2023年 春の山菜とそば処なが井

春を感じるできごと

梅の花が咲き、桜の花が咲き、タンポポの花が咲く。つくしが姿を見せ、杉の花粉症が収まりつつある頃、スタッドレスタイヤをノーマルタイヤに履き替える。その都度都度で、こんなことを思う。

ああ、今年も春が来たんだな、と。

2023年の春は桜がやたらと早く咲いたが、それ以外はいつもと同様に、春を感じた。でも、何かが足りない。「春到来」の実感が、まだ少しだけ足りないと感じていた。

そんな折に、母と二人で蕎麦屋へ行く。笠間市にある行きつけの蕎麦屋「そば処なが井」である。その日は珍しく「裏口」から入った。表口の駐車場がちょっと停めにくいから、という理由だった。店に入り、お品書きを見る。母は迷わず天ぷらそばを頼む。私も天ぷら……と言いかけて、黒板に書かれているメニューに目が留まる。

「春の野菜天ぷらそば(だったと思う)」

続いて、このように白のチョークで書かれていた。

「筍 うど たらの芽 こごみ 三葉 ふきのとう」と春の山菜の名がずらり。

ああ、そうだ、今年の春はこれが足りなかった。春の山菜を食べていなかった。

近年、春になると決まってコシアブラを採りに山に行っていたが、今年は忙しくてそれができていなかった。それが、「春到来」の実感が不足している原因だった。

そば処なが井の春の野菜天ぷらそば

なが井の春野菜天そばには、あいにくコシアブラが入っていなかった。これは私に「山に行って採ってこい」と言っている気がした。

よし、山に行こう、コシアブラを採りに行こう、と早速「元」同僚のH氏に誘いのラインを送り、そばをちゅるるとすすった。うまい。何度も食べているそばなのだが、以前よりもおいしくなっている気がした。
続いて、春の山菜の天ぷらどもを食す。塩をちょいとつけ口に入れるとパリパリとした衣の食感の後に、山菜の苦味が口の中に広がる。

うまい。その苦味に春を感じた。

店の主人が出てきたので「山菜ってどこで入手してくるんですか」と聞いてみた。すると「うちのお客さんには山菜採りの名人がたくさんいてね~」と主人が言う。「山菜採り」という言葉に反応してしまう。ますますコシアブラを採りに行きたくなった。

そばを食べ終わり、外へ出る。裏口は蕎麦屋の庭を抜けていくのだが、戻りながら幼少時代のある出来事を思い出した。

「俺が転がり落ちた階段ってどこだっけ?」と母に聞いた。

なが井の元主人は、父の親友だった。そのため、私は幼い頃からなが井に連れてこられた。そんなある日、私はこの家の外に備え付けられた鉄の階段から転がり落ちた。唇が腫れ、頭にたんこぶができたくらいで済んだのだが、その事件から階段を下りるのが怖くなった。それは、とても長く急な階段だったと記憶していた。

「あんた、よくそんな昔のことを憶えているわね」と母は言いながら、階段を指し示す。

「その階段よ」

階段は、記憶よりもはるかに短くゆるやかなものだった。過去は美化されるというが、過去の恐怖心は増幅されるものらしい。

その翌日に、H氏とコシアブラを採りに行くことになった。わくわくしながら朝を迎えると、あいにくの雨だった。ちょっとやそっとの雨ではなく、一日中雨の予報だった。コシアブラ採りは中止になった。

その日は既に4月15日。それよりも先になるとコシアブラを採るには時期が遅すぎる。今年のコシアブラは諦めることになった。残念無念、今年の春はコシアブラ抜きに終わりそう、と嘆息していたところに、H氏から嬉しい報せが届く。

「コシアブラ、少し余っているからあげるよ」

私はH氏の住む御前山まで車を走らせた。その日の御前山はとてもいい雰囲気を醸し出していた。雨と雲に包まれて、ただでさえ小さな山がいくらも姿を見せてくれないが、その霞んだ様子がどこか遠くの町にやってきたような旅情を感じさせた。

H氏からもらったコシアブラ

久々に会ったH氏は元気だった。仕事が変わり、気持ちもリフレッシュできたのであろう。念願のコシアブラを貰うと、代わりに買ってきたメロンを手渡した。

翌日、天ぷらにしてコシアブラを食べた。採ってから1週間くらい経ってしまっているとのことで、風味はあまり感じなかったが山菜特有の苦味が感じられて、うまかった。

春ですねぇ。

私の中が「春」で満たされた。

春といえば、進級、入学、入社、部署移動……、環境の変化が訪れる季節でもある。私の職場環境に変化はなかったが、H氏や子どもたち、周囲の人々の変化を耳にすると、こちらの心もキリッとして背筋が伸びる思いである。フレッシュな話を聞いていると、こちらも気持ちが若くなる。どれくらい若くなるかというと、そうだな、三歳(山菜)くらいかな。

コシアブラの天ぷら