郷土愛が生んだお米「静織米」
おはなしをしてくれた農家(?)さん
松井 祐一郎さん(1977年生まれ)
静織の里ファーム 代表
地域 茨城県那珂市瓜連
旅人が抱いた使命感
エジプト、インド、ネパール、タイ、マレーシア、シンガポール、アメリカ…。
大学時代は、バックパッカーとして世界を旅していたという松井さん。
旅好きが高じて、卒業後もあちこちの地域を回る仕事に就くが、わずかな期間で退職してしまう。
そして、借りていたアパートに引きこもり、思い悩んだという。
松井さんの明るい人柄からすると、とても悩んでいる姿などイメージできないのだが…。
「何がやりたいのか、わからない。何も決められないでいました。そんな状態が、三日間も続いたんです」
”三日間”。
この苦悩の期間を、長いと感じるか短いと感じるかは、人それぞれ…と言いたいところであるが、おそらく多くの人々は「短っ!」と突っ込まずにはいられないだろう。
そうして、松井さんいわく悩みに悩んだ期間を過ごした後、松井さんに「何か」が降りてきた。
それは、使命感である。
「それまで、何かをやりたいと思ったことはなかったんです。でも、そう思わないのは家業を継ぐためだったのではないか。自分はそういう星のもとに生まれてきたのではないかと思いました」
松井さんの実家は、建設業を営んでいる。
茨城県那珂市瓜連にある㈱松井建設がそれにあたる。
元は旅人だった松井さんであるから、思い立ったら行動は早い。
すぐさま松井建設で働きだし、様々な経験を積んだ。
そこでも、旅で得られた経験が生きる。
松井さんは建設屋らしからぬ”異業”を次々とやってのけた。
例えば、オリジナルステッカーを作って配ったり、Tシャツを作ったり。
アパレルメーカーとコラボしてクレーンに「SAFETY FIRST(安全第一)」という塗装を施した。
このデザインがまた、秀逸でオシャレなのだ。
また、自社の採石場跡地をロケ地として提供し、映画やCM、アーティストのPVの撮影も行っている。
その本数は、
年間30本以上。
ロケに関する資機材やお弁当の購入によって、地元の経済効果にも寄与している。
松井さんのやることは、もはや建設会社の事業の枠から大きくはみ出しまくっている。
まさに、”建設界の異端児”だ。
このような”らしからぬ”アイディアは、様々な国をその目で見てきたことで、養われたのではないだろうか。
建設屋さんのまちおこし
使命感から家業を継ぐことを決心し、次々と斬新なことに挑戦してきた松井さんは、今また新たな使命感を抱いている。
それが、「まちおこし」だ。
「日本人は、故郷の魅力について語ることができる人が少ない。何で語れないかというと、その町の歴史を知らないから。私も偉そうなことは言えませんが、娘には同じ道を歩んで欲しくないなという思いがあります。娘だけに限らず、地域の人にももっと町のことを知ってほしいと思っています」
ここ数年、世間を賑わせている都道府県魅力度ランキング。
周知の通り、茨城県はランキングのワースト1の常連である。
その原因がどこにあるのか。
それは、県外の人ではなく、県内の人の故郷への関心のなさにあるのではないか。
住んでいる人が、住んでいる地域のことを知らない。
だから、魅力が伝えられない。
例えば、旅先でどこそこの町に行ったとしよう。
そこで、その町の住人に、町の歴史や魅力を訪ねたとしよう。
だが、その住人は「わからない」と言う。
もしくは、「何もない」と言う。
それでは、旅人は困ってしまう。
その町を再び訪れたいとは、よほどの探究心がない人でなければ思わないだろう。
地域の魅力のなさは、そこに住む人々の地域への無関心さにある。
松井さんはそこに目をつけた。
加えて、平成の市町村合併により、松井建設のある旧・瓜連町が「那珂市」になったことも、「まちおこし」の動機になっている。
「町のアイデンティティーを残したい」
消え去ろうとしている故郷の面影をもとに、松井さんは行動に出た。
h3>お米に込められたメッセージとは?
まちおこしのツールとなったのが、祖父の代から作られている「お米」であった。
松井さんの祖父と父は、建設会社の仕事とは別に米作りをしている。
松井家で作られるお米の評判は上々で、お米を食べた人からは「おいしい」という声をたくさん聞いていた。
でも、いくらおいしいお米でも、売値は相場で決まってしまう。
こんなに一生懸命に作ったのに! これだけかよ!
松井さんはそのシステムに憤りを感じていた。
ならば、どうすればいいか。
「おいしいお米」という価値以外の価値を付けなくては、相場の値段のままだ。
そこで、また松井さんに「何か」が降りてきた。
まちおこしと、お米作りを結びつければいい。
松井さんは、お米にメッセージを込めることにした。
そのメッセージとは、地域の歴史である。
旧瓜連町は、「静織(しずおり=しどり)」という織物の産地であったことが、常陸国風土記に記されている。
この文献によると、旧瓜連町は奈良時代に「静織の里」と言われ、その織物は大和朝廷に献上していたらしい。
実際に、この町にある静(しず)神社には織姫様の銅像がある。
旧・瓜連町にも、何とも立派な歴史があるではないか。
このことを、硬い文章で説明するのではなく、お米に乗せて伝えられはしないか。
そう思った松井さんは、お米の名前を「静織米」に決めた。
だが、名前だけでは伝わりにくい。
もっとこう、柔らかく人々に伝えられる方法はないだろうか。
イラストで、人々に伝える
そのように考えていた時に、一人のイラストレーターと出会う。
フリーランスのイラストレーター・おおきひろみさんだ。
おおきさんの柔らかいタッチのイラストを見て、松井さんはピンと来た。
このイラストで、旧瓜連町の情景を表現できれば…。
そう思った松井さんは、早速おおきさんに仕事を依頼する。
おおきさんの手によって描き上げられたイラストは、白鳥、八重桜、地域に住む動物たち、静神社、そして織姫など、旧瓜連町をものの見事に一枚の絵で表現していた。
こうして、松井家で作るお米とおおきさんの描くイラストが組み合わさり、地域の歴史が食と結びつき、人々にお米の味と一緒に地域の魅力を知ってもらうという使命を抱いた「静織米」が誕生した。
だが、この物語にはまだ続きがある。
静織米のたべものがたり
「おおきさんのイラストを見たら、物語が頭の中に浮かんできて。これを絵本にしたいな、と思いました」
はて、絵本とは。
それはどんなストーリーだろう?
「イラストに織姫様と一緒に描かれている女の子がいるでしょう? これは実はうちの娘がモデルなんですよ」
これまた親バ●な…。
話を聞いてそう思ったが、もちろん口に出すことはない。
「物語の着想は、うちの娘が2歳の頃にオシャレに目覚めた時のことで…。毎朝、保育園に行く時に自分で服を選ぶようになったんですけど、タンスを開けてあれでもない、これでもないと一人悩んでいたんです。その姿を思い出して、物語が思い浮かびました」
どうやら、松井さんの思い描く物語は、タンスから始まるようだ。
「タンスを覗き込んでいた娘が、タンスの中に吸い込まれてしまって。タイムスリップしてしまうんですね。その行き先が、昔の瓜連町。つまり、静織の里なんです。そこで、織姫様に出会って、昔の瓜連町を案内してもらって…。そんな幻想的な話が作れればなぁと。この絵本を読んだ人が、地域の名所や歴史を知ることができて。絵本が故郷の教材になるような、そんなものを作ってみたい。例えば、このお米をプレゼントした時に、これは私の町で採れたお米で、その町にはこういうお話があるんだよ、って説明ができれば。郷土愛を育むことができて、尚且つ地域の魅力を広めることもできますよね」
静織米の物語は、まだまだ続く…
お米、イラスト、そして絵本へと続く松井さんの「まちおこし」。
今後の展開も既に決まっているらしく、娘さんが成長した後は、一緒にカフェや雑貨屋さんを運営したいという。
いまや、この「静織米」プロジェクトは、松井さんのライフワークのひとつになっている。
松井さんは「静織米」を、単なるお米として扱っていない。
「食べておいしい」の先には、物語があり、地域の魅力を知ってもらうという目的があった。
農家の数だけ物語があるように、その食べ物が生まれ育った地域にも、当然歴史があり、歴史とは即ち物語である。
食べ物と一緒に、地域の物語も味わう。
そうすることで、食べ物がよりいっそうおいしく感じられ、「食べること」自体が楽しめ、故郷や地域を好きになれるのかもしれない。
執筆日:2016/1/15 らくご舎
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