獅子頭展望台と好文だんご本舗の団子に共通するのは、何とも言えない味わいがある件(2025/10/5)
「石岡の団子が食べたい」と妻が言う。一言では気が済まないのか、「食べたい! 食べたい! 食べたい!」と連呼する。
そういえば、先週も同じことを言っていて、その時はスーパーで売っていた団子を買って食べたのだが、どうにもそれでは満足できなかったようで。
いつぞやから、石岡の団子屋「好文だんご本舗」の団子は、我が家族の好物となった。茨城県石岡市の街外れにあるこの団子屋は、水戸市内にも営業に回って販売していて、妻の職場にも売りに来たことがあり、その時食べてめちゃくちゃ旨かったので、また食べたい、と思っていたが、どうにも営業が来るタイミングと妻が職場にいるタイミングが合わないため、なかなか購入できずにいた。

好文だんご本舗の黒ごま団子
店の名前を控えていた妻は、ならばお店に直接行ってしまえ、となり、妻が団子を食べたくなると直接店に行って買うようになった。
この好文だんご本舗の団子のおいしさは、団子のやわらかさにある。むしゃっとかじると団子のとろけるようなやわらかさに驚き、またその程よい甘さ加減に驚く。筑波山の水で育ったコシヒカリ(特別栽培米)とミルキークイーンをブレンドして作られていて、その絶妙なブレンド方法がこのやわらかさを生んでいる、らしい(店のパンフレットより)。
まぁ、実際のところ、ここの団子はうまい。味音痴の私だが、初めてここの磯部焼きを食べた時にその違いがわかった。うまいとわかっているから、妻が食べたいと言えば石岡に連れていく。車を運転できるんだから自分で行けよ、なんて野暮なことは言わない。良夫賢父たるもの、常に妻を思い(妻に従い)、家族のために動かねばならない。石岡の団子が食べたい、という妻の要求に「はい、喜んで」と二つ返事をして、快く車を出した。
良き夫で賢き父であるためには、博識でなければならない。博識であるためには、様々な知見が必要になる。そのためにも、石岡のシンボルである巨大な獅子頭は見ねばなるまい。これは、(せっかく石岡に来たのだから、石岡らしい場所に行きたい)という自我ではない。(巨大な獅子頭なんてとてもB級な「におい」がして面白そう)なんて微塵も思っていない。
私は仕方なしに妻に提案する。
「せっかくだから獅子頭見に行こうよ」
「え、別にいいけど」
妻はさほど乗り気ではないが、満更でもなさそう。団子を買う前に、巨大な獅子頭展望台がある常陸風土記の丘に寄ることになった。
園内を軽く散歩していると、大きな獅子頭が子ども向けの遊具の向こうに見えた。高さ14メートル、幅10メートル、奥行き10メートル。その大きさは日本一。牛久の大仏といい、大きいの好きだな茨城県民は。大きければいいってもんじゃないが、大きいっていうだけで価値が高くなる場合もある。

獅子頭展望台
この獅子頭の場合、何とも言えない。石岡の祭りで見る獅子頭は、これよりも数段小さなものだが、暴れ狂う獅子頭は小さくても恰好が良い。その点、風土記の丘の巨大獅子頭は見た感じ、とてもコミカルだ。なぜそこに、その大きさで置かれているのだ?と、獅子頭に問いたくなった。
ここで私は博識ぶりを発揮する。
「獅子頭に噛まれるといいことがあるんだっけ?」
あえて疑問形で家族に問う。
「なんだっけ、頭が良くなるんだっけ」
妻が言う。
「子どものころに祭りで散々噛まれたな」
長男が言う。
「噛まれてぎゃんぎゃん泣いてたよね」
妻が笑う。
「噛まれすぎて頭が悪くなったのかも」
長男が自虐ネタを披露する。
「なるほどね」と私は納得した。あえて否定はしない。ここで「そんなことないよ」なんて言うのは、変な気遣いが見えて粋じゃない。
獅子頭には、既に先客がいた。どこぞの子どもと父親が獅子頭の中と外でじゃれ合っている。なるほど、この獅子頭の中に入れるらしい。これはぜひとも入らねばならない。せっかく来たのだからやれることは全てやりたい(貧乏性)。家族の皆だって、入りたいに決まっている。
先客を横目に見て、すうっと獅子頭の中に入る。子どもと妻は入ってこない。獅子頭の中が恐ろしいのだろうか、それとも他所の小学生くらいの子どもたちと一緒になって入るのが恥ずかしいのか。ならば仕方なし。一家を代表して私がこの中に入って見てこよう……中は口の部分から園内が見渡せるほか、その上の階に他県の祭りを表現した置物が置かれているだけだった。「獅子頭展望台」という名前から、もっと遠くを見渡せるかと思ったのに。

常陸風土記の丘にあるお食事処曲屋。城里町の島家住宅と同じ曲がり家形式。
獅子頭を見た後に、サイゼリヤで昼食をとることになった。
サイゼリヤに向かう途中、パッとサイゼリヤ、パッとサイゼリヤ~という昔のCMの歌が思い浮かんだので、車の中で家族に披露した。「何の歌?」と妻に聞かれたが、「わからない」と答えた。実際にわからなかった。ただ、小林亜聖が歌っていたのは覚えていた。
家に帰ってから、気になって調べてみたら「サイゼリヤ」ではなく「さいでりあ」であることがわかったが、後の祭りである。その奇妙な歌は「サイゼリヤ」の歌として、家族の記憶に刻まれただろう。サイゼリヤでは、長男に昼飯をおごってもらった。
念願の団子屋に着くと、家族各々が好き好きに団子を選び、購入した。私は磯部焼きを真っ先に頼み、ゆずみたらしも一緒に買った。長男はずんだ、妻と次男はきなこ、家で待つ婆やにはモンブランを買った。団子は妻におごってもらった。
団子は夕飯の時に皆で食べた。磯部焼きがやはりたまらなく旨かった。やはり、ここの団子は旨い。獅子頭を見たあとだから、尚うまい。思わず「ししししっ(獅子獅子)」とにやけてしまうほどの旨さだ。
このような旨い団子屋と巡り会えたのも、妻との「ご縁」があったから。いつにも増して、妻には感謝せねばなるまい。さて、その妻はというと、黒蜜きな粉団子を食べた。食べるのが下手なのか、団子だけ食べてせっかくの黒蜜きな粉をたんまりと残していた。
「勿体ない」
私は妻が残したきな粉を食べた。粉だけを食べたので勢いよくむせ、きな粉を噴き出し、妻に謝る。
「誤嚥、誤嚥(ごめん、ごめん)」

好文だんご本舗の黒蜜きな粉

