御前山でコシアブラを採り、ぷちハイキングも楽しむ(2022/4/16)
桜が散って、山の木々に新しい芽が生え始める。
4月も半ばを過ぎて、気温も暖かい日が増えてきた。
いよいよ春到来。
日常の風景が、そんな風に思わせる。
春といえば。
花粉(ちょっと苦しんだ)。
年度末(苦しんだ)。
桜(散々見た)。
出会いと別れ(特にない)。
新酒(最近酒飲んでないなー)。
えーっと、何か違う。
田植え?(もうちょっと先)。
違う、もっと大事なことで、楽しくて、おいしくて、癒されて。
そんなことだった気がする。
春の醍醐味について悩んでいたら、友人HからLINEが届いた。
「土曜日コシアブラ採りに行く?」
ああ、そうだった。
山菜の女王・コシアブラの季節だった。
天ぷらにして、塩かけて、さくさく食べて、後味の苦味がたまらんのですよ、コシアブラは。
これを食べにゃ、春到来とはいえない。春が来なけりゃ、夏も来ない。つまり一年が始まらない。
いかん、コシアブラを採りにいかねば!
去年、一昨年は常陸大宮や大子でコシアブラを採っていたが、H氏の提案により今年は御前山で採ることになった。場所は御前山ダムの近くの山(詳細は内緒)。H氏とH氏のかーちゃんと私の3人でがさやぶをかき分け山に入る。
さてさて、コシアブラちゃん。今年も姿を見せておくれ。
意気揚々と山を登りコシアブラを探し出したが、どれがコシアブラかわからない。
あれ? どれでしたっけ? これかな?
「違う」
じゃあ、これ?
「それは山漆」
一年経って、コシアブラがどのようなものかまるで忘れてしまった。
「あ、ほらほらあったあった!」
と長年山菜採りをしてきたH氏のかーちゃんが声を張る。
えっと、これ?
「違う違う、ほらもっと右!」
……といった具合で、コシアブラ採りの序盤は難航したが、慣れてくると私にも判別できるようになり、「あった!またあった!」とコシアブラ採りが捗るようになった。コシアブラは杉の木の近くに生える、なんて聞いたことがあったが、この山の場合は杉林にはなく、広葉樹の近く、日当たりのよい場所にあった。
来年もまた採りたいから、芽を二つくらいは残して採ったが、私たちの前にも山に入った人がいるらしく、芽が一つもないコシアブラの木がたくさんあった。こうなると、コシアブラは枯れてしまう。自然の恵みを享受したいならば、最低限のマナーは守るべきだ。
反面、大きく育ったコシアブラの木もあった。
「主だね」とかーちゃんが言うと、「主だ」とH氏と私は声をそろえた。
そんなこんなで、ビニール袋がコシアブラでいっぱいになるまで採って、山を後にする。
帰り際、近くの山に「遊歩道」と書かれた看板を見つけた。
遊歩道は山の奥に続いていて、整備されたばかりのようでキレイな道だった。
ついでにハイキングでも行く?
ということになり、コシアブラ採りの後にハイキングをすることになった。
遊歩道を歩いていると「あった!」とかーちゃんが声をあげる。さすが、かーちゃんである。H氏と私はすっかりハイキングモードだったのに、ここでもコシアブラを探していたとは。
その後も、ほらあった、またあった、とかーちゃんは次々とコシアブラを見つけた。私たちも負けじとコシアブラを探しながら歩くと、ちらほらと見つけることができた。
コシアブラ探しをしながら歩いているうちに、遊歩道の終点に着いた。
そこは見晴しのよい場所で、御前山ダムと周辺の小さな山々が見えた。
それはそれは、素晴らしい眺めだった。
「いやぁ、新緑の季節だねぇ」
なんてH氏は言うが、見えるのは葉の落ちた広葉樹と杉の木ばかりで、新緑と言うにはまだ早い。
それでも、そんな言葉を言いたくなる気持ちは、何となくわかった。
いつまでもその景色を眺めていたい気持ちは山々だったが、そうもしていられないので、山々と摘み取ったコシアブラを手に来た道を引き返した。
家に帰り、コシアブラを天ぷらにして食べる。
さくさくした食感の後に、じんわりと来る苦味と風味。
春の訪れを噛みしめた。
山菜ハイキングのお供に
ヤマケイ文庫 山菜&きのこ採り入門 (Kindle版)
コシアブラとは(Wikiより抜粋)
<木の生態>
樹高:7~10m、中には20mに達するものも。
枝・木肌は灰白色。
葉は掌状複葉、5枚の小葉で長さ10-20㎝の葉柄を持つ。
冷温帯林に生息。
日当たりの良い明るい斜面に多い。
<山菜としてのコシアブラ>
春先に伸びる独特の香りを持つ新芽は食用となり、山菜として扱われる。
食用とする場合は、まだそれほど伸びていない芽を摘み取り、ハカマの部分を除いたものを調理する。
肥沃な土地にあるものは、太いだけでなく養分が多く美味。
強い苦みがあるため、苦みを和らげる天ぷらにすると食べやすい。
他、おひたし・和え物などでも調理され、塩漬けにすると保存食にもなる。