数 9名様まで

部屋 和室10畳・8畳(各1部屋)

料金 1泊8,000円(1人)

備考 無料送迎可(JR常磐線友部駅・茨城空港)

電話   070‐3964‐0735

メール shiba0027@gmail.com

 

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ストームフィールドガイド(柴沼さんがしばしばお手伝いに行っているところ)

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