1.私と地球の歩き方 タイ旅行の苦い思い出
30歳になった誕生日に、私は独りタイにいた。
「20代最後に海外旅行に行こう」という友人の誘いに乗って、人生初の海外旅行に出かけた。それで、旅行期間中に誕生日を迎えた。その時に持って行った本が「地球の歩き方」だった(あと、どくとるマンボウ航海記も)。
当時の私は、「旅行の仕方」を知らなかったので、旅程は友人に任せっきり。その友人がいなければ、右も左もわからない。それなのに、私はその友人と現地で仲たがいしてしまい……。「今日は別行動にしよう」と決別の言葉を浴びせられ、友人を怒らせた私は、タイで独りになった。奇しくもそれが、私の誕生日であった。
バンコクのホテルで独りで迎えた朝。友人はすでに身支度を整え、単独でタイをまわっていた。私はというと、それまで旅のすべてを友人任せだったので、タイのどこに行っていいか、どこに行きたいかすらわからない。ホテルの部屋で、持ってきた「地球の歩き方」を慌てて読んだ。
いやはや、この時は参った(自分が悪いのだけれど)。ホテルの部屋から外出する方法すらわからない(何とかなったけど)。地下鉄で移動しようにもトークンの買い方も使い方もわからない。私の頼りは、もはや「地球の歩き方」だけ。ドキドキしながらトークンを買って、地下鉄に乗り込んだ。
確かこの時はフリーマーケットに独りで行ったんだっけな。その帰り道に、ホテルに戻ろうとして道に迷い、地図を片手にウロウロしていると見知らぬタイ人(そりゃそうだ)に声を掛けられる。「どこに行きたいんだ?」みたいな感じで。さすが、ほほえみの国タイだ。こんな阿呆な旅行客にもやさしい笑顔で微笑みかけてくれ、さらには道を教えてくれるなんて。
私は地図上で滞在していたホテルの場所を指さしてホテルに戻りたいことを伝えると、そのタイ人は「こっちだよ」とばかりに歩き出したので私はそれに付いていく。
「ここ、ここ」
片言の日本語だったろうか、どうだろうか覚えていないが、そんなジェスチャーをされた場所は、宝石屋だった。「ノーノー」みたいなことを言って、その店に入るのを拒むが、「ダイジョウブ、ミルダケ」みたいなことを言われてその店に入った。
店内にずらりと並んだ宝飾品の数々。そんなものをプレゼントする相手もいなかったし、私自身興味もない。お値段もけっこうな金額だったと思う(覚えてないけれど)。もちろん、何も買わずに店を出たが、店の外には先ほど私を騙したタイ人が立っていて、私に満面の笑みを向けて、バイバイと手を振っている。さすが、ほほえみの国タイだ。
それから私は友人と表向き仲直りはしたが、旅行から帰って疎遠になってしまった。本棚には当時持って行った「地球の歩き方 タイ編」がどういうつもりかまだ並んでいる。
この文章を書く際に、久しぶりに「地球の歩き方 タイ編」を手に取った。ぱらりと捲ってみると、序盤は読んだ形跡があるが、そのあとのページは新品同様だった。コート系の紙によくある、読み込まれた感がまるでない。この機会に改めて読んでみたら、タイに関するいろんな情報が事細かく書かれていた。
中には「旅のトラブル」というページがあり、そこにはこんなことも書かれていた。
「手を出すな!宝石キャッチセールス」
「相手の方から声をかけてくる奴は信用するな!」
タイムマシンがあったなら、あのころに戻って当時の私に言ってやりたい。
「旅行に行く前に、地球の歩き方をちゃんと読んでおけ」と。
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2.「地球の歩き方」の歩き方
「週刊ダイヤモンド」などの経済誌でお馴染みのダイヤモンド社。バックパッカー御用達のガイドブックであった「地球の歩き方」。
相反するかのような二つの存在だが、2020年まで「地球の歩き方」はダイヤモンド社から発売されていて、発行はダイヤモンド社の子会社であるダイヤモンド・ビッグ社だった(現在は学研)。この「『地球の歩き方』の歩き方」は「地球の歩き方」を作り上げた4名の話をまとめあげたもので、「地球の歩き方」の変遷が当事者の言葉でつづられている。
学生をターゲットにした就職情報のガイド本の発行をしていたダイヤモンド社。1969年にダイヤモンド・ビッグ社が設立され、就職内定者に向けた海外研修ツアー「DST(ダイヤモンド・スチューデント友の会)」を開始。旅行会社と連携し、長期滞在型の「自由旅行」を提案する。これが1970年代の学生たちに見事にハマる。1978年、DSTの参加者特典として無料配布されたのが「地球の歩き方」だった。無料配布から有料に変わり、雑誌を発行し……旅行とガイドブックをセットで展開することが強みであったが、時代の変化とともにガイドブックの販売が中心になっていく。
パッケージツアーが主体だった1970年代の日本人の旅行が、DSTによって若者たちは長期間外国に滞在して自由に歩き回る「自由旅行」に魅せられた。就職前の最後の長期休みを海外で過ごすことで、その後の仕事や人生にも役立つ、ということを創設者らが熱弁し、それに学生たちは心動かされる。だが、湾岸戦争などの世界情勢によってその旅行の在り方も変化せざるを得なくなり「地球の歩き方」は短期間型の「個人旅行」へターゲットを変える。
当然といえば当然なんだけれど、その時代時代によって、「旅行」の仕方が変化していく。それによって、かつては「顔の見える関係」であった読者と編集の距離が遠ざかっていく。ニッチなマーケットで展開している時は、「顔の見える関係」が強みであり、その関係を継続させることも可能であったが、市場が拡大するにつれて様々な人の要望に応える必要が出てきて、また、時代の変化によってニーズが変わり、その関係が築けなくなっていく。
こういうことって、私たちの周りでも、いや私の所属している組織でも実際に起きている。「顔の見える関係」というのは、小さな社会でないと継続が難しいものなのかもしれない。
本当に面白いものって、社会的責任とかおおぜいのニーズとか、そういう存在に縛られずに作れている時にできるような気がした。小説家やアーティストも処女作が最も優れている、ということが多いように。まぁ、本当に才能のある人は、そのあとにもっとすごいものをバンバン創ってしまうのだけれど。
前述したとおり、「地球の歩き方」の版元は学研に変わってしまった。「地球の歩き方」は、これからどこへ歩いていくのだろうか。
3.地球の歩き方 宇宙兄弟
タイ旅行のあとに「次はインドだ!」と地球の歩き方のインド編を購入したまではいいが、その旅が実行に移されずに10年以上経過してしまった。
結局、タイのあとに海外旅行に行くことはなく、インド編の地球の歩き方は本棚の肥やしとなっている。それ以来、収入もまぁ、人並み以下の時代が続いているので海外旅行に行く予定など立てられるはずもなく、それすなわち、新たな「地球の歩き方」を購入することもなく現在に至る。そんな私が、今年、10年以上ぶりに地球の歩き方を購入した。
それが「地球の歩き方 宇宙兄弟」だった。
購入時、私は「地球の歩き方」の歩き方を読み進めているところだった。同時に「宇宙兄弟」の漫画も読み返していた。そんな時、何かの拍子で「地球の歩き方 宇宙兄弟」を見つけた。私が同時進行で読んでいた2冊の本が、1冊になっている。こんな偶然があるのか! と喜び勇んで購入を決めた。
「地球の歩き方 宇宙兄弟」には、主にアメリカと日本にある宇宙にまつわる都市と施設が紹介されている。ヒューストンのスペースセンター、フロリダのケネディ宇宙センター、種子島宇宙センターに筑波宇宙センターなど。加えてロシア・モスクワのスターシティやISS、月、火星などの紹介も少々。当然、それらが漫画・宇宙兄弟で登場したシーンも同時に掲載されている。面白いのが、「地球の歩き方」本編でもおなじみの、後半ページにある「旅の準備と技術」コーナー。ここでは、宇宙を旅することを想定した予算や服装などが紹介されている。
例えば、旅の予算は目的地によって「数百万~数十億円」。旅行先の気温は、月の昼の気温が約110℃、夜の気温が約‐170℃。食事はISSでは基本すべて宇宙食、なんて具合だ。
自由旅行、個人旅行と歴史を紡いできた「地球の歩き方」の次のステップは、「宇宙旅行」に違いない。
「地球の歩き方 宇宙編」なんてのができて、そのうち星ごとに発行されて「月編」「火星編」なんて。
いや、いっそのこと本のタイトルも「宇宙の歩き方」になってたりして。「地球の歩き方 宇宙兄弟」にはそんな夢まで詰まっていた。
本を購入してから数日して。家族でつくばに行く予定ができた。ちょっと食事をするだけの予定だったから、時間が余る。つくばで何かできる、どこかへ行ける時間がある。当然、真っ先に思い浮かんだのがJAXA筑波宇宙センターだ。
「JAXA行きたいな」
とモジモジしながら妻に告げると、
「別にいいけど」と冷めたリアクション。
なんかな、違うんだよな、そういうんじゃないんだよ、JAXAに行くってことは、宇宙を感じることなんだよ! もっとテンション高くなってよ!
と思うが、言っても理解されないだろうから言わない。
「やっぱり今日はいいや」
私はあっさり提案を取り下げた。だって、行くなら「地球の歩き方 宇宙兄弟」を熟読してから行きたい。その時は「地球の歩き方 宇宙兄弟」を持って行きたい。JAXAをちゃんと旅したい。
タイの二の舞にならないように。
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