お茶農家の庭先から、城里の秋を眺め寛ぐ(2023/11/19)
第7回 古内茶 庭先カフェ 概要
2023年11月19日、気持ちよく晴れた秋空の下で古内茶庭先カフェが開催された。 「古内茶庭先カフェ」は、水戸黄門ゆかりのお茶であり、茨城県3大銘茶のひとつである「古内茶」の産地、城里町の上古内地区・下古内地区のお茶農家の庭先で、お茶を飲んでマッタリしたり、辺りを散歩したりするという、何とも長閑なイベントである(前回ママ)。
第7回目となった今回は、地域のお茶農家や飲食店など10か所が会場となり、それぞれの場所で様々な行事が催された。
会場一覧
・ふぉれすたーずりびんぐ … ピザ・ドリンクの販売
・ご飯屋さん寧々 … いなりずし・豚汁・ぜんざいの販売
・高安園 … 野菜販売・末広鮮魚店の出店(もつ煮込みの販売)
・加藤園 … おかあのごはん・えんの出店(豚バラお茶ーシュー丼・お茶つみれ汁)
・初梅園 … 笠間茶屋の出店(青パパイヤカレー)
・時沢園 … クーチェの出店(自家製酵母パン)
・大坪園 … 新米販売・陶芸品の展示販売
・鯉渕園 … M’s Tea Room(紅茶系ドリンク・スイーツ)
・鯉渕晴人宅 … まつぼっくりの出店(手作り雑貨・布小物)
・島家住宅 … マシュマロ焼き体験・竹ぼっくり体験・カバオコーヒーとDOOKIE&FRUTUSの出店・常北小学校生徒による演劇など
主催:古内茶庭先カフェ実行委員会
後援:城里町 協力:城里町立常北小学校・茨城県立水戸桜ノ牧高等学校城北校
それぞれの会場には、子ども連れ、老夫婦、若い男女とまさに老若男女の姿があった。 通りすがりにたまたま立ち寄った老人もいれば、子どもが劇に出演するから来たという若奥様もいた。 地元の人だけではなく、近隣の町からボランティアで来ていた人もいれば、県外からやってきたという人もいた。 ひとりでお茶農家を巡る男の人の姿も、案外多く見かけた。
運営に携わったチャレンジしろさとの代表・農家の高萩和彦さんは、開催を終えてこのように語っていた。
「今回の来場者数は、昨年11月に比べて実感としては2〜3割増えていると思います。農家さんもそれぞれに創意工夫し、出店者とのコラボ企画も成功して、実りの多い回になりました。地域外の方々や地元の学生にも協力していただき、支援の輪が広がっているのもありがたいです」
同じく、運営に携わった陶芸家の岩野一弘さんも、今回の開催に手応えを感じたようだ。
「(会場の一つである)島家住宅は常北小全面協力なこともあり子どもやご家族で賑わって、(新茶の季節で客の入りが良い)6月の開催と比べて客足が落ちる秋の開催としてはかなり来場が多かったと思います(全会場で延べ1,300人程)。課題も一部には見受けられるものの、回を追うごとに多くの方に注目していただき、毎回楽しみにしているという声も年々多く聞かれるようになったことは、イベントが市民権を得てきた証左だと思っています」
ボランティアで参加したUさんは、
「お天気も良く、お客様の数も程よく、こどもたちはのびのびとかわいらしく、高校生ボランティアのみなさんも感じが良く、あっという間の楽しい一日でした。学生時代の文化祭を思い出しました」
と、楽しく活動できた様子。
もちろん、楽しめたのは運営側だけではない。庭先カフェ来場者のコメントからも、イベントを楽しめた様子が感じられた。
「お茶が好きなので、こういうイベントはうれしい。雰囲気もとても良い。カバオコーヒーの古内茶ティラミスがおいしかった」(水戸市在住の女性・今回で2回目の参加)
「あちこちのお茶を飲んでいるが、古内茶はおいしい。大子の奥久慈茶もおいしくて買いに行くが、うちからは遠いので、古内でいろんなお茶農家の試飲ができるのはうれしい」(石岡市 在住の女性)
「別の所に行く用事があり、この道を通ったらイベントをやっているようだったのでふらりと寄ってみた。宮城県にも古民家はあるが、外観を残して、内装は今風になってしまっている。人が暮らしていた気配がまだ残っているのが素晴らしい」(仙台市在住のご夫婦・島家住宅にて)
などなど、賞賛の声が寄せられた。
かくして、7回目の古内茶庭先カフェは、無事に幕を下ろした。
どの会場も人で溢れ、笑顔が溢れ、和やかで長閑な雰囲気だった。 イベントなんだけれどイベントっぽくない、素朴で、どこか懐かしい感じがした。 この雰囲気こそ、大きなイベントにはない、お茶の里のお茶農家の庭先で行う古内茶庭先カフェならではの味わいだと思う。
イベントのプロがいなくても、地域の人々が中心になって祭りをおこなう。 普段交わりのない人と関わり合って、自分たちが住む地域を盛り上げようとあれこれと工夫を凝らす。 交流の中では、思わぬ出会いがあったり、意見のぶつかり合いがあったりするだろう。 時として、それはちょっと面倒なことかもしれない。
でも、そのような交流が、地域の新しい「和」を生み出し、庭先カフェならではの味わいをもたらしているのではなかろうか。
庭先を巡って、随想
我が人生唯一の自慢は、この「古内茶庭先カフェ」のすべての開催に足を運んだことである。 一部の人にしか知らされていないプレ開催の時にも行ったので、計8回の庭先カフェに参加している。プレ開催は2018年だったから、今(2023年)から5年前のことになる。 私はその間、このイベントに参加して「書く」ということで関わり続けてきた。
5年もの間、庭先カフェも山あり谷ありだったであろう。 メディアに取り上げられて大勢の人が訪れた年もあれば、コロナの影響で開催されない年もあったし、前回の開催は天気に恵まれなかった。
今回の開催日は、私の心が「谷」の状態だった。 仕事が忙しくて心の余裕が持てず、このような生活を続けていて果たして良いのだろうか、いや良くない、ではどうするか?などと自問自答を繰り返していた。 オトナになるって、こういうことなの?(もうオッサンの年齢だけど)
そんな胸中であったから、最初に行きたい場所があった。 それは、古内茶の祖といえる「初音」と思わしき木がある太古山清音寺である。
清音寺には、以前に高萩さんと訪問したことがある。 その時に強烈なインパクトを残したのが、寺の雰囲気と和尚のキャラクターだった。
清音寺の周囲は小高い山に囲まれ、少し薄暗い。 しぃんとしていて、厳かで、心がきゅぅっと締め付けられる、そんな場所だった。 その空気の中で少し佇みたい。
そんな風に思って、庭先カフェの前に清音寺を訪れた。
木々に挟まれた参道を抜け、駐車場に車を停めると、周囲を見渡した。 きれいに手入れされた庭には「太古山の晴嵐」と名前のついた立派な桜の木があり、その先に本堂があり、桜の左手に開山堂がある。 奥に行くと佐竹氏のお墓と宝篋印塔がある。
視線を上げると、背の高い木が境内を包み込むように生えている。 寺の周りは山で、境内だけすっぽりと人の空間になっている。山が覆いかぶさってくるようで、自然の力に圧倒された。
この瞬間、身の毛がよだつ思いをした。 名のある神社仏閣を訪問した時や高い山などから風景を眺めた時にも感じる、あの「ぶわっ」とした感じである(伝わらんだろうな)。 日常では感じられない、不思議な感覚。 これぞ、この日の私が求めていた感覚だった。
ああ、やっぱりいいな、ここは。 その感覚を噛みしめながら、初音を見るなどして境内をうろうろしていると、清音寺の和尚が現れた。
清音寺の和尚は、とても博識で交友関係も広く、世の真理を知っていそうな人である。 けれど、筋の通っていないことは嫌いで、そのような事をすると喝を入れられる。 以前に会った時の印象は、そんな感じだった。
知識に乏しく自分に自信が持てない私は、そんな和尚の堂々とした態度にちょっとたじろいでしまう。 だが、きちんと挨拶をしてここに来た経緯を話すと、私を受け入れてくれたようで、あれやこれやと話が始まった。
以前、ブレケル・オスカル氏と和尚が話をした時のこと。※ブレケル・オスカル氏……スウェーデン生まれの日本茶インストラクター
「まだまだ修行中の身なので」と謙遜した態度のオスカル氏に向けて、和尚は「謙虚なのはいいが、教える立場の人がそんな態度ではいかん。これが今の私のベストです。と言いなさい」と言ったという。
これには、なるほど確かにそうかもしれない、と感心した。 実質は同じでも、表現ひとつで受け手の捉え方はずいぶん変わる。 他にも「勇気は与えられるものではない、自分の心から湧き上がるものだ」など、わずか30分足らずの間だったが、いくつかの名言をいただいた。
城里町に住む人々は、度々この和尚に会いに清音寺を訪れ、仕事のこと、人生のこと……など抱えた悩みを打ち明けに行くのだという(人によっては趣味の話も)。 この後、庭先カフェの会場である「ご飯や寧々」でご飯を食べている時、知人の牛飼いさんに偶然ばったりお会いして、清音寺に行ってきたことを告げると、そこの旦那もよく和尚に会いに行くらしく、長い時は2時間も話してくるらしい。
その後に行った島家住宅でも、運営の人と清音寺の和尚の話なって「30分くらいお話してきましたよ」と告げると「まだまだ短い方ですね」と言われた。
どうやら清音寺の和尚に会う時は、時間的なゆとりを持って行ったほうがよさそうだ。 次は時間がある時に行って、滞在時間を計ってみようと思った。
さて、清音寺に行き古内茶の原点に触れてからの古内茶庭先カフェ。 清音寺の雰囲気と和尚のおかげで、私の心にいくらかの余裕ができ、清らかになった。
庭先カフェの会場でもある「ご飯屋さん寧々」で昼食を食べて、大坪園、島家住宅と訪問してから、鹿島神社のある鯉渕晴人さん宅に行く。
長く白い坂道を車で登り、神社でお参りをしてから、庭先へ。 庭に用意された椅子に腰をかけ、ふうっと一息をつく。 すると、晴人さんの奥さんがお茶と菓子を持ってきて、「あらお久しぶり」と声をかけてくれた。 庭先カフェで晴人さんの庭先に来るのは久しぶりだったのだけれど、憶えていてくれたのは素直に嬉しかった。
晴人さんの家は高台にあるから眺めがとても良い。 すぐ下に茶畑が広がり、その先に水田が広がり、さらに奥に小さな山が連なっている。 特別なものなどなく、何の変哲もない長閑な風景であるが、だからこそ、とても良い。 見ていて心が安らぐ。はぁーっと長く深い溜め息が思わず出てしまう。
そして、思った。
そういえば、この感じが「庭先カフェ」だったな、と。
お茶農家の庭先で、お茶を飲んでまったりと時間を過ごす、ただ、それだけ。
お茶農家や近所の人にとっては、日常的な「お茶の時間」に過ぎないだろう。 けれど、私たちにとっては、それがとても特別な時間で、懐かしさや安らぎを与えてくれる。
しばし、晴人さんの庭先でぼうっとして過ごすと、私の心は晴れやかになった。
続いて、鯉渕園にお邪魔すると、出張お茶サービス社のナベさんと高萩さんがお茶を飲みながら喋っていた。
「お疲れ様です。今、晴人さんのところに行ってきました。あそこからの景色はやっぱりいいですね」 私が言うと、高萩さんは「そうですか。でも、ここからの眺めもまたいいですよ」と言う。
鯉渕園は晴人さんの庭先と違って、平地にある。 すぐそこに先ほど眺めた水田があって、その広がりの先に先ほど眺めた山々がある。 さっきと同じ風景を眺めているのだが、視点がだいぶ低くなっているから印象もだいぶ違う(当たり前だけれど)。
ナベさんにほうじ茶を淹れてもらい、ベンチに腰を掛けて景色を眺めながらそれを飲む。
すると、元気な老紳士が奥方を連れてやってくる。
「茂木に行く途中でのぼり旗を見て、何かやってると思って寄ってみたんだよ」
老紳士が言う。 そのあと、その夫婦と少しお喋りをした。
「このお茶屋さん(出張お茶サービス社のこと)とてもいいね! うちの会社のイベントにも出店してもらいたいな」
どうやら、どこかの社長さんらしい。 このようなひょんな出会いがあるのも、庭先カフェらしさかもしれない。
……庭先カフェから数週間が経って、ようやく忙しさが落ち着き、この文章を書いている。
書いていて、思ったことがある。
お茶農家の「日常」である庭先が、庭先カフェによって私たちに「特別」なものになるように、 私の「日常」だって、誰かにとっては「特別」なものかもしれない。
そう思うと、私の人生だって捨てたもんじゃない。そんな風に思えた。