野良本Vol.22 里山資本主義/藻谷浩介

自然とともに暮らすことが、人にとって自然なこと

★2014年と里山資本主義

2014年11月、私は筑波大学のキャンパスに生まれて初めて足を踏み入れた。思うところあって大学進学の道を選ばなかった私には、大学構内を歩くという行為はとてもとても新鮮なことで、この場所で若者たちがいわゆるキャンパスライフというやつを送っているのかを想像すると、胸がきゅんきゅんしてしまう。しかも、世界に名だたる筑波大である。茨城県内だけではなく全国から天才秀才が集まってくる場所である。私には縁がない場所だけに想像を働かせる行為が余計に楽しくなる。

きっと学問やら研究やらで頭の中をいっぱいにし凡人には理解できない共通言語で会話をしているのだろう。天才秀才で集い、酒を飲み、高度なギャグで時折笑い、時には恋に落ち……ああ、具体的に想像することすら難しい!とにかく、私とはかけ離れた優秀な頭脳を持つ人間たちが、ここに集って日々勉学に励んでいるに違いない!

さておき。なぜ筑波大なのか。7年前のこの日、筑波大で「里山資本主義」の著者藻谷浩介さんによる里山資本主義フォーラムが開かれた。著書を読みその考え方に感銘を受けた私は、ぜひお話を聞いてみたいと思い、筑波大を訪れたのであった。

今から7年も昔の講演だが、今でも断片的にだがその記憶は残っている。日本の里山と林業の現状。日本の木材の質は世界的に見ると「良くない」という。日本製、国産と聞くと「上質」だという先入観を抱きがちだが、こと木材に関しては違うらしい。なぜかというと、林業が廃れ間伐が行われなくなり、健康な木が育っていないから。その林業の衰退というのは、海外からの輸入材が安価で大量に輸入できたことから始まった。ほどよく木を切ることは、森の健康維持には必要不可欠なことらしい。

里山というのは、人の手が入った山であり、人々は自然の力を利用しつつ生活している。そのライフスタイルは実は自然にとっても良い面があるのだ。それまでは、「木を切る」という行為に対して至極単純に「自然破壊」と結び付け、悪行だと思い込んでいたのだが、その浅はかな考えをひっくり返された。まさに、地球との共存。今思うと「地球一個分の生活」の答えは、里山生活にあるのかもしれない。

また、人口のことも話していた。この先何十年か後に、茨城県では県北地域を中心に人口が軒並み減少していくという。私が住む水戸市は現状維持という藻谷氏の予測であったのを憶えている。今では周知の事実ではあるが、2014年当時の茨城県は徐々に減少してはいたが2,900万人台をキープしていた。それから7年後、県の人口は285万人を切っている。このわずかな期間で5万人も人口が減ってしまっている。

他にもいろいろと藻谷さんは話してくれたが、私の残念な脳みそが覚えている内容は以上である。私としては、わずかでも覚えていたことに驚いている。それだけ当時の私に刺激的な内容だったのだろう。覚えていることはわずかであっても、「里山資本主義」を読んだことと藻谷さんの講演を聞いたことは、今の私の生活の礎を築いたといっても過言ではない。

当時の私は30代半ばくらいか。農業を辞めて、地元企業で働いていた。たまの休みに山に登り、うだつの上がらないサラリーマンとしてぐうたらと過ごしていた時期であった。それでも「何かやりたい」という気持ちがない訳ではなく。農家へのインタビューや山登りコラムは続けていて、それをWEBに掲載するなどしていた。そんな折に、この本と講演に出会ったのだ。

それから私は、「地球基準主義」という言葉を考えた。ミクロの部分で、経済的にどうこうとか言っていても堂々巡りであるし、よくわからない。よくわからないが、私たちが住む地球がなくなってしまっては元も子もない。だから、すべてを地球をベースに考えればいい。地球にとって良いことを、可能な限りしていくべきだ。

そもそも、人の幸せとはなんだろうか。自分ひとりが幸せならば幸せか? それは絶対的に否だ。周囲の人間が不幸せならば、その不幸がわが身を引っ張ることもままある。周囲が幸せならば、その逆もある。自分の身の回りの人間が幸せならば、自分自身も幸せになる可能性は高い。その社会の単位をちょっと狭くして。家族に当てはめてみよう。家族が不幸だと、自分も苦労をせざる得ない。つまり、家族が不幸だと自分も不幸ということになる。我が子が不幸せならば、自分も不幸。すると、子の子が不幸ならば、自分も不幸ということになる。

今すぐに、地球がどうこうなってしまう訳ではない、ということは、阿呆な私でもわかる。けれども、数十年後に地球がどうにかなってしまうかもしれない、ということは、天才秀才の人でもはっきりとした答えは出せまい。例えば、子の子が大人になった時代。子の子が地球の衰退により、不幸な思いをすることになるかもしれない。子の子が不幸ならば……という話である。このへんの考え方は、インディアンの「7世代先を見る」という考え方と似ている。

人の生活の根本にあるのは、何か?というちょっと哲学的な思考をしたくなるお年頃だったのだろう。この考え方は、今でも私の根の部分に生きている。そのきっかけとなったのが、「里山資本主義」なのだ。

この本にも書いてある「晴耕雨読」の生き方を実践するのが、私の人生における「成功」である。
(2021年現在、程遠い模様)

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