農業の魅力を、そしてその価値と責任を人々に伝えていくことが、先生にとっての「農業」であった
農家紹介
涌井義郎さん (1954年生まれ)/ NPO法人 あしたを拓く有機農業塾(あした有機農園)
地域:茨城県笠間市
品目:少量多品目の有機栽培 野菜類約40種類(果菜・葉祭・根菜)、大豆、小麦、人参ジュース・うどん・味噌の委託加工
面積:1.5ヘクタール
「先生」
学生時代は毎日のように発していた「先生」という言葉だが、大人になって使う機会がめっきり減ってしまった。
だから、「先生」と呼ぶ機会があると、懐かしくて嬉しくて、それでいて恥ずかしいような、そんな気持ちになる。
涌井義郎さん、こと、涌井先生にお会いして、「先生」と呼ばせていただいた時も、同じ感情を抱いた。
まだ一度しかお会いしていなくて、一度しか講義を受けていない私であるが、その時の感情をそのままに、この場での敬称も「先生」とさせていただく。
それだけではなく、涌井先生は実に「先生」であったから、先生と呼ぶ以外に呼びようがない気もする。
涌井先生は、茨城県笠間市の「あした有機農園」で有機野菜を栽培しつつ、研修生を受け入れて有機栽培の指導・教育をしている。
また、あしたを拓く有機栽培実践講座という栽培講座を開き、そこで講師も務めている。
他にも、あした有機農園の母体であるNPO法人・あしたを拓く有機農業塾の活動で、講演会や農家さんへの指導もおこなっている。
それ以前は、鯉淵学園で教員を30年以上務めていた。
すなわち、涌井先生は根っからの「先生」なのだ。
何事もそうだが「先生」が身近にいるといないとでは、物事の結果が大きく変わってくる。
農業の世界でも、それは同じことだ。
有機栽培に挑戦したいけれど、何もわからない……。
そんな人に手を差し伸べてくれるのが、あした有機農園であり涌井先生なのである。
涌井先生のおはなし
涌井先生は、新潟県の農家に生まれ、そこで中学卒業まで暮らした。
その間は、農作業を毎日のように手伝っていた。
遊びたい盛りの子供時分、農作業ばかりの日々はさぞかし辛かったであろう。
しかし、涌井先生は「嫌だと思うことはなかったですね」と言い、それどころか「良い思い出はたくさんあります」と言う。
「いつも家族みんなでいられること、隣近所の大人も子供も、みんなで毎日交流があることが幸せでした」
この農のある暮らしで得た良い思い出が、涌井先生の「人生の骨格」を作ることになる。
中学卒業と同時に、実家を出て長野県の高校へ進学。
実家を離れると、農業との距離も広がる。
農作業は家に帰ってきた時に手伝う程度になる。
その後、東京の大学へ。
「大学に入った時は、自分が将来何になるのか、ほとんど考えていませんでした。東京で学ぶうちに、自分が育った環境がいかに大事なものだったか少しずつ分かってきて、その価値を再認識しました」
育ってきた環境と正反対といっていい、都会での暮らし。
今までの暮らしになかったものに囲まれて、それはそれは刺激的な生活であっただろう。
だが、涌井先生はかえって、新潟で過ごした農的な暮らしの素晴らしさに気付かされ、3年で大学を中途退学した。
「新潟に戻って、農業を自営しよう」
そう思った涌井先生は、茨城県の鯉淵学園農業栄養専門学校で農業を学び始める。
そのまま、農業の道を突き進むかと思えたが……。
当時、昭和52〜53年の頃は、今よりも新規就農が難しい時代であった。
それに加えて両親の反対もあったので、就農は一旦諦めることにし、その後は鯉淵学園に「先生」として戻ることになる。
教職員として働いているうちに、結婚をし、子供を授かる。
守るべきものが増えて農家になるという夢は遠くなるばかりであったが、それでも「いつか農業をやりたい」という気持ちは持ち続けていた。
……そして、教員になってから、30余年が過ぎた頃。
子供が独立すると、涌井先生の夢に対して奥さんも寛大になる。
家族の了承を得て、いよいよ涌井先生の農業がスタートした。
学生時代(20歳)からやりたかった農業自営。
30年越しに、その夢を叶えたのだ。
しかも、ただの農業自営ではない。
野菜と一緒に、人も育てる農園だ。
「学校で教員を長くやっていたから、自分ひとりで農業をするだけじゃなく、次の人を育てることも同時にやらなきゃいけないだろう。ひとりで農園をやるのも寂しいし、若い人を巻き込んで研修農場にしてしまおう!」
そうして作り上げたのが、「NPO法人あしたを拓く有機農業塾」であり、「あした有機農園」であった。
あした有機農園
あした有機農園は、普通の農園とは目的がだいぶ違う。
あした有機農園の目的
- 農業者を育てるのがメイン(研修生)
- 有機栽培・有機農業の普及(家庭菜園も含め)
- 交流
- 有機栽培の技術研究(圃場)
普通の農園=農家は、当然、野菜を作って売るのが目的である。
だが、あした有機農園では、野菜を作って売ることはもちろんしているが、その活動がメインではないのだ。
「あした有機農園をスタートする時の狙いは、100パーセント研修生を育てる農場」
涌井先生は断言する。
あした有機農園では、有機栽培で約40種類もの野菜を「有機栽培」で育てている。
育てた野菜は個人宅配や直売所等の店売り、そして、研修後に独立した人や有機農家仲間と9軒で一緒に「あした有機農園グループ」として生協等に共同販売している。
また、涌井先生は鯉淵学園の敷地内にある直売所「農の詩(うた)」の創設者でもあり、ここを利用して、有機農家たちを支援している。
「鯉渕学園の農産物を並べても、品物は限られる。かたや、有機農家は売り場がなくて困っている。だったら、鯉渕学園のウリを有機にして、有機農家の品物を集めればお店もにぎわうし、有機農家の売り先にもなる」
このように、土作りから販売まで、研修生たちが農家として独り立ちできるように、実践しながら学ぶ場所が「あした有機農園」なのである。
さて、数々の有機農家を育ててきたあした有機農園も、今年で8年目迎えた(2019年現在)。
今後はどのような展開を見せるのだろうか。
「私もだんだん歳をとるから、体が動かなくなって、この農場がどれくらい続けられるかわからない。跡を継いでくれる人がいれば、この農場を徐々に譲り渡して、誰かがここで研修生を育てるのを続けてほしいと思っています。それともうひとつは、売り場ですね。鯉渕学園の農の詩のような店を、もう一個作りたいです。野菜を出荷してくれる生産者が多すぎて、これ以上農の詩で生産者を呼び込めないから、もう一つ店を作りたい。そこはオーガニック限定のお店にしたいですね」
農の責任と価値
農家を取り巻く状況は厳しい。
それを物語っているのが日本の農家戸数であり、昭和25年をピークに下がり続けている。
農業が盛んな茨城県であっても、農家減少の流れを止めることはできていない。
平成17年から平成27年の10年で、茨城県内の販売農家数、農業就業人口は3割以上も減少している。
「売上は夫婦でやっても1年で500万円そこそこでしょう。経費を引いて所得は300万円くらいです。ひとり農業だと売上300万円くらいが限界かもしれません。けれども、現金収入が少なければ少ないなりの暮らし方があります。若手農家には、とにかく細く、長く、続けていってほしいですね。儲かるわけではないけれど、とにかく続けることが大事です」
と、涌井先生は若手農家にエールを送る。
近年のオーガニックブームで有機野菜はそれなりに高く売れるようになってはきたが、それでも収入の面では豊かとは言えないのが現状だ。
農家になるためのハードルとして、収入面が大きな割合を占めている。
有機農家は、規模が小さい農家が多い。
規模の大きさは、当然収入に直結してくる。
単純に「量」の話だけではなく、「行政からの支援」にも差が出てきてしまう。
「今の日本の農業は、一定規模以上をやっている専業農家であれば、国も県も市町村も応援してくれる。でも、一定規模以下の兼業農家は応援してもらえない。そういう風に制度が変わってしまいました。農業行政の予算の使い方として、『儲かる農業』をスローガンにして、儲からない農業は応援しなくていいとなってしまったんです。そうではなくて、家庭菜園規模でもチリも積もればすごい量になる。そこをね、もっと応援してもらえればなと思います」
家庭菜園だって立派な生産者である。
どんなに小規模であっても、作物を生産していることには変わりはない。
日本の農業界は、少しの作り手でも惜しい状況なのだ。
特に、若い力を必要としている。
それは、農業界に限らず、地域社会にとっても同じことが言える。
「日本の農村というのは、小さな兼業農家、あるいは小さな規模のじいちゃん・ばあちゃん農家が村を守っていたのに、政府がそれを切り捨ててしまったので、今は田舎が荒れています。田んぼも畑も、耕作放棄地が非常に多くなりました。田んぼや畑が荒れ放題なのはとっても悲しいことですよね。そうならない為にも、若い農家たちに頑張ってほしい。これから農業をやりたいという人たちが20年30年後の主力になりますので。そして政府は、専業農家や兼業農家はもちろんですが、家庭菜園レベルで栽培している人にもバックアップをしてほしい。それによって、地域が元気になるのだから」
先人たちの知恵を借り、若者は力を使って畑を耕す。
土が肥え、作物が育ち、人も増えれば、その地域一帯に活力が出る。
それが、先人たちへの恩返しになり、地域への恩返しにもなる。
ローカルでアナログな循環ではあるが、人間が生きていく為に必要不可欠な循環である。
それが、嘆かわしいことに今の社会ではできていないのだ。
それには、農業が魅力的な産業でなければならないのだが。
では、その農業の魅力とは?
最後に、涌井先生に農業の魅力を尋ねてみたところ、
「農業の魅力はたくさんあります。ずばり『これ』と簡単に言えません。魅力というより、その価値と責任と言ったらいいかと思います」
と返ってきた。
なるほど、農業は魅力云々ではなく、人々が生きるための大切なエネルギー源を作っているのだから、その責任は重く、価値は高い。
農業が与えるのは、食料だけではない。
景観の美しさだって、与えている。
地域を支える活力にもなっている。
大きな農業でも、小さな農業でも、それは同じことで、規模の大きさは関係ない。
農に携わるということは、きっとそれだけで価値があることなんだ。
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