大洗のカキ小屋で岩牡蠣を食べる(2026/7/12)
初めての飲食店に行くと、まずはその店の一番うまいものを食べたくなる。看板メニューというやつだ。
それを食えば、この店に来た証になるような、逆にそれを食べなければ、そこに行った意味がないような、そんな一品だ。
その看板メニューが一目でわかれば良いのだが、店の主人があれもこれも自慢の料理だと欲張って宣伝する場合もあって、そうなるとどれが看板料理だかわからない、なんてこともしばしばだ。
茨城県大洗町のカキ小屋にて、友人の猿師匠と飯を食うことになった。
メニューを眺めて、海鮮丼的なものを食べようと思う。海鮮丼ならばいろいろと海の幸が乗っている。せっかく海辺の町に来たのだから、海の匂いがするものを食べたいと思うのは極めて自然な欲求であり、その欲求を満たすための食べ物として海鮮丼は間違いのない選択だろう。我が選択に一片の悔いなし。
海鮮丼を注文するために、受付で並ぶ。人気店なんだろう、けっこうな行列ができていた。暇を持て余して、客が座っているテーブルを見やる。すると、どこのテーブルにも網焼き器が乗っている。しかも、多くのテーブルでその網焼き器に何かしらの海鮮物を載せて焼いていた。
(しまった! これが看板メニューだったのか!)
よくよく考えてみれば、海鮮丼なんてそのへんのスーパーでも買えるじゃん。せっかく大洗のカキ小屋に来たのなら、網焼きせにゃ、意味がないんじゃないか?
バーベキューしにきて、焼き物食わずに帰る(例えばサンドイッチ食べて終わりとか)ようなもんだ。こりゃあ、焼かねばならん。
そう思った私は、「何か焼いて食いましょうよ」と猿師匠を誘う。
師匠も丼ものを食う予定だったようで、網焼きするつもりはまるでなかったらしく、「食いたい? 俺はいいや」と遠慮がちなことを言う。
観光地に来て、遠慮するほどつまらないことはない。そこで出来うる体験は、できる限りすべてやり尽くさねば、行った意味がないとすら思う(貧乏性)。
それが例え、住んでいる場所から車で30分で行ける場所だったとしても、だ。
(なんてつまらんことをいうハゲ猿だ)と思い、「いいじゃないですが、おごりますから」と師匠をけしかける。結果として私が網焼きをできれば最低限は満足できるのだが、二人で来て一人だけ網焼きしているのは何だか寂しいから猿師匠にも網焼きして欲しかった。
「じゃあ選んできなよ」
「おごる」という言葉になびいたのか、しつこい私の誘いに心が折れたのか。消極的な姿勢に変わりはないが、猿師匠も一緒に網焼きをしてくれることになった。
では、何を焼くべきか、食うべきか。
網焼き用の食材は、ビュッフェ形式になっていて、ずらりと並ぶ海鮮物から好きなものを選んで取る、というやり方だった。そこにはたくさんの海の幸が並んでいて、どれもこれもうまそうで、何を取るのが正解なのか悩む。
この中に、看板メニューの中の看板メニューがある。今度こそそれを引き当てたい。先程はまんまと外してしまった。カキ小屋に来たのに、海鮮丼で済ませようとしていた。それはいかん。勿体ない。
どこかにヒントはないかと、また、店内のテーブルを一瞥する。ソーセージを焼いている人、海老を焼いている人、貝を焼いている人、様々いるが、忘れてはならない、ここはカキ小屋である。
そう、私たちはカキ小屋に来ていたのだ。カキ小屋なんだから、カキが看板メニューに決まっている。どうしてそれに気づかなかったのか。カキ小屋に来て、カキを食わないとは何事だ。
ラーメン屋に行って、チャーハンを食うようなもの……あっ、これは別にアリか。
カキは目立つところにデンと山盛りに積まれていた。やはり、これが看板だな。と確信する私。
しかし、またしても迷うべきポイントにぶちあたる。カキが2種類あるのだ。真ガキ700円と岩ガキ1,000円。真ガキと岩ガキの差がわからない。
真ガキの方が小ぶりで安い。岩ガキの方が大ぶりで高い、くらいしかわからない。岩ガキの方が値段が高いから、きっとその分うまいのだろう。
例えば、ここで真ガキ700円を選んだとする。300円をケチる訳だ。岩ガキを選ぶよりも二人分で600円の節約にはなる。
が、今日の思い出としてはどうだろう。高級な岩ガキを食べた方が思い出に残るのではなかろうか。そして、おそらく300円分うまいはずだ。
うまい食事をした方が、印象も強いに決まっている(師匠と飯を食いに来ただけなんで、別に思い出に残らなくてもいいんだけどね)。
迷った挙句、大きな岩ガキを2つ、がっつりと手で掴んで、トレイに載せた。岩ガキ2つを載せると、それだけでトレイの面積が埋まった。でかい。岩ガキ一つで、こぶし2つ分くらいのサイズがある。

これだ、この岩ガキがカキ小屋に来た証に違いない。私はこのカキ小屋でのバトルの勝利を確信し、威風堂々とテーブルに座って猿師匠が来るのを待った。
「カツオが無性に食べたくなってさ」
猿師匠はカツオ丼を持って席にやってきた。
「うまいっすよね、カツオ。あれ、アラ汁が2つ?」
猿師匠は2つ盆を持っていて、一つはカツオ丼の定食、もう一つは別に頼んだ汁物が載っていた。カツオ丼定食にはアラ汁がついていて、別に頼んだ汁物もアラ汁だった。
アラ汁が2つ。猿師匠、よほどアラ汁が好きなのか、それとも定食にもアラ汁がつくとは知らずに、別途でアラ汁を頼んでしまったのか。
「アラアラ。好きなんですね、アラ汁(ぷぷぷっ)」
「いや、定食にもアラ汁がつくなんてわからなくてさ」
私の煽りに素直に答える猿師匠に少し落胆する。荒々しい返答に期待していたのだが(アラ汁だけにね)。
猿師匠がいぶかしげにテーブルに置かれた巨大岩ガキを見て言う。いつになく弱気な猿師匠である。そんなことでは困る。なぜなら、私も焼き方などよく知らんのだから。
昔、旅行会社に勤めていた猿師匠だから、焼き方などわかっているものと思っていた。旅行会社勤務=観光に詳しい=観光地の食事にも詳しい=岩ガキの焼き方も知っている、ものだとばかり思っていたのだが、頼みの師匠がどうにも頼りにならないので、私が男らしく挑むしかない。
まず、網焼き器(というと風流なんだが、いわばカセットコンロである)のスイッチをひねってみる。すると、付くはずの火が付かない。いきなりの大試練である。何度も点火のところにスイッチを持っていっても、カチッというだけで炎らしいものは姿を現さない。
こりゃあ、ガスがないんだな、とガスボンベを一度取り外して上下に振ってみると、しっかりと重さが感じられた。つまり、ガスは入っているということだ。
私たちの隣には若いカップルが座っていた。彼らの網の上には、すでに食べ終えた海鮮物の残骸があった。
この軟弱そうなチャラくてアウトドアなんて格好だけっぽそうな若造でも、この網焼き器に火を付けることが出来て、猿師匠側に座っているやたらと肌を露出した金髪ねーちゃん(けれどかわいい)の前で、「どう、網焼き楽しいっしょ?」なんて言いながら、海鮮物を焼いて食べてまた焼いて、網焼き器を使いこなし、海の幸を堪能していたのだろう。
ほんの一瞬だけ、この軟弱にーちゃんに網焼き器の火の灯し方を教えてもらおうか、なんて思ってしまったのだが、それはそれで何だかシャクな気がした。
「なんだこのおっさんたち、火も付けられねーのかよ」
私たちが助けを乞おうものならば、きっとこの軟弱にーちゃんはかわいい金髪彼女を前に、このようにいきり立つに違いがないからだ。
私たちは日頃から現実社会に打ちのめされ続けるポンコツ40代であるから、前途があるのか前科があるのかわからないが、とにかく若いことには変わりないヤンキーカップルたちに罵られようものならば、きっとその羨ましさ(若さとかかわいい金髪ねーちゃんと付き合うとか、何よりコンロにすんなりと火を付けられるスキルとか!)に嫉妬して、彼らを奈落の底まで突き落とそう(何するつもりだ)と試みるもどうせポンコツな私たちのことだから、自分たちが奈落の底に落ちてしまうだろう(あまりの羨ましさに精神が持たない)。
ならば、ここは大人しく、店員のおじちゃんを捕まえて火をつけてもらうことにした。
店員のおじちゃんは、何も言わずにさっそうと網焼き器のスイッチを操作したが、おじちゃんでも火が付かない。なんだ、この機械自体が壊れていたんじゃないか、と思ったが矢先、おじちゃんは懐から颯爽とチャッカマンを取り出して、ガスの出口付近でチャッカチャッカとスイッチを押すと、見事着火した。
あとは、網に岩ガキを載せて焼くだけだ。
「それでいいの?」
猿師匠が不安そうに聞いてくる。
「たぶん。AIがそう言っているので」
私も網焼き初心者ゆえに、普段はあまり信じないGoogle先生のAIOの言葉を頼るしかない。
片面を3から4分、裏返して3から4分。すると中身がぐつぐつと煮えだして貝の口からあぶくが出るはず。そうしたら、食べごろだ……とAIちゃんは言うのだけれど。
生物だからちょっと心配なんで、片面を5分焼いたあとにひっくり返して5分焼いてみる。それでも岩ガキは何の反応も示さない。
「大丈夫なの? 焼けてるの? それ」
「大丈夫なはずなんですけど」
AIの言うとおりにやっているのだけれど、AIの言うとおりの結果が出ない(AI初心者あるあるか)。岩ガキが焼けている感じがまるでしない。
「やばくない? 店員に聞いてみようよ」
またかよ、めんどくせーな、と思いつつ、私も心配だったので今度はおばちゃんの店員を呼び止める。
「すみません、コレ焼けてますか?」
すると、その店員さんはヘラみたいなものを、岩ガキの口にがっと差し込んで中を見る。これが実にワイルドな様である。そのおばちゃんの勇姿を、40代後半のおじさん二人が不安そうに見つめる。
「まだ焼けてないね」
おばちゃん、ぼそりと言って、もう片方も同じように、がっ、がっとやる。
「こっちもまだ焼けてないね」
「もう10分くらい焼いているのに?」
「これ、岩ガキ?」
「そうっす」
「生で大丈夫」
にやにやっと笑うおばちゃん。お前ら、素人だな、とでも言いたげな笑みだ。
「え、そうなの? あ、そういえばレジで生食か焼きか聞かれたっけ。ということは生でも食えるのか」
「大丈夫なの? 中途半端に焼いちゃって」
それでも心配そうな猿師匠。いつもは憎たらしいくらいに憎まれ口を叩いてくる猿師匠なのだが、今日は何だかとても弱々しくて、乙女チックだ。
だが、その見た目は「可愛らしい」なんて程遠い、猿とゴリラと河童と狸をかけ合わせたキメラなものだから、やっぱり何だか憎たらしい、としか思えない。
「生で大丈夫なら大丈夫でしょ」
猿師匠が乙女チックだから、私がワイルド役を担うしかない。心配する猿師匠を他所にがぶりと牡蠣に食らいついてやった。

生温かい岩ガキの身が、舌にねっとりとまとわりつく。カキのぬるんとしたとろけるような食感が感じられて、おいしかったのだが。
「一瞬でしたね。1,000円が一瞬でとろけた」
合わせて2,000円払った代物が、またたく間に胃袋に入ってしまった。その儚さが、この食事の思い出になった。
その後、せっかく大洗に来たのだからと他の海の幸も味わうことになる。近くにあったカニ汁を扱う店に行き、カニのエキスを存分にすすった。

海鮮丼に岩ガキ、そしてカニ汁。これだけ食べれば、大洗に来た甲斐(貝)があるというもの。海の幸をたっぷりと味わい、もうしばらくは海鮮系は食べなくて良いと思った。
猿師匠と別れ、家に帰る。妻に今晩の献立を聞くと「海鮮丼だよ」と嬉しそうに言う。
(お前の好物だろ、感謝しろよ)とでも言いたげな顔をしているので、「昼も海鮮丼食べたのに!」なんて言えない。カレーだったら言えるけれど、海鮮丼は何か言えない。
「おー、いいねぇ!」なんて嬉しそうなフリをして、その日2度目の海鮮丼をたいらげた。まぁ、2度目でも海鮮丼はうまかったのだけれど。
ちゃぷん。
胃袋の中が海になって、その中を魚が跳ねたような気がした。
