自分が食べたい野菜を作って、身近な人に食べてもらう(取材日 2023/07/09)
唐箕で大豆の選別をする
短い春が終わり、長く暑い夏がすぐそこまで来ている。梅雨明け宣言はまだされていないけれど、既に30℃を超える真夏日が続き、35℃以上の猛暑日なんていう日もざらにある。じっとりと湿気をまとった雨の日もあれば、うだるような暑さの日もある。そんな梅雨と夏の狭間のような日に、城里町の高萩さんの畑に行ってきた。
高萩さんの家に到着すると、高萩さんはいなかった。「少し遅れるので、自由に過ごしていてください」と連絡があったので、畑を見て回ることにした。
レンコンとマコモの田んぼ、アスパラガスのハウス、露地栽培の野菜。どの圃場も草が高く伸びている。高萩さんは今、ほとんど一人で作業をしているので、草取りが追い付かないのだ。
(今日の手伝いは草取りだな)
畑を見る前からそう思っていた。この時期の草の生長は、驚くほど早い。除草剤を使わない有機農家の夏は、草との苛酷な戦いの日々が待っている。圃場を見て草取りの覚悟を決めた頃に、高萩さんがやってきた。
「すいません、遅れちゃって」と腰の低さはいつも通りだが、顔つきがシュッとした感じがした。今年初めにお父様が亡くなるなど身辺でいろいろあったせいか、高萩さんの表情には精悍さがあった。
「草取りですよね? やりますよ!」
意気込んで私が言うと、
「いえ、草はいいです。キリがないので、草取りは時間を決めてやることにしたので」と高萩さん。
ええ、そうなんだ、草いっぱいなのに、と思いつつ、高萩さんらしさを感じた。高萩さんが志すのは、地域に根差した有機農家であり環境にやさしい農業であり……それよりも何よりも、ズボラな農業だったのを思い出した。
「今日はこれをお願いしようと思っていまして」
と言って、ガサゴソとやり始める。高萩さんが引っ張り出そうとしているのは、木でできた唐箕(とうみ)であった。唐箕は、脱穀後の穀物をそのアナログな装置でもって風力を起こし、選別するための道具である。起源は中国で、日本には江戸時代に唐箕が使われていたという記録が書物に残っているらしい。
その頃の書物に描かれた唐箕の絵とほとんど変わらない姿の唐箕が、高萩さんの家にはあった。農家の伯父から譲り受けたという。
続いて、高萩さんは脱穀した大豆が入った袋を持ってきた。袋には大豆と一緒に殻などが混ざっている。今日は唐箕を使って、これの選別を行うという。
「こういったアナログな道具を使うのも楽しいんですよね」
そうして、私と高萩さんの二人で選別を始めた。この唐箕という道具は、二人でないと作業が難しい。一人はハンドルを回して風を起こす係、もう一人は選別する大豆を上から投入する係。私は最初、ハンドルを回す役割を担った。
高萩さんが上の穴から大豆を投入し、それが下に落ちる前に私がハンドルを回して起こした風によって、ゴミだったり豆だったりを分別する。分別されたものは、下の出口や横の出口からそれぞれ落ち出てくる。大豆が落ちてくる様を見ながら、パチンコのようだと思った。
こんなアナログな方法で、果たしてちゃんと選別できるのかしらん、と思っていたが、やってみると案外きれいに分けることができていた。それでも一度では分別しきれないようで、その場合2度、3度と作業を繰り返した。
「大豆は、そのまま食べてもいいし、加工すれば豆乳、豆腐、納豆などが作れる。種をつなぐこともできるし、とても有用な植物なんですよ」
高萩さんが言うように、私も最近大豆には可能性を感じていた。タンパク源にもなるし、栽培のしやすさもある。お遊び程度に大豆の栽培をしたことがあるが、私のような素人でも作り上げることができた。小麦が代表的だが、日本の穀物類の国内自給率はとても低い。それは気候のせいもあるし、儲からないから、という理由もある。
「同じ豆でもお金にするなら小豆の方がいいですね。うちの大豆は自家消費用なので。以前にマコモに付いている菌を発酵させて、納豆を作ったこともあります。おいしかったですよ」
食べるために、生きていくために知恵を絞る。昔の人は、そうやってシンプルに生きてきたんじゃないか、と想像する。高萩さんも、現代においてそれに近い暮らしをしている。
「米と大豆があれば生きていけます。お米作りにもチャレンジしたい」
コロナ、戦争、気候変動。世界がおかしくなっている今、私たちが地球とともに生きていくために必要な、最適な生活とはどのようなものなのか。そろそろ分別がついても良さそうな頃だ。
援農とローカル・ファーマー
この間お会いした時に「援農」の話をしていましたよね。その後どうなりましたか?
高萩さん:幼稚園の園児のお母さんたちが、半日だけ来てくれたんですよ。2時間くらい手伝ってもらいました。
幼稚園って宗ちゃん(高萩さんのお子さん)が行っている?
高萩さん:そうです。園児のお母さんたちが子どもを送った足でうちに寄ってくれて、そこで一しきり仕事をしてもらって、お昼に解散、といった感じでした。声をかけたらやってみたいという人がいて。3人くらいその日は来てくれて。一緒にゴボウの種まきをしました。
その時はお手伝いをして、援農なので労働対価は「お金」ではなく「野菜」だったんですか?
高萩さん:そうですね、野菜をとってもらってっていう感じで。
その後の計画は?
高萩さん:予定は立てたんですけれど、天気が悪かったり、猛暑が来ちゃったりして、おやすみ中です。
援農に参加した人たちの反応はどうでした?
高萩さん:みんな「楽しかった、またやりたい」って言ってましたよ。
それはよかったです。私は前回高萩さんにお会いした後から「援農」という言葉が気になっていて。消費者は安心・安全な野菜……つまり、無農薬、無化学肥料の野菜を食べたいと簡単に言うけれど、その大変さを知らないで言っているじゃないですか。自分が食べたいものを食べるためにやれることをやるっていうのが大事なことなのかなって思って。
最近一緒に仕事をしている人で「消費者ももっと生産に携わるべきだ」と言っている方がいて。「そうだな」と共感する部分があって。今は私もプライベートでたまに農作業のお手伝いをしていますが、それが「たまに」ではなく「定期的に」、「一人」ではなく「おおぜい」でやらないとあまり意味がないなと。そういうのもあって、高萩さんの「援農」も応援したい気持ちがありまして。
高萩さん:援農自体はこれからも続けて行こうと思っています。夏になって暑くなってしまったので、予定をキャンセルしたんですよ。気候も変わってきているのか、タチアオイも異常に早く咲いちゃっているし、となりのトトロで真夏に咲いている花なんですが、5月に開花してもう枯れてしまっていますからね。私の感覚が間違っていなければ、季節が前進してしまっている気がしますよ。
私も夏場に塩田さんの畑で草取りをしていますが、あれってめちゃめちゃ大変じゃないですか。暑いし、汚れるし、虫に刺されるし、草抜けないし(笑)。自分ひとりが一日手伝ったくらいではどうにもならないくらい。やっぱり定期的に手伝えないと意味がないなと。
高萩さん:援農は秋くらいから再開して小豆の収穫などやってもらう予定です。鞘の中に小豆が宝石みたいに詰まっていて、鞘を開けた時の感動がまたすごいんですよ(笑)。本当は小豆の種まきをやってもらう予定だったんですが、暑さで断念しました。援農をやるならば、種まきから収穫までやってもらった方がいいかなと思っています。なので、前回はゴボウの種まきをしたので、今度はゴボウの収穫を体験してもらったら楽しいんじゃないかと。ゴボウ一本掘るのに何十分かかる、というのを知ってもらえたら。
今後は外部から援農希望者を受け入れることも可能なんですか?
高萩さん:場合によりけりですね。私の考える援農って、もっと直接顔の見知った人にやってもらえたらいいなというのがあって。だからSNSなどで「援農募集」というスタイルはとらないです。何をやるにしても、基本的な考えはローカル重視なので。まずは地域とか身近な人とやってみよう、というのが私のスタイル。だから、いきなり東京から今週に援農いきます、というのは私には向いていない気がするなぁ。そういうのが得意な農家さんもいますけれど、私は引っ込み思案なんで。
高萩さんらしくていいですねぇ。
高萩さん:人を使うって大変なことなんですよ。準備や段取りがありますし、気を遣いますし。無償であっても有償であっても、「人を使う」ということで別の軸が入ってくるので、難易度が上がるんですよね。別の能力が必要になりますので。私は元々ひとり農家でしたので。気が付いたらみんなの農家みたいになってしまいましたけれど。
そうですよね。そういうところから脱却して農業を始めたんですよね。
高萩さん:そうですね。楽したい、お金が欲しいとなれば、人を使うのが最短の答えなんですけどね。
話は変わりますが、アスパラのハウスって前よりも減りました?
高萩さん:最終的には半分以下にする予定なんですが。一つは雨除けハウス用に本格始動させた作付のハウスになっています。トマト、オクラ、キュウリを今作っています。去年のテストを終えて、実践に移しています。今のところはうまくいっていますね。
もう一棟、ハウスがアスパラではなくなってましたね。
高萩さん:今年、アスパラの作付をもう一棟やめようと思って、新しい品種に植え替える予定です。最終的には5つあるハウスのうち、3つはアスパラ、2つは雨除け用にする予定です。ハウスの隣の畑には露地用のキュウリやオクラ、トウモロコシ、白ナスを植えています。
作付や販路の拡大はありますか?
高萩さん:作付の拡大はあまりないですが、販路は今年からガラッと変わりましたね。野菜の駅も休業中ですし、幼稚園のお母さんたちから野菜の注文がもらえるようになってきて。幼稚園で週に一度お母さんたちがお昼ご飯を作るんですけれど、その時の食材として買ってもらえるようになりました。朝、子どもを幼稚園に送り届ける時に、野菜を届けています。子どもたちに自分の野菜を食べてもらえる機会ができて、図らずも究極の地産地消の形になっていますね。
究極の地産地消……以前に高萩さんが「やさいの駅」を始めた時にも話していた言葉だ。
高萩さん:一番うちの子どもが喜んで食べてくれているのがうれしいことですね。毎朝「トマト食べたい」と子どもが言いうので、ハウスに連れて行って食べさせています。野菜好きな子どもに育っていますね。他の販路は、やさいバス、新規のスーパー、それに「若菜摘み」というお店にも野菜を出しています。
「若菜摘み」は、高萩さんの同級生がシェフ・オーナーをしているお店で、高萩さんが作った野菜をふんだんに使用したオーガニック料理が食べられるお店だ。一度食べに行ったが、どの料理もやさしい味がして本当においしかった。お店も料理もオシャレだったし。
高萩さん:自分が作った野菜をああいう風に調理してもらうのが面白く感じましたね。何というか、素材をこちらで提供して、アーティストがアート作品に仕上げてくれている感じで。
今年は変化の年ですね。
高萩さん:そうですね。親父が亡くなって、私の農業も変わってきました。アスパラの比率を減らして、他の野菜を増やして、今では30品目くらい作っています。有機農家として旬のものを食べられるようになってきましたよね。自分の食べたいものを作って、お客さんにも食べてもらうっていうスタイルです。
前は何品目くらいでしたか?
高萩さん:一番少ない時で4品目くらいでした。有機農家としてはまだ数年目なので、そこは失敗を重ねるうちに野菜作りのコツがわかってきて、ようやく安定してきました。
今の方が収益は上がった?
高萩さん:まったく上がっていないです。アスパラを集中的に作っていた時の方がお金は得られましたけれど。そういうやり方をしようとは、もう思わなくなったんですね。もっと自分たちでいろんなものを作って、いろいろ自分たちで食べて、人にもいろんなものを食べてもらいたいなと。一個の野菜だけ見ているよりも、いろんな野菜を見ている方が楽しいですね。季節の移り変わりがよりはっきりとわかるので。自分の食べたい野菜が食べられますし。アスパラだけ作っている時は、キュウリとかトマトは買わなきゃ食べられませんでしたから。
文字通り「おいしいところどり」ですよね。そこは単純にお金の価値に置き換えられないかな。でも、最低限収益得られるように、今年は今のスタイルを軌道に乗せようと頑張っているところです。
時代が変われば、気候も変わる。それらに合わせて、人の暮らしも変化していく。ひとり農家から地域の農家として高萩さんが変化したように、私たち消費者にも変化が求められている気がした。