信頼できる仲間とともに。いばらきぴーすふるファーマーズ始動(2024/11/30)
芋ほりなんていつ以来だろうか。
土を掘り分けながら思い起こしてみると、小学校の低学年の頃に学校の授業だかイベントだかでやったことがあった。一心不乱に芋を掘り起こす幼い頃の私は、それこそ一心不乱であったから、芋を掘ること以外に意識は向かず、周囲の子どもらが掘った際に出た土を背中やらに被り、先生に叱られたのを覚えている。
叱ることないじゃん、先生。むしろ、その集中力を褒めてくれたら良かったのに。そうしたら、私は得意になって、いろんな物事にその集中力を発揮する大人に育ったことであろう。
きっと今頃は大金を稼ぎだすエリート商社マンになっていたに違いない。あの時、先生が叱ったから、おかげ様で私は飽きっぽくていろんな物事に中途半端に手を出すおっさんに育ってしまったではないか。ポイ活やらidecoやらふるさと納税やらをちまちまとやらずに済んだだろうに。
晩秋の茨城県東茨城郡城里町の畑で、私と高萩和彦さんはさつま芋の収穫に勤しんだ。株元を両手で円を描くように優しく掘り、さつま芋の頭の感触を得たら、その周囲を掘る。そうして、いくつかある芋の存在を確認したあと、両手で芋を支えて力を込めてゆっくりと引き上げる。すると、ツルに連なる芋が数個くっついてきて、すっぽりと抜ける。気持ちがいい。芋づる式とはこのことか。
「ここの列は生分解マルチを使ってみたんです。茨城県からの補助が出るので、試験運用してみたんですが。実際に購入して使うとなると、私の畑では1株20円くらいのコストになるので、割高ですね」
高萩さんは言う。生分解マルチ=「生分解性マルチフィルム」は、使い終わったマルチが土壌中の微生物によって水と二酸化炭素に分解される。そのため、回収の必要も処分の手間も費用も発生しない。従来のマルチはプラスチック製のため、脱プラの潮流に反するし、処分するのにも金がかかるから、より環境にも財布にもやさしい農資材と思いきや、購入するのが割高だと使う人も増えまい。
「今までのマルチに生分解マルチのコストを上乗せしてしまえばいいんですよね。もっと安くなれば、みんな生分解マルチを使うようになるのに」
いかに、従来のプラマルチよりも環境にやさしいとはいえ、高コストは事業者にとっては死活問題。未来の生活も大事だが、まずは目の前の生活を支えられないと元も子もない。わかっちゃいるけど、やめられない、とはこのことだ。
スポンサーリンク芋ほりを小一時間ばかりしたあと、畑の端っこにコンテナをひっくり返して並べ、それを椅子替わりにして休憩を取った。高萩さんが持ってきてくれたお菓子を食べお茶を飲み、互いにここ最近の出来事を話す。エネルギーのこと、高萩さんが最近観た映画「おだやかな革命」のこと、そして、「いばらき ぴーすふるファーマーズ」のこと。
高萩さんのここ数か月の中で、特筆すべき活動が水戸市近隣の有機農家の生産者グループ「いばらき ぴーすふるファーマーズ」での活動だ。メンバーは全部で5名ほど(2024年11月末現在)。みな、笠間市の「あした有機農園」の卒業生、もしくは関係者であり、あした有機農園設立者である涌井義郎先生の哲学を理解する人々だ。彼らは皆JA水戸の有機農業研究会のメンバーでもあり、有機農業に対して高い志を抱いている。
メンバーは30代から60代と幅広く、女性農業者も2名いる。中にはデザインの仕事を同時にこなす農家もいるなど、個性豊かな生産者グループになっている。
「ピースフルっていい言葉がですね」
私が褒めると、高萩さんは「そうなんですよ、とてもいいんですよ」と嬉しそうに話す。
「私はサスティナブル・ファーマーズにしようと提案したんですが、却下されてしまいまして。でも今となってぴーすふるファーマーズの名前はすごく気に入っているんです。ピースフル、つまり平和的って意味ですよね。それは誰とも敵対しないという意味にも捉えられます。オーガニックという言葉を入れるという案もありましたが、有機JAS認証の関係もあってそれだと面白く思わない人も出てくるんですよね」
巷に出回る有機JAS認証の農産物。それは、厳しい審査を通った農産物であるという証でもあり、その認証を取るのに高いお金を払っているという証でもある。いかに有機農法に思い入れがあって、それを続けていこう、広めていこうとしている人でも、この認証を取得しなければ売場に「オーガニック」「有機野菜」という名称すら使用することができない。
そのような農家にとって(非JASという呼び名もあるようで)、有機JAS認証はちょっとばかり厄介なシロモノであり、また有機JAS農家にとっては非JAS農産物が有機やオーガニックという言葉を使うのをよく思わない人もいる。
ピースフルという言葉は、そういった敵対を生まない。有機農業について、農業の在り方について、環境問題について違う考え方を持つ人がいるのは、いわば仕方がないことで。そのような違う意見の人とも、敵対しない。
「ガンジーの非暴力・不服従のような感じでしょうか。それって本当の理想の社会のありかたかたかな、と思っていて。相手をことさら否定して、滅んでしまえと思うよりは、相手が変わるまで根気よく待つ。それでも相性が悪い相手はいるので、そういう人とは距離をとって、その人が変わってくれるまでずっと待つ。その間に自分自身は考えを深めていく。相手を否定しないで、相手を尊重して。私たちの想いというのは伝えて、それが今はわからなくてもいつかわかってくれればいいなぁ」と高萩さん。
「いばらき ぴーすふるファーマーズ」はもはや「運動」だな、と私はうっすらと思った。
高萩さんの話を聞いていたら、とても長い休憩になってしまった。もっと話を聞きたいが、とりあえず目の前の仕事(芋ほり)を終わらせないと。私たちはその後、日が暮れるまで芋ほりをした。
収穫したさつま芋をトラックに積み、高萩さんの家に帰ったころには、あたりはとっぷりと暗くなっていた。高萩さんは石油ストーブを引っ張り出して来て、火を灯す。家の前に椅子を並べて、ストーブを囲み、温かいお茶を飲みながら、私たちは先ほどの会話の続きを楽しんだ。長男の宗太郎君(4歳)も交えて(宗太郎君は遊んでいたけれどね)。
まずは、「いばらき ぴーすふるファーマーズ」の活動について。とある茨城県内に本社を置くスーパーが水戸市大町に新店舗を出店するにあたり、高萩さんは有機野菜のコーナーを設置する交渉をした。意外にも、高萩さんにとってこれが大手スーパーとの初めての商談だったという。
その時点では「いばらき ぴーすふるファーマーズ」という名称はなかったが、その構想はすでに高萩さん頭の中にはあった。スーパーのバイヤーは高萩さんの構想に協力的で、スーパーに有機農家(非JAS)の売場を作ることになった。
「オーガニックの流れを水戸を中心に作りたかったんです」
高萩さんは熱っぽく話してくれた。
有機農家の共同売場では、生産者が直接お店に出荷に行き、売場に野菜を並べている。売場の状況は、その都度写真におさめ、メンバー内のSNSで共有しているという。これにより、何の野菜が売れているか、売場に足らない要素は何か、などを日々確認している。このような連携が取れているのも、皆が同じ方向を向いているから。
「有機JAS認証ではないけれども、栽培期間中農薬不使用、化学肥料不使用の野菜売り場は、私の知る限り大手スーパーで初めてだと思う。それはとても革命的なことですよね。メンバーの農家は皆、売り先に困っていました。有機農法で野菜を作っても、一人だとどうしても受けれいてもらえない。直売所に出しても価格競争に巻き込まれてしまう。せっかく有機で作っているのに。だから、この話は彼らにもニーズがあったんですね」
個々の有機農業での生産力は、慣行農業のそれよりも当然低い。有機農業は手間がかかるし、生産する上でのリスクも付きまとう(農薬を使わないから)。多品目栽培でリスク軽減をすると、一つの品目で出荷できる量が限定的になってしまう。
「有機農家の一番の欠点はまとまらないこと。有機農家って好き勝手な人が多いから、まとまらないんですよ。有機といっても微妙に考えが違ったりして、誰かと一緒にやるのが嫌だという人が多い」
いくら優秀な農家でも、量が出せなければ販路も広がらない。大きなマーケットとの交渉もできないし、有機農業の野菜、そして文化・生活も広がらない。
「大きい農家に対抗するわけではないですが、代替軸として、小さい農家はチームを組まなければだめだと思いました。一人ひとりではやっぱりインパクトがないので、グループを組むことで強くなります。お互いの苦手な分野を克服できるし、出荷できる野菜の幅も広がる。つまり、総合力が出る。小さな農協みたいなものですよね。作付け会議もやろうと思っていて、誰がどんな野菜を出せるのか、共有しておきたいなと。そうすると欠品をなくすことにつながりますから。消費者のニーズにも応えられる。栽培基準も打ち合わせをして、自分たちのルールを決めようと話しています。私たちはこうやって作っているというアピールがしやすくなる」
高萩さんは今までにも「社会実験」と称して様々なことにチャレンジしてきた。けれど、野菜の駅や援農、LINE販売にしても、他の誰かが関わることはあっても、野菜を提供する人は高萩さん一人のことが多かった。それが、いばらき ぴーすふるファーマーズでは違う。同じ志を胸に抱いた仲間がいる。
「ぴーすふるファーマーズを始めてみて、あ、これは面白いなって思ったんですよ。今までにない流れで。今までの教訓を生かした結果が、今の活動だと思います」
そのように高萩さんが締めくくった時、「もう寒いから、終わりにしようよ」とタイミングよく宗太郎君が言った。今までずっとおじさん二人の話を寒々とした屋外で一緒に聞いていたのだ(ほとんど遊んでいたけれどね)。
「ごめんね、もう帰るからね」
そう言って、スマホを確認すると、妻から着信があった。折り返し電話をしてみると「いつまで遊んでいるの? 早く帰ってきなさい!」と叱られた。
ピースフルにいこうぜ、と妻に言いたくなったが、火に油を注ぐ言動と思い、自粛した。芋ほりをして、これ以上叱られたら堪ったものではない。叱らずに誉めてくれれば、大金を稼ぐ良夫になるのに。妻もいつかそのことをわかってくれるはず。私はじっと、待つことにした。
涌井義郎先生の著書
涌井先生は茨城県水戸市の農と食の専門学校「鯉渕学園」で30年間教鞭をとった後、笠間市で「あした有機農園」を開き、自ら有機野菜を栽培しつつ、研修生を受け入れて有機栽培の指導・教育をしていた。有機農業に関する書籍も多数あり。