【第2話】東京育ちの神澤さんの田舎暮らし奮闘記

念願の「田舎暮らし」を手に入れるために!神澤さんが農家を志したきっかけとは

 

おはなしをしてくれた農家さん

神澤和夫さん
(1972年生まれ)
地域:茨城県土浦市
農作物:ネギ サヤインゲン 生姜 トマト
耕作面積 1.5ha

 

地方での「田舎暮らし」に憧れて…脱サラ!

東京で生まれ育った神澤さんは、テレビや雑誌で見る田舎での暮らしに憧れを抱いていた。

のどかな田園風景と、穏やかで呑気な人々が織り成すのんびりとした生活。
メディアがもたらした田舎のイメージに感化され、就職先も地方に移動のある会社を選んだ。

思惑通りに事は進み、勤務先は地方に決まった。
最初は千葉県の木更津、そして、次に茨城県の石岡へ。
憧れの田舎暮らしが待っているかと思いきや、仕事は激務で疲労がたまる一方。
たまりにたまった疲労が遂に爆発し、神澤さんは病院に担ぎこまれた。

それが、神澤さんの波乱万丈な田舎暮らしストーリーの始まりであった。

退院後、しばらく静養した後に勤めていた会社を退職した。
それから一年が過ぎた頃である。

(いいかげん、働かなきゃな。妻と子供もいることだし)

と思い、働き出したのがレンコン農家であった。

 

田舎暮らしといえば、農業!

憧れの職業であった農業。
だが、収入が不安定と聞くし、家族のいる身でそのような博打が打てる訳がない。
そう思って諦めていた農業の道が、突然開けた。

ひょんなことから始めた農業は、肉体労働のため身体はきついが、雇い主はいい人だし、思ったよりも収入がいい。

(これならば、やっていけるのでは?)

神澤さんはその時そう思ったそうだ。

それから、本格的に農業の道を歩むことに決めた。
将来的には「独立したい。自分の畑を持って、夢にまで見た田舎での生活を送りたい」。

諦めかけていた「田舎暮らし」の夢は、以前よりも現実味を帯びた。
「農業を生業として、田舎暮らしをしたい」に変化したのだ。
だが、それは険しいばかりの道のりであった。

 

農家から農家へ…渡り歩いたその先には

レンコン農家は3ヶ月の期間限定の勤務のため、勤務期間を終了した後、新たな仕事を探す必要があった。
もちろん、次の仕事も「農業」だ。

レンコン農家の次は、農業法人の社員として働いた。
だが、そこはできたばかりの会社で、1年半で会社が立ち行かなくなる。
違う法人へ紹介してもらうこともできたが、独立志望であった神澤さんはその誘いを断って、再び以前とは違うレンコン農家で働くことにした。

いわゆる篤農家であったそのレンコン農家での勤務は、厳しいものであった。
労働量、労働時間は激しく長く、技術レベルも高い。

(これくらい頑張らないと、農業で成功できないのだな)

神澤さんは農業の厳しさを知った。

わずか2ヶ月でレンコン農家を辞め、その後は白菜農家で働く事になる。
そこでは加工品に使うトマトの栽培もしていた。
このトマトが、神澤さんの独立就農の足がかりとなる。

「加工品のトマトなら、失敗しないんじゃないか」

白菜農家さんに勧められ、とりあえず加工品のトマトを栽培することになった。

だが、トマトだけじゃ食べていけない。
そこで、とある会合で知り合いになったネギ農家から「一緒にやらないか」と誘いを受けた。
イバショウという出荷組合の方からの誘いで、ひとつ返事で「OK」を出した。

そうして、今のスタイルである、冬にネギを栽培し、夏の裏作でトマトや他の野菜を試験的に栽培するという方向性が決まった。
神澤さんの農家としての人生がスタートしたのだ。

 

人との出会いに助けられて

スタートするまでに相当の苦労をした神澤さん。
農家や農業法人を次から次へと渡り歩き、ようやっとの思いで自分の道を探し出した。

サラリーマンのように、会社に入ったらそのまま身を任せるという生き方では、到底乗り越えられなかったであろう。

渡り歩いてきた最中に、神澤さんを助けてくれたのが、人との出会いであった。

東京出身の神澤さんに、茨城県での知人はごく限られた数しかいなかった。
しかも、農家の知人となるとまったくいなかった。
神澤さんと農業をつないでくれたのは、農業学校や農家の会合で知り合った人々のつながりによるものであった。

少々興味があれば、農業に関する集まりやイベントなどには積極的に顔を出し、その場で自分がどうしたいかを言葉にした。

すると、「ならば、いい人を紹介するよ」「うちで一緒にやらないか」と思ったことが嘘のように実現されていく。
その人と人とのつながりは、神澤さんが思い描いていた「田舎暮らし」のイメージを超えた。

「山があって、海があって、自然の中でのんびり暮らす感じ」

テレビなどから得られる情報をそのまま鵜呑みにしていたが、その土地にはその土地の人間関係がある。

それは、メディアでは伝えきれないもので、実際に住んでみるといろんな人たちがいて、その人たちと付き合っていくうちに、人の輪が思いがけない方向に広がり、思いがけない出来事が起きていく。

その田舎特有の人間関係に、神澤さんは田舎暮らしの醍醐味を感じた。

 

動けばそれが、形になる

そして、農家としての醍醐味も感じていた。
それは、「自分のイメージ通りにライフスタイルを形成できること」。

サラリーマン時代では到底できなかったことである。
雇われていたら、雇い主の都合で働かなければならないのは、当然といえば当然である。

だが、誰にも雇用されていない、農業を仕事としている今は、いわば全てが無の状態。
全てを自分で作り上げなければならない。
自分のイメージ通りの生活がしたいならば、自分でその結果に結びつくような動きをすれば良い。
動けばそれが、形になる。

シムシティというゲームがありましたよね、まさに農業はリアル・シムシティをしている感覚なんですよ。自分の畑をイメージ通りに作り上げる楽しみがあります。畑だけではなくて、生活自体もそうです。例えば、冬はスキーを楽しみたいと思っているならば、夏場に稼げる作物を作って、冬に暇ができるようにすればいいんです。自分の理想の暮らしをするためだから、頑張れる。そんな気がしています」

まだまだ軌道に乗ったとは言い難いが、少しずつ、着実に、神澤さんの「田舎暮らし」は憧れから現実に変わろうとしている。

 

執筆日:2015/8/5 らくご舎

 

【神澤さんの野菜が買えるお店】
イーアスつくば JA土浦ファーマーズマーケットさんふれ

http://tsukuba.iias.jp/shop/detail/0060.html