眼前に広がる筑波山と古い家並み。いにしえより伝わる絶景の道「つくば道」を散歩
~公衆トイレを目指して~(2023/5/5)
そんなつもりはなかった、ということが人生にはいくらでもある。
恋人にへのさりげない一言が、相手を怒らせることになったり、助けてあげようと思ってやったことが、逆に迷惑をかけたり、近道をしようと思って通った道が、遠回りだったり、会議でウケを狙って放った一言が、思い切り滑ってひんしゅくを買ったり。
例を挙げればキリがない。私の歩んできた人生に限って言えば、人生なんていうのは「そんなつもりはなかった」ことばかりで、「思い通りにいった」ことなんて数えるほどしかない。むしろ、どれだけ「そんなつもりはなかった」を予測して防げるかが、よりよい人生を送るための秘訣なのでは、と思う。
「そんなつもりはなかった」ことは、大抵例に挙げたように「良かれと思ってやったことが裏目に出る」場合に使うことが多いが、その逆もある。それが、今回のつくば道散歩であった。私は「つくば道」を歩くつもりはなかったのだが、歩いてみたらものすごく良い散歩になったのだ。
その日、私たちは北条の町を散歩しにいった。つくば市北条は、かつて筑波山への参拝する人々でにぎわった町で、その頃の建物が残っており、ちょっとした「古い町並」が楽しめる。そんな風情のある町並を見ながら歩いたら楽しかろう、くらいの気持ちだった。
ぶらぶらと北条を歩いていたら、北条ふれあい館を見つけて気になったので中に入る。すると、おばあさん二人おじいさん二人が中でごはんを食べていた。ふれあい館の中はお店にもなっていて、北条米で作ったアイスクリームが売られていたから食べることにした。おばあさんたちが座っているテーブルに腰を掛けて、アイスを食べながら北条の話を聞く。
「祭りが年に4回あって、ついこの間もその祭りがあって、たくさん人が来たのよ」
へぇ、そうなんですかぁ、なんて感じで。
すると、おばあさんの一人が「このりんごを煮たのを食べてみて」と言うので、食べさせていただく。食べてみると、なかなかおいしい。少なくとも今まで食べた煮りんごの中では、一番おいしかった。
「このりんご、何で煮たと思う? クイズです」
突然クイズが始まった。
水、ハチミツ…と適当に答える。そもそも私は料理をしないから、煮る時に何で煮るなんてわかりゃしない。一緒にいたM子さんも、見当もつかない様子。
「じゃあ、ヒントです。ABCD、この中にヒントがあるわ。それとこの黄色の色もヒントね」
「リポビタンD!」と威勢よく答えるが、「おしい、はずれ」と言われ、「オロナミンC!」と答え直すが、「違う。おしいけれど。入れ物がもう少し大きいのよ」とおばあさん。
「あー、なるほど。C.C.レモン!」「正解!」といった具合に、地域の人々と交流を楽しんだ。
その後、ふれあい館を出てまた北条の町をふらつく。ふれあい館から少し先に石でできた柱が道に建てられているのに気づく。
その石柱には「つくば○」と彫られていた(○は読めない)。ふれあい館でもらった地図を見ると「つくば道」と書いてある。「つくば道」その名前くらいは聞いたことがある。茨城の登山について書かれた本には、間違いなく筑波山が紹介されている。そのコースガイドに、つくば道から歩くコースがあった。登山道からずいぶん遠くの町から歩くので、やたらと距離が長くなり時間がかかるから、面倒くさがりな私は敬遠していた。
つくば道(どう)は、茨城県つくば市北条仲町から筑波山の麓にある筑波山神社までを結ぶ道である、ということくらいは知っていたが、それが片道4キロくらいの道である、ということは歩いてみてわかり、江戸時代(徳川家光の時代)につくられた参詣道である、ということは家に帰って調べてみてわかった。
つくば道を見つけた私たちは「ちょっと歩いてみよっか」程度で歩き出した。
つくば道は幅は狭いが普通に車が行き交う道で、交通量は少ないけれどまったく通らないというほどでもなく、それなりに通るから車に気を付けて歩いた。途中、広い通りに出て、そこを少し歩くと分岐があって郵便局のある方にまた少し歩くと、眼前に筑波山が見えた。今までの道のりでも見えていたが、幾分筑波山まで近づいたせいか、今までよりも迫力を感じた。目の前にドーンと広がる筑波山を真正面に見ながら歩く。
これは、なかなか良い散歩だ、と思う。
歩きながら、ふと思う。私たちはどこまで歩くのだろう、と。「ちょっと歩いてみよっか」のつもりが、ずいぶんと歩いてきてしまった。
そんな折、「おしっこしたい」とM子さんが言う。これは大変である。今までずいぶん歩いて来たが、トイレらしきものもお店らしきものも見当たらなかった。
スマホで調べてみると、筑波山とは別方向に2キロほど戻ると公衆トイレがあるという。また、このままつくば道を同じく2キロほど進むと、筑波山神社付近に公衆トイレがあるという。
トイレまでの距離はほぼ同じ。進むか、戻るかの違いである。当然、進めば戻る距離も長くなる。そこそこ歩いて来たから、私はそれなりに疲れていたが、M子さんはどうだろう?
「どっちでもいいよ」と言うから、せっかくここまで歩いたから先まで進もうか、とつくば道をそのまま進み、筑波山神社付近のトイレを目指すことにした。
それまで目的なく歩いていたが、ここでこの散歩に目的ができた。「筑波山神社の公衆トイレにいく」という目的が。
しかし、ここまでのつくば道は「本気」じゃなかったことをこの後知ることになる。それは、良くも悪くも、だ。先に進むと、本気のつくば道を思い知らされた。
県道139号の標識があるあたりまで歩くと、先ほどまで道の両端は民家が並んでいたが、それが田んぼに変わった。つまり、景色が開けた。すると、目の前の筑波山がすそ野の先まで姿を見せてくれた。山の全容がまるまる見渡せて、それが目の前にあって、歩いても歩いても、それは目の前にあるのだ。
南を見れば、水を張った田んぼが広がり、少し遠くの景色も見える。
北を見れば、筑波連山の連なりが見えて、宝篋山の姿も見えた。
なんと素晴らしい景色だろうか。この中を歩いていることが、また素晴らしい。
筑波山の下腹あたりに筑波山神社の赤い大鳥居がはっきりと見える。まだだいぶ距離があるが、私たちが目指すのはそこである。その横にはホテルらしき建物があるのがわかる。そこから下には建物がすうっと並んでいて、その筋を下に辿ると目の前の道に行き着いた。
反対に、鳥居から上を眺めると、男体山と女体山がの双耳峰があって、女体山側のロープウェイも見て取れる。ゴンドラが動いている様子もわかる。
「あれ、乗ったっけ?」とM子さんが言う。「乗ったっけ?」と私も答える。乗ったような気もするし、それは違う人とだったような気も……。と言いかけて、やめた。レディにそんなことを言うのは失礼だと思った。すると「違う人と乗ったのかなぁ」とM子さんが言った。
このように終始おしゃべりをしながら、私たちはつくば道を歩いた。
絶景の道を過ぎると、また道の両端は家々が並んだ。その日の気温は25度を超えていたので、私たちは汗をかきかき歩いていたのだが、今度はそれに傾斜が加わった。余計に歩くのがきつくなった。
筑波山神社一の鳥居を過ぎると、傾斜の角度は鋭さを増した。低山歩きに慣れた足を持つ私も、きつさを感じた。体力自慢のM子さんも、同じようだった。
つくば道にはいくつか休憩所のようなものがあって「お気軽にどうぞ」のような看板が掲げられていた。そこにはトイレマークもあったから、そこで用を足してもよかったのだが、それはしなかった。なんとなく、目標を諦めたような気がしてしまい、それはしたくなかった。
休憩所の目の前で、M子さんが座り込んだ。
「ちょっと休憩」
休憩所に入ればいいのに、入らないで道端に座り込むとは。余程疲れているのだろう。
「(休憩所で)休もうか?」と聞くと「大丈夫」と言う。
休憩所の人が表へ出てきて「よかったら休んでいきませんか?」と声をかけてくれたが、それも断った。そうだよね、私たちは、筑波山神社にある公衆トイレで用を足すために歩いているのだから。
「もう少しだよ、がんばろう」とM子さんに声をかけ、また歩き出した。
ふと、後ろを振り返ると、高度が出てきたから今まで歩いた道が俯瞰的に見えた。
北条にある城山らしき山が遠くに見える。
「M子さん、あまり言いたくはない事実だけれど、うちらはあそこの山の向こうから歩いて来たんだよ
「えー、すごーい!」
普段は感動を表に出さないM子さんが、珍しく感嘆した。
「いや、つまりあそこまでまた歩いて戻るんだけど」
「そうだよね」とM子さんは笑った。
更に坂を登ると、大きな通りに出た。目の前には今までにない大き目の建物がある。
ホテルだ。左を向くと、赤い鳥居が見えた。
着いた。つくば道を歩き切った……訳ではないか。つくば道のゴールは筑波山神社なのだから。私たちのゴールは、この鳥居の近くの公衆トイレだった。
鳥居の付近には人がたくさんいた。山に登ってきたような服装の人が多い。そうではない服装の人は、単なる観光だろう。筑波山あたりだと、観光用の服装でも登ってしまう人もいるけれど。かくいう私たちも、今日は普通の「街を歩く服装」である。
さてさて、悲願のトイレはどこだろう、と辺りを見渡すが見つからない。このまま鳥居をくぐって上まで歩くしかないのか、と少しげんなりした時に「あ、あった」とM子さんがトイレを見つけた。もよおしている人の嗅覚は、鋭いものである。
そこで、M子さんは用を足した。ついでに私も用を足した。近くの茶店で少し体を休めてから、またつくば道を歩いて戻った。歩きながら、聞いてみた。
「どうだった? 筑波山神社の公衆トイレは」
「どうだったって?」
「いや、いつもと違う達成感みたいなものがあったのかな、と」
「何それ?」
「爽快感というか」
「は?(笑)」
「苦しみぬいた上での……だからさ。いつもと違うのではないかと」
「いつも通りだったよ(笑)」
M子さんの答えは、期待していたものではなかったが、想定内の答えでもあった。
帰り道、私たちを苦しめた登り坂を軽快に下りた。山と同じで、下りは早い。目の前には城山が見えた。
あそこまでまた歩くのか、とげんなりしたが、帰り道は思いのほか早く感じた。
無事に北条まで歩き切ると、車に戻るなり二人して大きく息を吐いた。
「はーっ!」
その息に、達成感が混じっていたのは言うまでもないだろう。パンパンに膨れた足を揉みながら、こう言った。
「こんなつもりじゃなかったのに」
そう言うと、二人して「あはは」と笑った。