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野良本Vol.59 カム・ギャザー・ラウンド・ピープル / 高山羽根子

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いろんな「街」、いろんな「記憶」

高山羽根子本、3冊目読了。

いやぁ、面白いね高山さん。「首里の馬」以降すっかりハマってしまった。

今回読み終えたのは「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」。この本は、芥川賞候補にもなった表題作の他、3篇を収録した短編集である。物語単体で比較すると、「首里の馬」「オブジェクタム」と同等の面白さ。ただ、本(短編集)として比較すると、「オブジェクタム」よりも他作品の面白さがやや落ちるかなぁといった感じ。でも、作品ごとに作風がガラッと変わるのは本当にすごい。飽きずに楽しめた。「マンディリオンの犬」で私的にはちょっとダレたけれど。

この本の中で、物語の完成度が高いのは、やはり「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」か。過去の記憶と現在がいったりきたりして、記憶の奥底に眠った嫌な記憶を作った張本人と渋谷の街中をおいかけっこする(ざっくり過ぎる解説)。その街の描写が緻密で、疾走感に溢れていて、たまらない。素晴らしい読書体験ができた。

「謝ってすっきりされるために追いかけられる、こっちの身にもなってみろ」

帯にも書かれていた主人公のセリフが秀逸。「謝ってすっきり」かぁ。確かに。謝罪する側の心理はそういうものなのかも。謝ってもやってしまった事実は残るし、消えないのにね。謝られて、すっきりされてもね。

他にも。高山さんの作るお話は、短編ごとのつながりが面白い。特に「記録」と「街」でつながっていることが多い気がする。「首里の馬」も「オブジェクタム」も同系統。この本に収録の「マンディリオンの犬」もまさにそれ。東京・中野の街と記録のお話が静かに描かれている。

この「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」という短編集では、特に「街」というつながりが際立っている。

カム・ギャザー・ラウンド・ピープルでは渋谷、マンディリオンの犬は中野。ススキの丘を走れは東京駅の駅地下(地下街)、透明な街のゲームでは空想世界の街。「街」という舞台なのに時として主役級の存在感を示していて、読み終えた私に「街」というものを強く意識させた。

「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」の舞台となった渋谷にまつわる私の記憶を辿ってみる。若い頃の私はファッションへの意識が高く(今と違って)、茨城からわざわざ渋谷・原宿・代官山といった場所に洋服を買うために出かけていった。いわゆる「裏原宿」系ってやつだ。

アンダーカバーとかグッドイナフとかベイシングエイプとか。グッドイナフのマウンテンパーカーは未だに持っているな。2万とか3万とかしたやつ。洋服に2万も3万も使うなんて、今の私では考えられん。

常磐線で日暮里まで行って、山手線に乗り換えて原宿で下車して、洋服屋を物色して渋谷まで歩いて、さらには代官山まで足を延ばして、なんてやってたな、高校時代に。

けれど、印象に残っているのは原宿と代官山で、渋谷で遊んだ記憶はあまりない。レコード屋に行った記憶はかすかにある。あとは、高校を卒業してからブックファーストにちょこっと行ったくらい。

あまり渋谷には縁がなかったのかな~と更に記憶の奥を探ってみると。思い出したことがある。

高校を卒業して東京に住んでいた頃。専門学校を卒業した私はいわゆるフリーターで、昼は恵比寿の本屋、夜は中野の居酒屋でバイトをしながら、空いた時間で資格取得の勉強をしていた。

恵比寿の本屋はあれだ、恵比寿ガーデンプレイスの中のだいぶ前に閉店してしまった本屋。そこの本屋で朝から14時までバイトしてた。開店が10時で、14時までの短い勤務だったから、たいした役割は与えられずにレジ打ちばかりだった。昼休憩回すための人員みたいな感じ。

14時に本屋のバイトを終えると、次の居酒屋のバイトが17時からだったから少し時間が空く。この時間を利用して、私は勉強をしていた……ということになっているが、山手線に乗って一周して電車の中で昼寝して過ごすこともままあった。

いや、ちゃんと勉強をしていた記憶もある。たしか、渋谷の図書館に行ってたではないか。私はそこで、資格の勉強をしていたではないか! その記憶が蘇るとともに、もう一つ蘇った記憶がある。それは、静まり返った渋谷の図書館で、いびきをかいて昼寝していた記憶。なんだ、やっぱり昼寝してたんじゃないか。

昼寝のあとに向かったバイト先が中野の居酒屋「ニュー浅草」。東京で何店舗か営業しているチェーン居酒屋だったのだが、コロナの影響で閉店してしまったみたいだけれど。この居酒屋での思い出はたくさんあって、長くなるので一つだけ。

それはニュー浅草の「浅草豆腐」というメニューが私の好物だったこと。浅草豆腐とは、豆腐に納豆、すりおろした山芋に、マグロの刺身などを盛り合わせたものなんだけれど、素材のどれかが特別にうまいというわけではなくて、それらの集合体となった「浅草豆腐」なるものが特別にうまく感じた。親父が納豆好きで、その影響で私も納豆が好きになった。茨城県民だからね、水戸市民だからね、やっぱり納豆食わないと。

親父はよく納豆と豆腐、ネギ、それに生卵なんかを加えたものを食べていた。それがまたうまいんだ。今思えば、親父の味を「浅草豆腐」に見出していたのかもしれん。おふくろの味、ではなく、親父の味。今でも、納豆とネギと豆腐の組み合わせで食べることがある。

そういえば、もうひとつ。「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」という題名は、ボブ・デュランの「時代は変る」という曲の歌い出しの一節らしい(文庫本解説より)。ボブ・デュランを聞いたことがない私はピンとこなかったが、代わりに思い浮かんだのがビートルズの「カム・トゥギャザー」だった。

恵比寿の本屋で働いていた時、M君という高等遊民のような先輩がいた。M君は優秀な大学を卒業し、難しい本をたくさん読んでいて、難しい漫画もたくさん読んでいた。音楽も私が知らないような洒落た洋楽ばかり聞くような人だった。今は立派な職に就いているようだが、その頃のM君は質素な部屋を借りて住んでいて、バイトで生計を立てていた。

私が「お金がなくて遊べないっすよ」なんてこぼすと、M君に「本買って読んでればええやん(滋賀県出身)。安く済むやん」と言われた。私の場合、本は確かに読むけれど、遊びと本読みはまた別ものなので、遊びは遊びでしたかったのに、M君にそんな風に遊びと本読みを一括りにされたことに当時は驚いた。M君にとって、読書は遊びみたいなものだったんだろな。

M君と私は特別気が合うとか趣味が合うとかではなかったのだが、M君は何かと私に良くしてくれて、日雇いバイトを紹介してくれて一緒にやったり、部屋に招いてくれて一緒に酒を飲んだり、などと私の相手をしてくれた。私が茨城に引っ越す時には、車を出してくれて荷物を茨城まで運んでくれもした。

そのM君とカラオケに行った時、M君が歌ったのがビートルズの「カム・トゥギャザー」だった。

他にも……荻窪の古本屋でバイトしていたこと、そのバイトをクビになったこと。千歳船橋の学生寮(4畳半)で暮らしていたこと、武蔵境のボロアパートで暮らしていたこと。北綾瀬の友人の家にちょくちょく泊まりに行ったこと。

……そんなふうに。この本を読んでいて、東京の「街」で暮らした「記憶」が蘇ってきた。それをこの場に「記録」しておこう。

最近読んだ高山羽根子さんの本

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