那珂湊で芋菓子やカステラを買い、おさかな市場で海の幸を食べ、反射炉まで散歩する(2024/6/2)
★ ひたちなか市那珂湊で焼き芋ブリュレを食べる
先日、川越に遊びに行った時に買った「さつまいもチップス」を妻が偉く気に入ったらしい。
「茨城県でも買えるところないかしら」
川越から帰ったあとにそう言っていたかと思えば、数日後にぷ○ざ(茨城のタウン情報誌である)を持ってきて「ここに行きたい!」と言う。そこは、ポテトラボというひたちなか市にあるさつまいも専門店で、妻のお気に入りのさつまいもチップスも売っているというから、日曜にひたちなか市に行くことにした。
ポテトラボは、那珂湊駅の割と近くにあり、小奇麗で洒落た店だった。店の目の前に車を停めて、店の前に出されたオススメが書かれた看板を見る。「焼き芋ブリュレ」が宣伝されていて、それは芋の上にアイスが乗っかっているお洒落なお菓子だった。これはチップスよりも旨そうだと思う。
「ブリュレ買おうかな」と妻に言うと「それ、職場の人がみんなおいしいって言ってたよ」と言うから尚更買いたくなる。
店内に入ると、外観のイメージ通りで小奇麗で洒落ていた。芋のプリン、芋のフィナンシェ、干し芋……など、置いてあるものはどれも芋ばかりだ。その中に、妻念願のさつまいものチップスもあった。それを見つけた妻は、早速二袋手に取った。
他にも芋お菓子をいくつか買い、レジへ向かう。芋のお店で働く店員さんは、芋っぽくない可愛らしい女性だった。
店を出ると、那珂湊を散歩したくなった。妻はもう一軒行きたいところがあるらしいから、そこへは歩いていくことにした。散歩の前に、先ほどポテトラボで二人して買った芋のブリュレを食べる。アイスと芋の組み合わせ。当然甘い。けれど、うまい。血糖値が気になったが、これから散歩するから±0だと言い聞かせた。
★ 菓子工房SAKABAまで那珂湊臨港線廃線跡道路を散歩
さて、次に目指すはカステラのフルーツサンドが売っている菓子工房SAKABAという菓子店。またしても、甘いもの。断っておくが妻の趣味だ。私は甘いものは……好きではないとは言い切れないが。
駅前を横切る大通り・県道6号をふつうに歩いてもつまらないから、一本裏の道を歩いた。裏道には民家が並んでいて、一見ふつうの道。けれど、後々調べてみたら、「那珂湊臨港線廃線跡道路」という名のある通りであると知る。戦後、使用しなくなった弾薬を太平洋に捨てるために造られた道路で、貨物列車が走っていたらしい。そんな歴史のある道とは知らずに、のんびりと「那珂湊臨港線廃線跡道路」を那珂湊の市場の近くまで歩き、左折する。
すると、コンビニの向かいに目的の店があった。この菓子工房SAKABAもぷ○ざに載っていたお店。昔ながらのお菓子屋さんといった店構えで、店内外にある自家製の看板(お店の人が描いたという、かわいらしい看板)がいい味を出している。雑誌に載っていたカステラのフルーツサンドは、震災後から売り出した品らしい。子どもたちの土産にカステラのフルーツサンドを買い、店を出る。
★ 那珂湊おさかな市場を散歩
一度基地(車)に戻り、買ったお菓子を保冷袋に入れて置き、今度は那珂湊のおさかな市場でランチをすることにした。那珂川沿いを走る那珂湊環状線を歩く。那珂川はやがて海へとつながり、大洗のアクアワールドが見えてくる。川や海を横目に見ながらの散歩は、街を見ながらの散歩とまた違った趣があった。
市場では海の幸をいただく。妻はまぐろ丼を頼む。私も……と思ったが、食券を買う間際に悩み始める。
(魚市場に来たのだから海鮮丼か刺身を食べるべきだろうが、何かフライ=揚げ物を食べたい気もする。フライでも中身は魚とかエビだから海の幸じゃん。別に市場来たからって生もの食べなくてもいいじゃん)
結局、フライの定食を注文した。うまかった。正解。
市場を上から眺めながら海の幸を食べていると「イカ焼き食べたい」と妻が言う。デザート代わりにイカ焼きでも食べようと予定を立てたが、先に食べた芋のブリュレで腹が膨れており、その予定を遂行することはできなかった。
外に出て、市場を見ながら軽く散歩する。魚が意外と高い。1,000円とかふつうにする。こんなものなのか、魚まで値上がりしているのか、普段食材を買わない私にはわからなかった。この日はそんなに暑くもない日で、いやむしろ季節的にはちょっと寒いだろうくらいな気温だったのだが、半袖半ズボンでアイスを食べている子どもを見かけ、見ているこっちが寒くなった。
★ 反射炉まで散歩
目的を果たして、あとは帰るだけ。帰りは先ほど歩いた「那珂湊臨港線廃線跡道路」のさらに一本海側の道を歩き、やがて元町通りを歩く。
この道にもちょこちょことお店があり、こんな目立たない通りにあるお店にいったい誰が行くのだろうかと不思議に思う。他にも小さな新聞社があったり営業しているかどうかわからないホテルがあったり(ここは結婚式場も兼ねていた)。既に潰れてしまった肉屋や本屋があったり。このような小さな町の小さなお店たちを見るたびに、思うことがある。
(一日の売上ってどのくらいなんだろう。やっていけるのだろうか)
とある時計店の前に来て、
「生計立つのかな」とうちの妻ですら心配していた。
「いや、別の収入源があるんでしょ」と私。
オダギリジョー主演の映画「転々」を思い出す。あの映画でも、街の時計店の目の前で、同じような会話をしていた。映画では店の店主とケンカになっていたな。
那珂湊の時計店の店頭には何故だか「真実の口」が置いてあった。時計店の生計よりも、この真実の口が時計店に置いてあることの方が不思議だ。
那珂湊天満宮を通り過ぎ、さらに歩くと海側に小高い丘が見えてきた。その丘は木が生えていて森のようになっていて、ちょっとした山、もしくは古墳のように見える。その森からちょこんと異形な建物が顔を出しているのを発見した。
ちょっと不気味な佇まいだが、いったいなんだろうか。始めは宗教施設だと思ったが、このあたりに「反射炉」という看板があったのを思い出す。
「あれはきっと『反射炉』だ。行ってみよう」
「反射炉って何?」
「わからん」
反射炉が何だかわからない。わからないが、その姿を見て行きたくなった。私たちは導かれるように反射炉に向かう。既にそこそこの距離を歩いていたから足はそこそこに疲れていて、そこそこ帰りたい気分だったのに。
(これは反射炉のせいだ、きっと)
反射炉のちょっと不気味でちょっと不思議な姿が、あとは帰るだけのはずだった私たちの散歩に新たな目的地を追加した。
少し歩いて、反射炉前の山上門に着き階段を登ると、果たして反射炉はあった。背の高い棟が二つ並んでいて、その間に石碑が建てられており、その前には大砲があった。
「おお、これが反射炉」
「だから、反射炉ってなんなのよ」
「わからん」
すぐ近くに看板があって、そこに反射炉についての説明が書かれていた。斉昭公が大砲を作るために建設したものらしい。後で調べて分かったが、反射炉は不純物を含む鉄を溶かして優良な鉄を生産するための炉であり、江戸時代末期にはこのような反射炉が水戸藩以外でも作られていた。戦後にはその数が増え、日本の粗鋼生産量は1993年から1996年の間、世界一になったという(Wiki参照)。現存しているのは1937年に復元されたもので、実際に使われた反射炉は1864年に破壊されてしまった。
看板の説明を読んでいたら、どこからともなくお婆ちゃんがぬっと現れ、ちょっと驚く。こんにちは、と挨拶をする間もなく、お婆ちゃんは反射炉の脇を通り、そのまま奥に消えて行った。
気を取り直して、せっかくだからと反射炉の写真を撮る。縦に長いので、全景を撮るのが難しい。妻が「こうすれば全部写るのよ」とスマホを上下逆さまに構えて撮ると、何故だか全景が映った。
反射炉の前で写真を撮りながらきゃっきゃとはしゃいでいると、またぬっとお婆ちゃんが現れた。
「わっ」と思わず声を出して驚く。さっきどこかへ行ったと思ったのに。怖くなって足早にその場を去った。
「あれは反射炉の精だ、きっと」
私は階段を下りながら、怪談じみたことを言った。