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城里町の高萩さん Vol.23 2022年 春の焚火

ヒト取材記
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城里町の高萩さんと焚火をしてきた(2022/4/2)

春の焚火

車を冬タイヤから普通のタイヤに履き替えて、城里町の高萩さんに会いに行く。

寒い寒い冬(水戸よりも寒い!)を乗り越えて、城里町にも春がやってきた。梅の花が咲きそして散り、アスパラは新しい芽が出てきて、地面には緑の草が生えてきた。畑にはキジが散歩していて、うぐいすの鳴き声が聞こえてくる。

春がきた。もとい、春になってしまった。

去年も一昨年も、春が来る前に高萩さんの畑で焚火をしたが、今年はまだできていない。何分、私が一丁前に忙しそうに仕事ばかり(?)しているもので、焚火のチャンスを逃してしまっていた。

そんなある日、仕事をしていて思ったのだ。

ああ、高萩さんの畑に行って焚火がしたい、と。

その想いをそっくりそのまま高萩さんに伝えると、高萩さんは快諾してくれた。既に4月、焚火の季節とはいえないけれど、城里町の高萩さんと一緒に焚火を楽しんできた。

焚火は意外と忙しい。

ぼやぼやしていると火が小さくなってしまうから、あちこちから木の枝を集めてこないといけない。木をくべた後も、そのまま燃やしていたら木の端の方が燃え残ってしまうから、それを火の元にかき集めて燃やしてしまいたくなる。火を眺めてぼんやりと過ごすのが焚火の醍醐味だが、そうする為にはひと仕事が必要になる。

けれど、ひたすら火を燃やすということに集中しているから、そのような仕事も苦にならない。枝を集めて、火を燃やす。燃えカスが残らないよう、管理する。火がいい感じに出てきたら、ぼんやりとそれを眺める。

ただ、それだけのことだ。

それだけのことだが、いや、それだけのことだから、楽しいのかもしれない。シンプルなことに没頭していると、頭がすっきりとする。

高萩さんと二人で焚火をしていたら、高萩さんの奥さん・かおりさんが子ども(宗ちゃん)を連れてこちらにやってきた。宋ちゃんは1歳になって、少し立てるようになり、いくらかの言葉も喋るようになっていた。去年の冬はかおりさんに抱かれるがままだったのに。随分な成長である。そして、かわいい。ほっぺをぷにぷにしたくなる(というか、実際にしてきた)。

それから、かおりさんと話したり、宋ちゃんとじゃれたりして過ごした。高萩さんが干し芋やらネギやらを持ってきてくれて、焚火の火を利用してそれらを食べた。

うまい。格別にうまい。こういうのも、焚火の醍醐味だなぁ、なんて和んでいると、高萩さんが新たな食材を持ってきた。皮つきの干し芋であった。

「小さい芋は皮をむくのが面倒なので。そのまま干し芋にしてみました」

ほうほう、これはこれは珍しい。ではでは、早速焼いてみましょう、と二人皮つき干し芋を網に置く。頃合いを見て、あんぐりとかじってみる。

んー、何というか。見た目は焼き芋のようだけれど、味は普通の干し芋ともちょっと違うような。何だか、お酒を染み込ませたような、味わい深さがあった。

「これはまた、不思議な味ですね」

私が言うと、

「んー」と高萩さん、唸る。

そして、「これはちょっと食べるのをやめておきましょう」。

え、なになに? 傷んでいたの?

「1つ食べたくらいなら、大丈夫ですよ」

ほんまかいな!

その後、お腹の心配をしつつ火を眺めて暖を取っていると、だんだんと日が暮れてきた。

 

焚火トーク

暗がりの中、焚火を見つめて高萩さんとあれこれ話す。
話題は環境問題だ。

高萩さん「人口が減れば暮らしが落ち着くのか、といえばそうでもなさそうな社会になっていますよね。一人当たりのエネルギー消費がめちゃめちゃ増えちゃってるので、人口が3500万(明治時代初期の日本の人口)になったからといって『めでたしめでたし』という訳でもないんですよ」

エネルギーを使う暮らしに慣れてしまっているから……。

高萩さん「そうですね。過去の貯金を切り崩す生活ですよね。今の私たちの生活は。石油を掘り上げて、何億年かけて地球が蓄積してきたエネルギーを一気に使って生活しているんです。今の生活がずっと続けられるかというと、そうはいかないですよね。だから、人口の他に一人当たりのエネルギー量をいかに抑えるかが、今後の社会のテーマになってきますよね。前にも話した通り、企業みたいな組織が世の中を引っ張ってしまうと、大量生産大量消費の流れを止められなくなってしまう」

無理をしちゃう?

高萩さん「そう。全体のバランスも考えずに」

人間は地球上で一番破壊ができる生物じゃないですか。ということは、一番バランスをコントロールできる生物でもありますよね。

高萩さん「人間がコントロールしていこう、と考えるしかないんですよね。昔はそういうことを考えなくても、食物連鎖とか生き物のバランスでうまく回っていたんですけど。人間がそこで突出しすぎてしまった。自覚をしているならば、修正できるはずなんですけどね」

戻していこうとはしているけれども……なかなか進んでいかない。ヨーロッパの国はそのあたり積極的だという話を聞きましたけれど。

高萩さん「でも、最近そうでもないんですよね。ロシアの問題で原発を活用しようという話になったじゃないですか。安全保障上の理由で原発を活用しましょう、みたいな。原発なんて、何万年も先に借金を残すようなものですからね。将来の安心安全を奪っている。全然クリーンじゃない。『人間は誤るものだ』という認識のもとに考えれば、どういうエネルギーを選択していくべきかわかると思うんですけど。いくら仕組みを整えたって、人間が関わる以上ミスは起こるし、ミスが起きた時に如何にダメージを抑えるかを考えれば、原子力という選択はあり得ないんですよ。確かに発電としての安定性はあるかもしれないけれど、今回の戦争みたいにそこを狙われる可能性があることを考えると、恐ろしいですよね」

そういう道は諦めてほしいですよね。暴走列車の行く末は人類滅亡か。

高萩さん「そうなっちゃいますよね。自分たちが滅びてめでたしめでたしとなるかもしれない。人類が滅びて困る生物はほとんどいないでしょうから。人間は現代の恐竜みたいなものかもしれません」

人間は恐竜よりは知恵があるような気がするので、そこをどうにかね、コントロールして自然との共生を図っていかないと。今までやってきたことですからね。未知への挑戦という訳ではなくて。

高萩さん「等身大に戻る過程なんでしょうね、今は。だからナリワイを、自給力を高めれば、自然と等身大になっていくのでは」

戦争のせいでいろいろと値段も上がってますよね。

高萩さん「リスク分散が通用しなくなってますよね。アメリカがダメならオーストラリア、みたいにいかなくなってますよね。世界的に値段が高くなっていますから。だから、自給率を高めることが一番の道のりなんじゃないかと」

そこもバランスなんですかねー。国内だけに絞ってしまっても、国内で危機があった場合に対応しきれなくなってしまう。

高萩さん「何が何でもとなると、無理が生じると思うんですよ。国によって得意不得意がありますからね」

この間他の農家で聞いたんですけど、日本は小麦栽培するのに適した気候じゃないって。だったら、米に目を向けていくべきなのかなぁと。

高萩さん「今の仕組みは海外に依存することが前提になっているので、その反動が出てきてますよね」

そこはもうちょっと昔の姿に戻さないと。輸入に頼り過ぎているのは怖い。

高萩さん「そもそもエネルギー自給率が低いから、大豆や小麦を生産できたとしても、石油を止められたらダメですからね。一つのことを達成すればいいという問題でもない。エネルギーを使いすぎているという時点でダメなんですよ」

・・・

話題は食料自給率に、そして、働き方に移っていく。

高萩さん「野菜の種だって、自給率は10%しかないらしいですから」

種ねー。F1と聞いただけで拒否反応を起こす人もいますよね。究極なところはわかるけれど、農業で食べていく人のことを考えると、F1を使うことも致し方ない部分があるんじゃないかと。

高萩さん「専業化すると、F1みたいなものに頼らざるを得なくなってしまうんですよね。それだけで食べていこうとすると、苦しくなってしまう。大規模化しなきゃいけないとか、冬に暖房をつけないといけないとか。それはそれで『無理をしている』ということなんじゃないかと。固定種を広めるんだったら、自給自足の世界になってきますね。売上1,000万円とか2,000万円を全部固定種でやるとなると無理が出てきますよね。けれど、ナリワイを組み合わせて農業以外の収入も確保できれば、それも不可能ではなくなるかもしれません。知り合いで固定種で農業をやっている人いますけれど、宿泊や飲食を組み合わせてやってますね」

多角経営ですね。

高萩さん「冬の農家って割に合わない仕事が多いんですよ。だったら、そういう仕事をやめて別な仕事……たとえばワークショップとか体験とかでお金が採れるようにしていく方がいいかもしれない」

無理をしない多角経営ってところですか。

高萩さん「季節に逆らわない生き方をするのが一番なんですよね」

企業に勤めている人でも、ナリワイの考え方は生かせるんでしょうか。そこは自営業の人と違いがあるんでしょうか。立場の違いというか。

高萩さん「利益率が高いところは専業のところが多いと思いますよ。企業でやるならば、専業化かもしれませんね。でも、それを個々の人間に当てはめてしまうと、疲弊してしまう気がしますね」

なるほど。

高萩さん「企業ってやっぱりやりすぎてしまうところがいけないところで。専業ではないことで、本質的なことができるって『ナリワイをつくる』には書いてあったんですよ。専業になることで、事業を継続するためにやりたくないことや社会に求められないこともやらなくてはいけなくなってしまう。例えば、私の結婚式では専業のプランナーに頼んだ訳ではなかったけれど、充実感はありましたね。知り合いの美容室に着付けを頼んだり、知り合いの農家が作っている物を引き出物として出したり、近所の神社で式を挙げたり……」

カメラマンは私でしたよね(笑)。

高萩さん「そうでしたね(笑)。低予算でしたけれど、とても思い出に残る式になりましたから。ここでいう本質的な部分、大事なところは『みんなが楽しく幸せな時間を過ごせる』だと思うんです。結果として、お金をそんなにかけずとも、プロの仕事と変わらないものを得ることができましたから。農家も一緒ですよね。冬に暖房をつけて野菜を育てるという行為は、旬な野菜を食べるという行為とは逆になってしまう。冬にトマトって日本ではありえないんですよ。でも、専業で食べていくにはやらなければいけない」

不自然なことをしているんですね。農家だから、農業で稼がなければいけない、という訳ではない。

高萩さん「一つの品目を作らなければいけない、という訳でもないんですよ。あんまり作りすぎると売れないから、県外や海外に売る必要が出てしまう」

・・・

ところで。2月・3月はどんな感じでしたか?

高萩さん「いつも通り、干し芋作りをしてましたね。いつもと違うのは、水戸の保育サークルの人と知り合って、そこの子どもたちを連れてうちの畑で体験イベントをやりました」

どんな内容ですか?

高萩さん「人参の収穫体験をして、梅が満開だったので梅の木の下でお昼を食べて、そのあと絵本の読み聞かせとか手作りアスレチックで遊んだりとか……」

・・・

昼間は暖かだったのに、夜になると冷えてきて、焚火のありがたさを感じた。そもそもこのような時間を過ごせることが、ありがたい。寒さの残る春の夜に、真っ暗な畑の中で火を燃やし、暖を取り、それを見つめながら話をする。

贅沢な時間?
いや、これが人間にとって自然な生活なのかもしれない。

 

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