古内茶と庭先カフェについて

茨城県3大銘茶の古内茶。
お茶農家の庭先がカフェに…… 

 

 

古内茶のはじまり

古内茶と和紅茶

茨城県には、お茶の栽培が盛んな地域が3つある。

それは、猿島郡境町周辺(旧・猿島町)・久慈群大子町・城里町(旧常北町古内地区)であり、茨城県のお茶の3大産地と呼ばれている。

3大産地では、それぞれ猿島茶・奥久慈茶・古内茶の3大銘茶が作られている。

その中でも、もっとも古い歴史を持つのが古内茶だ。
古内茶が初めて作られたのが延慶3年(西暦1310年)。
約700年も昔のことである。

現・城里町の古内地区にある太古山獅子院・清音寺が発症の地。
この寺を開山した復庵禅師が、中国から持ってきた茶の実を寺の境内に蒔いたことから始まる。

これが、茨城のお茶の始まりである。

清音寺にある古内茶の母木(初音)とされる茶木

その後、境内に植えられた茶木は、水戸黄門こと水戸藩2代目藩主・徳川光圀により、「初音(はつね)」と名付けられる。

光圀公は、清音寺を訪れた際に漢詩を詠んでいて、その中に
「七碗の竜茶を喫す…人生半日の間、およそ八苦を忘る」
という一節があり、清音寺のお茶の味を讃えている。

そして、「多くの人にこのおいしいお茶を飲んでもらった方がよい」と提唱したところ、古内地区一帯でお茶が作られるようになったという。

その説によると、「初音」が上古内・下古内地区の茶の栽培が盛んになるきっかけになったと言える。

この「初音」が、古内茶の母木(大元)とされており、現在の清音寺にも「初音」と思わしき茶木が現存している。

2017年、JA水戸古内茶生産組合により、母木から挿し穂を切り出し、別の場所(町登録有形文財・島家住宅)に挿し木をして初音を再生しようと、初音の苗木350本を同敷地内に植え付けた。
その初摘みが、2020年5月25日に行われた。

黄門さまが愛飲、名付け 「初音茶」を初収穫 城里 | きたかんナビ
水戸藩2代藩主の徳川光圀が愛飲し名付けたとされる「初音茶」の初めての収穫が25日、城里町上古内で行われた。同

町登録有形文化財「島家住宅」

古内茶の味の特徴は、後味がさっぱりとしていて、甘味と苦味のバランスが良いところだ。

清音寺のある現・茨城県東茨城郡城里町の古内地区は、京都の茶の名産地・宇治と地形が似ており、三方が山に囲まれ、近くに川が流れている。

この環境が、おいしいお茶・古内茶ができる最たる要因であると考えられている。

 

庭先カフェ

2018年11月25日に古内茶・庭先カフェのプレイベントが開催された

古内茶は茨城三銘茶のひとつだが、後継者不足が課題となっている。

そこで、古内茶および周辺地区の活性化を図りたいという願いを込めたイベント「庭先カフェ」が2018年11月25日に、城里町の古内地区で開催された。

今回はプレ・イベントのため、近所の人々や主催者の知人・友人のみの招待となった。

私は「ひとり農家のひとりごと・取材記」でおなじみの高萩和彦さんに招待され、このイベントに参加してきた。

「庭先カフェ」は、お茶農家の庭先に、人々が集い、振舞われた料理をつまみながら、おしゃべりをするというもの。

感覚的には、「縁側でお茶」そのものである。

そこで生まれた交流が、地域の活性化につながれば…という意図がある。

実はこれ、農村地区では珍しい光景ではない。

古内茶を販売する高安園。

今回のイベント会場のひとつである高安園では、このような光景は日常的であるという。

近所に住む人がふらーっとお店にやってきて、庭先の椅子に腰をかけ、お茶をすすり、おしゃべりをする。

「庭先カフェ」のまんまである。

だが、このような環境が何処にでもある訳ではない。

農村部から離れた住宅街に住む人々には、「庭先カフェ」のような環境はなく、ひょっとしたらこのような場所が必要なのかもしれない。

庭先カフェに参加してみて、そのように感じた。
何故なら、思いのほか私自身がリラックスできたから。
イベントとはいえ、他人の家の庭であるのに。

見ず知らずの他人の家の庭先で、リラックスできるなんて信じられないことだ。

それは、農家さんの人柄なのか、屋外というオープンな空間であったためか。
リラックスできれば、自然と会話も弾む。
会話が弾めば、そこから何か生まれるかもしれない。

それが地域や古内茶にとって実のある何かであれば、このイベントは成功といえよう。

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