寝る前に読んでくすくす笑ってリラックスして寝つきが良くなったり、世の中に疲れた時に読んで「そうだそうだ!」と共感して元気がもらえたり、仕事と生活のことばかり考えて鬱陶しくなった時に読んで「文化的な自分」を取り戻せたり、する本
「作家と猫」を読んでいて、面白い文章を書く人に巡り合った。なんかこう、自由な感じ文章なんだけれど知性も感じられて主張も感じられて何かいいぞ、と思えてしまう文章だった。何だこの人は? と思い項を遡って著者名を確認すると、松田青子さんという人だった。
ん? マツダセイコ? 絶対もじってる。松田聖子にかけている。そう思ってネットで調べてみたら、やっぱりそうだった。読み方は「マツダアオコ」で、本人が松田聖子に憧れていて「マツダセイコ」と読み間違えられたら面白い、と思って付けたらしい(Wiki参照)。
うむ、いいネーミングセンスしとる! と心の中で大絶賛した。何を隠そう、私も昔「小泉競歩」という名前で某地方誌にコラムを書いていたことがある(鳴かず飛ばずのコラムだった)。
文章の面白さとネーミングセンスに惹かれ、松田青子さんの本を一冊買ってみようと思った。『スタッキング可能』『おばちゃんたちのいるところ』『英子の森』『持続可能な魂の利用』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』などいくつも小説を書いている人らしかった。
でも、小説って気分じゃないんだよな、エッセイがいいな、と思い、さらに深く潜る。『問題だらけの女性たち』『レモン畑の吸血鬼』……翻訳もしているようで。いやでも今はエッセイの気分。『読めよ、さらば憂いなし』『自分で名付ける』……あったあったエッセイが……『じゃじゃ馬にさせといて』『ロマンティックあげない』……。
ロマンティックあげない!
そこで目が留まった。心がぐっと持って行かれた。ロマンティックあげない、である。これは絶対、アニメ・ドラゴンボールの初期エンディングテーマの「ロマンティックあげるよ」にかかっている!
ロマンティックあげーるよー、ロマンティックあげーるよー。
今でもサビを口ずさめるあの歌。白いワイシャツを着たブルマが窓越しで雨降りの外を眺めている姿が思い浮かぶ。あの頃って水曜夜7時にドラゴンボールが放送されていて、毎週楽しみにしていたっけ。
ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」で松たか子が風呂場で歌っていた姿も一緒に思い浮かぶ。松たか子の歌がうまくてトキメキを覚えたっけ。あのドラマも面白かった。大人のお洒落さとシャレが万遍なく振り撒かれていて、ドハマりした。けれど、最終話だけ何故か見ていない。私はドラマを妻が録画していたヤツをたまたま一緒に見て、それが面白かったらその後とその前を見る、というやり方で見ていたのだが、「大豆田」は最終話前まで見た後に、それから仕事が忙しくなって見れない状態が続いて、しばらくして見たいと妻に言うと「もうとっくの昔に消しちゃったわよ!」と一蹴された。その妻の言動には、ロマンティックさの欠片もなかった。
閑話休題「ロマンティックあげるよ」である。この歌を本のタイトルにかけるなんて、きっと同世代に違いない!と思って調べてみると、やっぱりそうだった。
あぁ、もうこれは運命というやつだね、読むしかない。買うしかないよ松田青子の「ロマンティックあげない」。松田青子の沼にすっかり、しっかり、ずっぽりとハマった私は、そのままポチッと「カートに入れる」をクリックした。
本が届いてから、私は妻が寝静まった頃にむっくりと起き上がり、別室に移動して「ロマンティックあげない」を読むことにした。このタイミングで、この場所でこの本を読むのが最適と知る。だって、読んでいると思わず笑ってしまうんだもの。
書いてあることは映画、音楽、テレビ、ファッション、その他日常のこと。それらが、どれもこれもよく知るもので、それらが松田青子氏ならではの視点で捉えられているのだが、案外共感できてしまうものもも多くて、面白おかしくてつい笑ってしまう。
なんていうかな、文化なのよ、カルチャーなのよ(英語読みにして繰り返して強調してみる)。
映画とか音楽とか漫画とか、カルチャーの全盛期を生きた人でないと書けない文章だ。せきしろさんの「去年ルノアールで」を読むような感覚にも近い。よくわかるようでよくわからないような感覚。よくわからないようでよくわかるような感覚。私にとっての青春時代そのものの、あの頃の感覚だ。
ある日、私はこの本を読むタイミングを誤って妻の横で読んでしまった。本を読みながらあはは!!と笑う私を見て「何笑ってんの?気持ち悪い」と妻。「気持ち悪い」って……そりゃないぜ。過去には「ロマンティック」な夜をともに過ごした仲だったのに。
やはり妻からはもう、ロマンティックをもらえそうにない。
書名:ロマンティックあげない
出版社 : 新潮社
著者 : 松田青子
発売日 : 2016/4/22