野良本Vol.12 猟師の肉は腐らない/小泉武夫

八溝の食・暮らしの文化とともに、良質な物語が味わえる。

 

運命の本とは、3度出会う

矢祭山から見た八溝山

私はこの「猟師の肉は腐らない」という本と、「3度」出会っている。
 
一度目はこの本を購入した時。
その時私は、ネットで茨城県に関する本を探していた。
猟師の肉は腐らない」の舞台は、八溝山地。八溝山地は福島県・茨城県・栃木県をまたぐ山地であり、その主峰である八溝山は、茨城県と福島県にまたがる山で、茨城県最高峰の山である。
正確には、「矢祭山駅」で電車を降りた描写があるので、舞台は福島県なのだが、茨城県民としては「八溝」と聞くと「茨城」と反応してしまい、この本の購入に至った。
 

茨城県阿見町の蕎麦屋「木鉢坊」に飾られている著者色紙

 
二度目の出会いは、阿見町にある蕎麦屋・木鉢坊で。
牛久の大仏様(牛久浄苑)に親戚の墓があり、母と二人で墓参りをした帰りに寄った蕎麦屋である。
このお蕎麦屋さんが大変流行っているようで、私たちが訪れた時も行列ができていた。
行列に並んで待っていると、入口付近に飾られているサイン色紙に目が留まる。
 
「蕎麦は木鉢坊に限る。」
そのように描かれた色紙に惹かれた。
 
「サンマは目黒に限る。」
ご存知の通り、落語・目黒のさんまの「もじり」である。
自称・落語好き(にわか)の私であるから、このセンスに反応しない訳がない。
その言葉の脇には「味覚人飛行物体 小泉武夫」とある。この色紙を描いた人物だ。
 
さっそく、その場でスマホを使って調べてみる。Wikiには「農学者・発酵学者」とある。著書もたくさん出している。そして、福島県出身であるという。
しかし、この時に私は、この小泉武夫先生が先に購入した「猟師の肉は腐らない」の著者だとは気づかなかった。
 

三度目の出会いは、一度目と二度目の出会いが結び付いた時。
部屋でゴロゴロとしていると、「積読」状態であった「猟師の肉は腐らない」がふと目に留まる。ああ、こんな本買ったっけな、と手に取ってみる。著者の名前を目にして、見覚えがあることに気づく。
「小泉武夫……どこかで?はて?」
そこでピンと来る。
過去のツイートを見返すと、木鉢坊の色紙と小泉武夫の名前が載っていて、それと手元の本を照らし合わせる。
 
「あっ!」
 

 

「猟師の肉は腐らない」はここがすごい!

 

矢祭山駅付近の風景。久慈川が流れている。

三度目の出会いで、ようやく読みだした「猟師の肉は腐らない」。
読んでみると、とんでもなく面白かった。

1.八溝の猟師の食文化が学べる・食べる表現もすばらしい

まず、この本の第二の主人公といっていい「義兄にゃ(義っしゃん)」が作ってくれる料理がすごい。
義兄にゃは猪を狩る猟師であり、八溝山地の山の中に暮らしていて地元のタクシーには「ターザン」と言うと通じてしまうような、正真正銘の「山男」である。
そんな義兄にゃが「先生(主人公)」に作ってくれるのが、八溝の山料理。
野兎、岩魚、ヤマメ、ドジョウ、赤マムシ、山羊の乳などの山の幸、川の幸はもちろんのこと、カブトムシの蛹、アブラゼミ、地蜂の子(蜂飯)、といった「虫食い」まで、本編の至るところで二人は食べている(そして、酒を呑んでいる)。
これを書いている今、ぱらぱらっとページをめくって、適当に止めて読んでみると、大抵が食事のシーンである(大げさではなく)。
この食事シーンが本当においしそうで。
食べているのが「虫」であったとしても、「食べてみたい!」と思えてしまう。
その要因の一つに、味の描写があると思う。
例えば、兎の肉を食べる描写は、
「噛むと鼻孔から瞬時に煙の匂いがすーっと抜けてきて、口の中では固い肉が歯と歯に潰されてほこほこと崩れてゆき、そこから野生に育まれた動物しか持っていない濃いうま味がジュルジュルと湧き出してくるのであった……」(「猟師の肉は腐らない」P69から抜粋)
と、こんな具合である。
例に挙げた一文も本をぱらっとめくって適当に止めたところの描写を抜き出しただけであるが、この本の至るところにこのような「おいしそうな文章」が散りばめられている。
 

2.くすぐられる冒険心

この本の帯に三浦しをんさんが「豊かで楽しい、食と生活をめぐる冒険譚の誕生だ」と書いている。
まったくもってその通りであり、「猟師の肉は腐らない」は冒険譚でもある。
先ほどの項目で書いた食事をするために、先生と義兄にゃは狩猟をする。義兄にゃは猪狩りをする猟師であるが、猪狩りの様子はごく一部でしか描かれていない。
大部分が、その日食べるものを調達するためであり、先述した野兎や蜂の子、セミやドジョウといったものを捕ってくる描写である。
このシーンで思い出すのは、自分の少年時代に体験した虫捕りや魚釣りである。網や釣り竿といった捕獲する道具を手に、山や川へ入り込む。
そのドキドキ感、思い通りの獲物を確保できた時の喜びが、この本を読んでいてまざまざと蘇ってきた。
それはまさに冒険であった。
今でも、山登りや釣りをしにいくと、このような気持ちになるのだが、「読む」という体験だけでその時の興奮を味わえてしまうのがすごい。
このような体験をしたことがない人でも、この本を読めばきっと疑似体験ができるだろう。
 

3.物語としての完成度の高さ

ここまでの説明で、「猟師の肉は腐らない」が如何に学び多い本であり、冒険心をくすぐる本であることはわかっていただけたであろう。
だが、この本のすごさはそれだけではない。
「物語」としても、面白いのだ。

序盤から中盤は、八溝の食と暮らしを、冒険をしながら学ぶ形式で進んでいく。
「次の食事はなんだろう、何を狩りに行くのだろう、どんな冒険になるのだろう」
といったわくわく感がある。
時折、蛇に噛まれたり、蜂に刺されたりといったアクシデントが、物語としてのアクセントにもなっている。
その反面、パターン化している面もある(水戸黄門やワンピース的な)。

しかし、終盤の展開が本当にすごい(これまた安易な表現だ)。
蛇や蜂のアクシデントの時とは比較にならない緊張感がある。
え?まさか?と思ってしまうほどに、結末が読めない。
その緊張感のある展開とともに訪れるのが、「旅の終わり」である。
主人公である先生の八溝の旅の終わり。
先生は東京に住んでいて、そこで執筆やら何やらの仕事をしているから、八溝に滞在できるのはほんの数日である。
永遠に続きそうな八溝の物語にも、終焉を迎える時が来る。
このラストのクライマックスが、本当にもう、涙がこぼれるほどに感動した。
 
八溝の食文化と暮らしぶりが学べ、冒険心がくすぐられ、旅情を味わえて、感動の涙まで流せてしまう。
猟師の肉は腐らない」は、一冊でいろいろな味が楽しめる本である。
これはまさに「八溝」のフルコース。
これほどに贅沢な読書は、なかなか味わえるものではない。
 

 

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