食、農、種、生物、エネルギー、自然環境……文化、経済、政治、戦争。
すべてはつながっていて、何一つ無碍にできないもの。
(取材日:2022/8/18)
お盆をちょっと過ぎた頃に、城里町の高萩さんの畑にお邪魔した。
高萩さんの顔を見て、ある変化に気付いた。高萩さんの下唇が、ぷくぅと見事に腫れているのだ。
「実は、ハウスで除草作業中にアシナガバチに刺されてしまいまして」
ちょ、ちょーさんじゃないですか! と思わずぷぷぷっと笑ってしまう。今にも「次、行ってみよう」といわんばかりの見事な下唇に仕上がっていた。
痛くないんですか? と聞くと。「ええ、まぁ、少しは」と本人は至って平然としているが、顔を見るたび思い浮かぶのはいかりや長介の顔である。
その日は高萩さんと生姜畑の草取りをした。前日に行方市の塩田さんの畑で嫌というほど草を取ってきたが、この日も同じく嫌というほどに草を取った。
草取りを終えると、高萩さんの家の前の椅子に腰をかけ、いつものように話を始めた。
先ほど草を取っている時に、アスパラガスのハウスを一棟潰したと言ってましたよね?
「アスパラも直売所で思うように売れなくなってきて、だんだん採算に合わなくなってきたんですよね。コロナの影響もあると思うんですけど、アスパラはどちらかというと高級野菜なんで別に買わなくてもいいんですよね。私も自分だったら買わないな、と思うくらい高いんですけど(笑)」
高萩さんの唇だけではなく、畑(ハウス)にも変化があった。アスパラガスのハウス一棟をつぶして転作し、きゅうりやトマト、ズッキーニといった野菜を作っていた。アスパラの収量が落ちているらしく、採算が合わなくなってきたのだ。
「もっと身近な野菜にシフトしていこうかなと思うところもあって。自分たちの生活に必要な野菜を増やしていった方がいいのかなと思いました」
今はアスパラのハウス一棟分で、試験的にいろいろな野菜を作っている。育ち具合を確認しているところらしい。
「今栽培している野菜は雨除け栽培に向いている品種なんですよね。露地よりも。生育がよくなる野菜。露地よりもメリットのある野菜をハウスの中で作るようにしています」
他のハウスのアスパラの出来はどうですか?
「去年はイマイチと言っていましたが、今年はもっとイマイチです。これはもう株が弱っているなと。これ以上続けても赤字になっちゃうんですよね。ハウスを5棟持っていて、全然お金にならないというのは意味がないので。転作の作物の方が売上が上がる作物があるんですよ」
せっかく立派なハウスがあっても、収穫量が上がらないと面積を占有するだけになってしまう。いくら代名詞的な野菜とはいえ、背に腹は代えられないといったところか。
「有機農家でハウス5棟も持っていれば、いろんな野菜を植え付けられるんです。だから、ハウスを持っているメリットを生かしていこうと思いました」
だからといって、高萩さんは無理をしない。ハウスはあくまで雨除け対策程度の利用に留めている。
「ほとんどの野菜って日本の気候に合ってないと思うんですよ。日本は雨が多過ぎて、病害のもとになるし雑草がすぐに生えてしまう。雨を防ぐことさえできれば、素直に育ってくれる野菜が多いんですよ」
病気が防げる上に雨が防げて草の成長がいくらかでも緩まれば、管理面も楽になるという訳か。確かに、先ほどの生姜の草取りは大変だった。
「生姜の草取りだって、雨が少なければもっと楽なんですよ。それをハウスでやれば、草取りも1/5で済むし労力がかからないんですよね。雨除け有機栽培の可能性を探っているところですね」
さすが「ズボラ農業」を志す高萩さんだ。少しでも働かないように頭を働かせている。
「トマトって意外と夏にあまり収穫できないんですよ。ハウス栽培だと高温になり過ぎてしまうし、路地だと雨の影響で実割れしてしまうし。でも、雨除けをつかえば夏でも採れるんですよね。普通の家庭菜園と同じ作型で作っていては、われわれ農家の存在価値ってないと思うんですよね。特に農業県の茨城では」
確かにそうかもしれない。農業産出額が全国3位(2021年)の茨城県は言わずと知れた農業大国。市街地や住宅地をちょっと離れれば、田畑が広がる地域である。
一戸建てに住む人の数も多く、茨城県の持ち家率は71.2%(全国12位。出典:社会生活統計指標-都道府県の指標-2020)。園芸・ガーデニング行動者率は2016年のデータで茨城県は全国一位となっている(出典:総務省の社会生活基本調査2016)。
茨城県はそれだけ「農」や「農業」が身近にある県だ。その茨城県で農業をするからには、消費者にインパクトを残すためにも「違い」を見せたいところである。
「それは冬にトマトを作れっていう意味ではなくて、例えば今だったらまだまだ暑いからトマト食べたいじゃないですか。そういう時期にトマトを作って供給するのが農家の役目なのかなって」
農家はただ野菜をたくさん作ればいいという訳ではない。量だけではなく、品質も求められるし、タイミングも大事だと高萩さんは言う。
「家庭菜園と真逆の作物とまではいかなくても、ちょっとした端境期に出荷できるようにならないと。家庭菜園ではどうしても作りにくい時期に農家が作ることが、農業県・茨城の農家には求められているのかなと最近思います」
ハウスを使えば、その可能性も広がるということか。
「ただ有機だから買ってください というのではなくて。家庭菜園でも作れるものを売るのでもなくて。野菜の駅の売れ行きを見ていてもそう思います」
そう言って、高萩さんは一冊の本を私に見せた。
それは「SOIL MAG」というMOOKで表紙には「小さな自給のカタログ」と書かれている。
「この本にも書かれていますが、非農家の一人ひとりが最低限の食糧を家庭菜園で自給できるようになるのが理想と書かれています。そうなれば、農家なんていらなくなりますよね。農家はそのための橋渡し役で、最終的にはいなくなるのが理想なのかなと。みんなが半農半Xの暮らしをして好きなように生きていく、というのがいいのかな」
国民総農家化……とまではいかなくても、自分で食べる分は自分で作るという世の中か。分業化が進み、人が生きる上で重要な要素である「食」の部分への携わり方が弱くなり、その結果今食べているものがどのように作られているかよりも、どれだけ保存が効くか、味がするか、ばかりに気を取られている。人間は原点回帰をするべき時が来ているのかもしれない。
ただ、いざ自分で食べ物を作るとなると、大変だ。除草剤を使わない有機農家は、草取りがとにかく大変。そこで私からの提案が以下だ。
「昨日も塩田さんと話していましたが、夏は徴農制を作ればいいのではと(笑)。企業は時期を少しずつズラして、農業をやる。主に草取りですが」
「自分たちが食べるためと思えば、一生懸命やるもんですよ。それは農家も一緒で。去年なんか大豆は家庭菜園レベルでいいと思っていたので全然力を入れてなかったんですけど、今年は考えが変わって自給自足こそが根本だと思うようになって草取りをしっかりしたら立派に育ってくれています」
「自給自足」は本日のキーワードになる言葉だ。最近高萩さんの畑に来る度に、その言葉が出てくる。高萩さんの向かっている方向性が、その言葉に表現されている。
「最近その想いが強くなってきました。だから種にも興味が出てきたんです」
「種」というのは、作物の種を買わずにつなぐこと……自家採種というヤツである。いわゆるF1の種というのは発芽率は良いのだが、F1で育った作物から採った種を蒔くと生育が悪い。自家採種ができずに一代で終わってしまう。要するに持続可能ではないのだ。
「アスパラの調子が悪くなったのも『もう俺の役目は終わった』とアスパラが言っているような気がして。私も手を抜けるところは抜いていたので、というのも自然栽培に近い管理になっていたので、だから必然的にこうなっている気もします。でも、そういう時こそ変わるチャンスというか。変化が起きたときは「変わる」サインだと思うんです。農業をやって10年になりますが、今が一番の転機じゃないかと感じています」
私にとって「城里町の高萩さん」といえば、アスパラガスのイメージが強い。高萩さんは就農当初からアスパラガスを作ってきた。そのアスパラをまったく作らなくなる訳ではないが、ハウス1棟分潰すなんて。何だかお気に入りの芸能人やスポーツ選手の引退宣言を聞いたような、そんな寂しさを感じた。
「レンコンとマコモは継続しますよ。どちらも種が採れるし、無肥料で育つ作物なので。これからの方向性と一致しているんです」
レンコンは種を採っているですか?
「採っています。もう7世代くらいになりますよ。だから、前にも言いましたが私が爺さんになる頃には『城里在来』と名乗っても怒られないんじゃないかと(笑)」※レンコンの出来が悪いときは種レンコンを購入することもある。
同じくマコモも4,5年は種を繋いでいるという。肥料もやらずに、植えっぱなしの状態らしい。ちなみに本日草取りをした生姜は種を買っている。種代が高く中国から輸入品を使用している。国産の生姜の種は意外と質が良くないらしく、8年ほど前に国産の種で失敗してしまったことがあり、それ以来中国産を使っている。
「一部の農家は生姜の種採りに成功しているんですよ。生姜の種をつなぐのは難しいんですよ。種採りできるならばそれに越したことはないんですが、うちはそこまでできないから買ってますね。全部の品目を採種しようとするのは今は難しいので、少しずつ進めているところです」
大豆は種をつないでいるんですよね?
「大豆は常陸大宮の農家から種を購入して、今年も元気に育っています。大豆はずっと種を採ることができて、しかも人にとって大事なタンパク源ですから。米と大豆があれば飢え死にはしないですからね。重要な作物なんです。だから、これからは米と大豆を重要視していて、まずは畑で作れる大豆を優先して作っています」
そういえば、蓮田の隣で米を作ると言っていましたね。
「前から田んぼは借りていたので、いつかは作りたいと思っていました。このご時世もあって作物は自給できた方がいいなと思って農家として。1年食べる分くらいの面積はあるので」
種……。高萩さんは今、農業の……というか人間の、生命の根本に立ち向かっている。
高萩さんは極力肥料もやらない方針である。
「ハウスもほとんど無肥料でやるつもりなんです。ハウスのデメリットは肥料を入れてしまうと、その成分を抜くのが大変というところがあって。だったら最初から肥料を入れない方がいいやと。肥料をやりすぎると病気の原因にもなるので。日本のほとんどのハウスは肥料過剰になっていると思いますよ」
肥料の成分が残ると、それを目当ての害虫が発生する。それに加えてある成分が強すぎると、他の成分を吸収できなくなる恐れが出てくる。
「だったら自然に任せてしまった方がいいんですよね。幸いうちのアスパラハウスは草取りをしてそれをそのまま土に還してきたので、肥料をやっていなくてもものすごく野菜がよく育っているんですよ。育ちが良いのはアスパラ以外の作物ですけれど(笑)」
草も立派な肥料になるのだ。自然の肥料成分がハウス内の土に循環し、作物の生育に役立っているという。高萩さんはなるべくその状態を壊さないように、肥料を入れるとしても米ぬかを発酵させたボカシ肥料などにしている。無理と無駄のない、持続可能な管理方法といえよう。
では、動物性の肥料は使っていないのでしょうか?
「なるべく使わないようにしています。動物性肥料は劇物みたいなものですから。一度悪さをすると、それがなかなか抜けないんですよね。露地栽培ならまだいいんですけれど。野菜の味にも悪影響を与えてくると思いますよ」
高萩さんの目指すところは……自家採種と無施肥。あとは……?
「できればエネルギーを使いたくないですね。不耕起栽培が究極の形なんですけどね。うちはまだそれができるレベルではないので。でも、ハウスならば不耕起に近いことができると思ったんですよ」
前述したように、ハウスは雨を防ぐから草が生えにくく、管理がしやすい。露地だと草が旺盛に生えるから、トラクターを使いたくなる。
「(栃木県の)茂木町の『月noco』さんも、お米の不耕起栽培を試験的にやっていたんですけど、けっこううまくいってたんですよ。去年稲を植えた列の間に、新しく稲を植えるというやり方だったんですけど、よく育ってました。それがうまくいけば、トラクターをいれて耕す必要がなくなりますよね」
燃料を要する機械を使わなければ、エネルギーも使わなくて済む。農機の燃料は化石燃料が多い。化石燃料は当然無限ではないから、持続可能性は低くなる。
「エネルギーが一番のネックですからね。いくらお米の自給率100%だといっても、石油を止められたら米作りできなくなってしまいますよね。だから、なるべくローカルエリアで、エネルギーを使わずに移動できる範囲で農業ができるのが理想ですね。遠くに行くから、行くだけで燃料を使いますからね」
たまに遠くに行くならいいですけれど、日常的となると移動だけでけっこうなエネルギーを使いますよね~。と、返答しつつ、普段の自分の生活を振り返る。通勤距離往復100kmを超えているから、環境問題への影響だけではなく車の耐性の問題も出てくるし、経済的にも無駄が出ている。高萩さんの言葉が、私の心にグサッと刺さった。
「もちろん、ゼロにはならないでしょうけれど、それに依存しすぎてきたのが今の社会なんですよね。みんなずっとこのような暮らしができると思っていたかもしれませんが、日々使っているエネルギーは有限ですから。持続可能ではないんですよね」
わかっちゃいるけれど、そう簡単に止められない(辞められない)。この日の高萩さんがいかりや長介ならば、私は差し詰め植木仁か。
そして話題は、エネルギー問題から食料自給率問題へと移っていく。
「昨日本を読み返してたらやっぱりなぁと思ったのが、今までの食料安全保障って食料自給率ばかりあげてもしょうがないと言ってたんですよ。日本の効率の悪い農業に金をかけて、自給率を上げるのは無意味だという論者がけっこういたんです。彼らは多様な調達先を見つけることが食料の安全保障だと主張していました」
高萩さんの読んだ本には、こう書いてあった。カナダがダメならアメリカ、アメリカがダメならオーストラリア……といった具合にいくつかの窓口を持つことが重要で、その中からバランスよく調達することが食料安全保障だと。逆に、農水省が同じ時期に出した本には結局自国の囲い込みがそれぞれの国で始まったら、お金を出しても買えなくなるからっていう主張が書いてあったという。
「当時は多様な調達先をという論の方が支持されていたみたいですが。今は当時の農水省が自分の論理のために言っていたことが、実は正しかったっていうことが起こっていますよね」
時代が変われば人も変わる。すると、同じ立場でも主張することが違ってくるのか。
「涌井先生も言っていましたが、世界の農地の三分の一の土はもうダメになってしまっているらしいです。化学肥料を入れすぎたりして。それが進んでしまうと全世界がダメになってしまう。どこの国からも食料を調達できなくなってしまいます。今は、それに備えるべきなんです」
そうなると有機農業や自然農法は、結果として人々の健康や環境にやさしい農法というだけではなく、自給率を高めるためにも重要になってくる。そして、食料自給率を高めるということは……。
「結局食料も戦略物資ということですよね。他国に依存していたらダメなんです。自国にデメリットがあれば売ってくれませんから。今は食料が生殺与奪を握る根本の戦略物資だとはっきりわかったと思いますよ。
戦闘機やミサイル以上に大事な物資だということが」
高萩さんの言葉の中に気になるワードが……「生殺与奪を握る」って言葉けっこう使うんですか?
「え?!」
いや、会話の中で聞いたのは初めてだったもので。
「本当ですか? よく本とかには載ってますけどね」
私は鬼滅の刃で初めて知りましたが。
「あ、そうなんですか。だから、そのための農家の役割はますます大きくなっていますよね」
とこの件は華麗にスルーされ、高萩さんは話を続けた。
「一時期オランダ型の農業がもてはやされた時期がありました。要は自給は完全に放棄してお金になる野菜とか花で儲けようっていう。日本も同じようにするべきだと言われていました。お米や大豆なんて作らないで儲からないのは輸入して、高く売れる得意なものを集中して作りましょうと。トマトも高い鉄骨のハウスを建てて、その中でバンバン収益を上げましょう、というのが農家として評価されてきたんですよ」
でも、それにも限界がありますよね? 同じようなものばかり作れば、需要と供給のバランスが崩れてしまう。
「今、それが起こってますよ。トマトも企業が参入しすぎて価格が暴落してみんな困ってますからね。今はそれがネギで起こっていますね。ネギなんて今までは新規就農者の作る王道の野菜だと言われてネギ農家が増えたんですけれど、みんなネギをやり始めて値崩れを起こしています」
みんなが作ることができる野菜、特に企業が参入できる野菜は要注意だという。ならば、国内だけではなく国外に目を向けて……と考える人もいるだろうが、それも最終的には同じ結末になる。
「輸出も同じことが起きる可能性はありますよね。対象となる人口は増えますけれど、限界はあるしライバルは増えますし。そこで競争が起きれば値崩れは起こしますよね」
生活に関わる部分は自国で補って、かといって海外からの輸入輸出を止めるのも面白味に欠ける気がしてしまう。ならば、そういった部分は嗜好品として残せばいいんじゃないかと。
「そうですね。観光だってそうですね。違う文化を理解することも大事だと思うので。結局は個人レベルで人と人が付き合えば、争いごとは起きないと思うんですよ。国家とか組織とか、そういうことが絡むと起きてしまう。人が権力を持ちすぎてしまうと、良くないんですよね」
民主主義は万能ではない。ただ、今のところは一番良いかもしれないってだけ。ということを、先日ラジオ番組でどこかの頭脳明晰な方々が話していたのを思い出した。
「国民国家の危険性がだいぶわかったんじゃないですか。今そういう国の仕組みが当たり前だと思っていますけれど、そろそろ見直す時期なのではないかと。今という時代の仕組みは、歴史上の一つの形に過ぎないので」
話がだいぶ大きくなってきた。けれども、農も環境もエネルギーも種も医療福祉も、すべてはつながっていることなんだ。
「日本だって、昔戦国時代に徳川に統一されて幕藩体制ができて、それぞれ自立してやっていましたけれど、今は日本国だから。たとえば北海道と沖縄が戦争するなんてありえないじゃないですか。世界もそういう風になれば世界平和も訪れると思うんですけど、ただ文化の違いとかいろいろありすぎて同じようにはいかないと思いますけど、でも論理でいえばそういうことも可能じゃないですか」
なかなか難しいことかもしれないが、これからの共生時代は人類共通のルールがあってもいいかもしれない、とは思う。
「ただそのために軍事力が使われるかもしれないですし、それに代わるやり方があればいいなぁと思います。もっと平和的な形で国民が望んでシステムが変えられれば。そのために人が国々を行き来して、お互いを理解しあうことは大事なのかなぁと思いますね」
便利になった面は、人が歴史の中で作り上げてきた部分なので、そこはそこで生かしていきたいという想いもありますねー。
「悲劇を寸前で止めるのは、案外個人レベルの信頼だとかそういう感情だったりしますからね。元々知り合いだったとか、そういうレベルのことが引き金になって悲劇が起こるのを防がれたってこともありますからね」
高萩さんと話をしていて、セヴァン=スズキの伝説のスピーチを思い出した。
「直し方がわからないものを壊さないで」
1992年のリオデジャネイロで開催された地球サミット。そこで、当時12歳の少女が放った言葉がそれだ。彼女の言葉が、世の人々の指針になれば良かったのに。
現状を見ると、だめだこりゃ! になってしまいそうだ。