高萩さん、パパになる。(取材日:2021/1/16)
あれから、7年。
高萩さんと出会ったのは、2014年ごろだった。
その頃、私は鉾田市で農業をしていて(雇われ)、そこの農家さんが「面白いやつがいるんだよ」といって紹介してくれたのが城里町の高萩和彦さんだった。
当時の高萩さんは33歳。
優秀な大学を卒業し、有名な企業に就職した。
誰がどう見ても順風満帆な人生にしか思えないコースを歩んでいたのだが、企業での働き方に疑問を抱いて退職。
故郷の茨城県に戻り、農業を始めたのである。
出会った頃の高萩さんはいわゆる「ひとり農家」だった。
城里町に家と畑を借りて、たったひとりで農業を始めた。
独立就農したてで、県からの支援金を貰いながら、どうにかこうにか農業をしていた。
高萩さんが求めていたのは、「自由」だった。
自分の意志で決めて、働き、暮らす。
それができるのが、農業だと考えた。
農業を始めてから、いろいろと苦労はあった。
台風でビニールハウスが飛ばされたり、畑が水浸しになったり、雪でビニールハウスが潰されたり。
自然の力の恐ろしさを、まざまざと味わった。
逆に、企業に勤めていた時にはできなかった素晴らしい体験や出会いもあった。
春には梅の花、夏にはホタル、秋にはイチョウの紅葉、冬の雪景色…といった自然いっぱいの城里町が魅せる季節折々の風景の美しさ。
そして、その中でする農作業。
県央地域では珍しいレンコンの栽培を始めたり、炭素循環農法や自然農を取り入れたり。
また、城里町の人々やいばらき新規就農者ネットワークといった新しい仲間と出会った。
古内茶 庭先カフェという地域おこしイベントの運営にもチャレンジした。
それに伴い、地元のラジオ局や全国ネットのテレビに出演もした。
そして、人生の伴侶・かおりさんとの間に、新しい生命を授かった。
今、目の前にいる高萩さんの腕には、生後2か月になったばかりの赤ん坊が抱かれている。
あれから、7年。
高萩さんは、パパになったのだ。
パパになった高萩さん
古内茶のイベントの翌日、高萩家に新しい仲間が加わった。
イベント当日、私はかおりさんの大きなお腹を見て出産予定日を聞いたのだが、もう少し先の日取りであった。
イベント内で「駕籠屋(ほいさっさ)」に揺られたのが「効いた」のか、宗太郎くんは少しばかり早めに生まれ出て来た。
パパになった高萩さんの言葉は、ひとり農家の時とだいぶ変わっていた。
「城里町で育った子どもは、大人になると半分以上が町を出てしまうようですが、町を出て行った人たちにもう一度帰ってきたいと思わせるような町づくりをしたいですね。住んでいる町への責任を感じるようになりました」
「自由」から「責任」へ。
その意識の変化は、パパになったからというだけではなく、城里町で過ごした日々もおおいに影響していそうだ。
「今目の前で起こっていることは、自分たちの責任だと思うようになりました。だから、この町で起こっていることは、住民である私たちの責任です。城里町に住んでいる以上、町のためにできることは少なからずあるはず。それを少しずつでいいからやっていこうと」
また、家族を持ったことと、コロナ禍という状況もあって、目指すスタイルがミニマルになった。
「城里町に有機野菜を広めたいですね。町の空き店舗を利用してマルシェをやったり、自宅の庭先で小さな直売所を開いたり。背伸びせずに、身の丈にあった生活ができればいいなと思います」
昨今の潮流の一つにローカリズムやミニマリズムがある。
高度経済成長のイケイケな時代が過ぎ、私たちは東日本大震災やその他の自然災害、そしてコロナ禍といった様々な苦難に遭遇してきた。
その結果、ローカリズムやミニマリズムに行きつく人は多い。
現代を生きる人々にとって、それは自然な流れなのかもしれない。
高萩さんもその一人のようで。
結婚し、子を授かり、家族を想い、町を想いながら、自然の中で、自然の力を借りて野菜を作る。
高萩さんは「とても自然な生活」している。
(私は「ちょっと」だけれど)
今月の高萩さん
さて、正月、やれ正月である。
高萩さんの年末年始は、大みそかの夜に「ガキの使い」を見て、元旦はゆっくり休み、2日から仕事をする、というのが例年の過ごし方であった。
結婚したのは去年であったが、今までの年末年始はやはり「ひとり」であった。
しかし、今年は違った。
かおりさんと宗太郎くん、そして愛犬のペロと一緒に、のんびりと過ごしたようで、「ガキの使い」を見ない大みそかになったという。
これは、大きな変化である。
また、かおりさんと一緒にもち米から餅づくりに挑戦した。
餅をふかしすぎてあえなく失敗に終わったが、家族で餅づくりなんて、とても幸せな体験ではないか!
独り身の私には、今の高萩さんの暮らしぶりはまぶしすぎて目が潰れてしまいそうなので、農作業の話に移る。
いつもは10月から掘り始めるのだが、今年は少し遅らせて12月から掘る。
カラ刈りをやめた結果、茶渋はつくが、その分栄養価のあるレンコンになった。
高萩さんが作る城里町産のレンコンのファンも増えて来たという。
12月半ばから作業開始。
こちらも例年よりペースは遅め。
杉を使っていぶされ、三角に切られた特製干し芋は、内原のイオンなどで販売している。
生活クラブと直売所に卸している里芋。
本日のお手伝いは里芋の出荷作業だった。
作付けを増やした人参。
こちらも生活クラブなどに卸している。
冬眠中のアスパラガス。
マコモ。春になれば新芽が出てくる。
本日の野良仕事
この日の高萩さんは、干し芋の加工作業をしていた。
蒸しあがった干し芋の皮をむき、三角に切って、干す。
ビニールハウスの作業場で、高萩さんは私と喋りながらもちゃっちゃと手を動かしていた。
「最近、作業中に音楽を聴くようになりまして」
え、高萩さんが音楽?
何を聞くんですか?
「ドラゴンクエストI・Ⅱのゲーム音楽がお気に入りです。他にはオカリナの宗次郎とか。息子の宗太郎という名前は、宗次郎さんから一文字いただいているんですよ」
へぇ!お子さんの名前は、宗次郎から来ていたんですね。
それにしても、高萩さんがドラクエとは。
なんか、意外。
「昔、やりましたねぇ」
自分もやりましたが、Vまででした……。
さてはて。
私の今回のお手伝いは、里芋の出荷作業。
収穫した里芋に付いた根を、手でもぎ取り、出荷先別に分けるというだけの作業だ。
ザ・単純作業。
私の苦手な作業である。
この手の仕事をしていると、すぐに飽きてしまってだらだらと作業をしてやたらと時間ばかり食ってしまう、というのが常であった。
しかし、高萩さんが成長しているように、私だって成長している。
単純作業なんのその。
脳内BGMを流し、軽やかに里芋の根を取り、仕分けしていく。
脳内に流れていた音楽は、ファイナル・ファンタジーⅢの「悠久の風」であった。
高萩さんがドラクエならば、こちらはFFである。
こうしてやっていると、単純作業も面白い。
作業が進めば、当然だがノルマの量も減っていく。
ひとつ終われば、ひとつ分減る。
作業スピードを速めれば、その分早く終わる。
少しずつ減っていく里芋の入った箱を見ると、少しずつ達成感が得られる。
そうして、やればやるほど、集中力が増していく。
作業をしていると、高萩さんの家にお客さんがやってきた。
「あらまぁ、立派な里芋だこと!」
散歩をしていた近所のおばさんである。
そうですよねぇ、立派ですよねぇ。
などと言って、客人の対応をする。
「ここはいろいろ作っているわよねぇ。貴方はお手伝いさん?どこから来たの?普段は何の仕事をしているの?」
そうですよねぇ、たまに遊びがてらに手伝っているんですよ、水戸から来てましてね、某生協で働いてまして。
おばさんの質問に答えながらも、作業の手は決して緩めない。
我ながら、もはやプロだな、と思う。
そうこうしているうちに、高萩さんがこちらに戻ってきておばさんの対応をする。
すると、また新たなお客さんが。
今度は翌日フォレストピア七会の森で開催される朝市に出店するという、城里町在住の女性だった。
その女性は、高萩さんの家に野菜の仕入れに来たらしい。
「あら、この間のカメラマンさん!こんにちは」
彼女は先日の庭先カフェでもお手伝いをしていて、その時に会っていた。
こんにちは~。
「それ、里芋ですよね。明日売りたいな。B品、もっていってもいいですか?」
ああ、どうぞどうぞ、売ってきてくださいな。
彼女の訪問のことは聞いていたので、適当に対応しておく(おいおい)。
その間も、作業の手は緩めない。
何が何でも、緩めたくなかった。
客人の対応を高萩さんがしている間も、ひたすら作業を進める。
普通なら、作業を休んであれこれと話したくなるのに、今日の私は違った。
単純作業が楽しい。
ノルマは残りわずか。
もう少し、あとちょっと、残り3個……終わり!
あ~、終わりました~!
と腰を上げて、伸びをする。
座りながらの作業だったので、少しばかり腰が痛い。
「もう終わったんですか。私の出る幕はなかったですね」
高萩さんに褒められる。
うれしい。
いやぁ、何だかめっちゃ集中しちゃって。楽しくなっちゃいました。
「ファーマーズ・ハイですね」
昔、高萩さんが言っていた農作業中になる妙なテンションに、私もなっていたようだ。
「では、お礼にこれを。今いただいた猪肉です。私の家にはまだ残りがあるので」
おお!猪の肉!
食べてみたかったんですよ~。
猪肉といえば、以前に読んだ本「猟師の肉は腐らない」を思い出す。
私はこの本を読んで、猪肉が食べたくて食べたくてたまらなくなった。
農作業のお礼が猪肉とは。
私にはまさにジャスト・ミート(meat=肉)な心憎(肉)いものだった。