野良本 Vol.20 劒岳<点の記>/新田次郎

山と文学、そして測量。劒岳<点の記>を久しぶりに手に取り思うこと。

★山と文学

私は、少しばかり山に登って(茨城の低い山ばかり)、少しばかりの本を読む(遅読だけれど)人間である。
山と文学は結びつきが深い部分があって、

青春を山に賭けて 」植村直巳
神々の山嶺」夢枕獏
孤高の人」新田次郎
黒部の山賊」伊藤正一
など、山を舞台にした文学作品は数多い。

日本百名山」深田久弥は山屋のバイブルとして長年受け継がれてきているだけではなく、この本に選ばれた百の山を踏破するという山の登り方まで生み出した。
昨今の「聖地巡礼ブーム」が始まるよりだいぶ昔の話である。
本の世界から飛び出して、現実にまで影響を及ぼした良い例だ。

山と文学の結びつきの深さは、国内だけではなく海外でも同じことが言える。
それだけ、山と文学は相性がいいのであろう。

私も、これらの本をいくつか所持している。
けれども、ほとんど、いや、まったく読んでいない。
この一冊を除いては。

劒岳〈点の記〉 (文春文庫)

★劒岳<点の記>と測量

新田次郎の劒岳<点の記>。文春文庫版

先日、実に久しぶりに新田次郎の「劒岳〈点の記〉」を手に取った。
内容は何となく覚えていた。
測量士がお供を連れて、当時前人未到と言われた剱岳登頂を試みたこと。
それはとても困難を極める登山であったこと。
そして、浅野忠信、香川照之、宮崎あおい……あれ?これは映画だった。

この劒岳〈点の記〉も言わずと知れた山岳文学の名著であるが、内容はぼんやりとしか覚えていなかった。
手に取ったついでに、ぱらぱらとめくって流し読みしてみる。
少しも文章を読めば、本の記憶が鮮明に……呼び起されない。
えらくハラハラドキドキして読んだ記憶はあるのだが。

代わりに呼び起されたのは、測量の研修をしていた時の記憶だった。

だいぶ昔に、建設会社や測量の会社を相手に営業をしていたことがある。
建設や測量といった知識と経験が皆無だった私は、入社と同時に測量会社に研修にいかされた。

研修先の測量会社は、社員2、3人の小さな会社だった。
研修では、その人たちに付いて周って、測量のお供をさせていただいた。
測量の「そ」の字も知らなかった私だから、見ることやることすべてが新鮮で、それはそれは貴重な経験をさせていただいた。

同時に、とても大変な仕事だと思った。
「キカイ」と呼ばれる測量機やそれを乗せるための三脚はとても繊細なもので、乱暴に扱うことが許されない。
それらを担ぎ、時には山に登ることもあった。

それは登山道のように整備された山道ではない。
いや、道自体がないことも多く、急斜面をキカイを担いで登ったり、藪漕ぎをしたり、場合によっては刈払機で草木を刈りながら道を作って進むこともあった。

小さな山を測量したある日、斜面を登りきれずに「滑落」をしたこともある。

人生初滑落。

それは登山中ではなく、測量の研修中に体験することになった。

私が滑落しようが何しようが、それでも仕事は続けられた。
(といっても、数mほどの落差しかなかったので、ケガひとつしなかったが)

何とまぁ、大変な仕事だこと!
私はその研修で、測量という仕事の熾烈さを思い知ったのだった。

反面、測量という仕事の素晴らしさや楽しさも知ることができた。
現地の様子を、正確に図面上に落とすために行われるこの仕事。
慣れてくると、そのあとに描くべき図面をイメージして、現場で動くようになる。
逆に過去に記された図面を見て、現地を想像したり、実際に現地に行って図面通りになっているかを調べたりするのに、楽しさを覚えた。

また、日常と測量が結び付くのも楽しいことであった。
例えば、趣味の山登り。
山の頂上にある三角点は、測量の結果埋められたものだ。
また、登山中にピンクのテープを見ることがあるが、あれは登山道の道しるべとしてつけられたものと、測量中に付けられたものがある。

山と文学は密接した関係にあるが、山と測量もまた切っても切り離せない関係にあるのだ。

そんな風に過去を思い起こして、私は本を本棚に戻した。
結局、本の内容はおぼろげなままだった。

劒岳〈点の記〉 (文春文庫)