大洗鹿島線と鹿島線で佐原駅(千葉県)へ。古い町並みを見ながら小野川沿いを歩き、利根川へ(2021/9/23)
電車に乗って散歩する
最近、電車に乗るのが楽しくて、暇を見つけては電車に乗る計画を立てる。
茨城県は車社会で、私もその社会の流れに逆らうことはしておらず、通勤はもちろん普段の移動はもっぱら車である。電車に乗ること自体が珍しく、電車に乗るだけで新鮮な思いができて、楽しむことができるのである。
でも、基本的に電車は移動の手段だから、どこかへ行くのに乗るものであって、じゃあ電車に乗ってどこへ行こうかという計画も立てることになる。一駅乗るばかりではつまらないし、あまり遠くに行くのも時間がかかるから、ちょうど良い塩梅の場所を探すことになる。
では、電車に乗って行った先で何をしようかということも考えねばならなくなる。せっかくどこそこへ行ったのだから、何を見なければ勿体ない、何を食べなければ勿体ない、ということになってしまう。
それはそれで楽しいのだが、ちょっと面倒くさい。だから、最近は電車に乗ってどこそこへ行こう、行った先でここに行ってあとは散歩しよう、までに留めることにした。幸いツレが歩くことが好きだから、付き合ってもらうのにちょうどよい、というのもある。
そんなわけで、先日は大洗鹿島線に乗って、鹿島神宮駅で鹿島線に乗り換え、佐原(千葉県)まで行ってきた。
大洗鹿島線
大洗鹿島線は、鹿嶋臨海鉄道が運営する鉄道で、水戸駅から鹿島神宮駅までの15駅をつなぐ単線である。2両編成ないし1両編成で、いわゆるローカル線の風貌を成していて、常澄駅付近などは橋上を走るため傍から見たら「なんでこんな田舎にモノレールが?!」と思われるだろう。
線路は海岸線を沿って敷かれているのだが、海岸からは距離が少しあるようで、太平洋がきれいに眺められるシーンはない。代わりにあるのは、涸沼と北浦の風景が少し。あとは畑ばかりである。
気を付けなければいけないのが、全部の電車が鹿島神宮駅まで行くわけではないこと。特に、昼時の電車は水戸駅~大洗駅までの電車しかなく、本数も1時間に1、2本程度なので東京感覚で電車に乗ろうとすると待ち時間に多くを費やすことになる。私もこの日、そのことを念頭に置いておらず、直前になってそのことに気付いて慌てて駅まで車を走らせることになった。
常澄駅から大洗鹿島線に乗った。たぶん、生まれて初めてこの鉄道に乗ったと思う。記憶の隅々を辿ってみたが、大洗鹿島線に乗った記憶が見つからない。
発車時刻ぎりぎりでホームに着く。驚いたことに、無人駅である。運賃はバスと同じように車内で下りる時に払う仕組みになっていた。「生まれて初めて」の経験は、いくつになっても楽しいもので、この日もわくわくしながら電車を待った。
やってきたのは黄色い電車。「クリーニング専科」という茨城のクリーニング屋のラッピングがされているが、汚れていて少々汚い。クリーニング専科を後で調べてみたら、小美玉の会社だったのか、知らなかった(小美玉と聞くとヨーグルト食べたくなる)。
ラッピングは車内にもされていて、マスコットキャラの黒うさぎちゃんがあちこちにいる。ちなみに、黒うさぎは「ウーサー」、ピンクうさぎは「ウサコ」という名前が付いている。
車内には結構人がいて、中には一眼カメラを持っている人もいた。これが「撮り鉄か!」と思う。私もカメラを担いでいたがEOSキス(Canonの一眼初心者用)なのでどことなく恥ずかしい。
電車が発車すると、辺りをきょろきょろしながら電車に揺られた。電車に乗ると、広告を見る癖というか趣味がある。車内広告の広告コピーは「読ませる」コピーもあって、それを読むのが楽しいからだ。でも、この大洗鹿島線はさすがローカル線だけあって車内広告はほとんどない。あっても市町村発行のものや自社広告ばかりで、広告を見るという点ではつまらなかった。
その代り車窓の風景は楽しめた。初めて乗った鉄道から、目に映る風景すべてが新鮮……でもなかった。鹿行地域は割と仕事で来ていたので、「あ、ここは車で通ったことある!」と思うことしばしばであった。
それでも、電車の窓から眺めるのは初めてであるから、視点の違いは楽しめたかな。
電車はやがて鹿島神宮駅へ。ここから鹿島線に乗り換えて佐原駅を目指す予定だが。佐原行きの次の電車が来るまで1時間近く待つことになったのは計算外だった。
鹿島線
待ち時間は、鹿島神宮駅付近の蕎麦屋で昼食をとった。地元の人ばかりが来るような蕎麦屋さんで、お客さんはみんな知り合いみたいな店だったが、一見さんの私たちも快く受け入れてくれた(当たり前か)。
蕎麦もけっこううまし。鹿島神宮には何度か来たことがあったが、駅付近を歩いたことはなかった。電車の旅は、車の場合と立ち寄る場所が少し変わってくるから面白い。
昼食後に、鹿島線で佐原駅へ向かう。鹿島線の車両はいたって普通の近代風の電車。切符も普通に事前購入した。車両はやはり2両編成だった。車両は普通だが、車窓からの景色は素晴らしかった。鰐川、常陸利根川、利根川といった大きな河川を次々に通過する。
大洗鹿島線では畑ばかり眺めていたから、大きな川を眺めながら電車に揺られるのが、実に優雅であり爽快であった。「水郷」と言われる所以がわかった気がした。
散歩の本
佐原を歩く
佐原駅を下りてすぐ後ろを振り返ると、江戸時代風の駅舎に目を奪われる。
さすが、小江戸。(観光地だ、観光地にやってきた!)と心躍る。茨城には観光地が少ないから、このような観光地的な装いのものに遭遇すると、コロッと胸がときめいてしまうのは、茨城県民あるあるか(いや、人によるだろうな)。
ウキウキした気分で駅からの道を歩く。当初は「電車に乗って、着いた場所を散歩するだけ」という計画だったが、いざ計画を立て始めるとそうもいかず。以前に佐原を歩いたことはあったが、舟めぐりは体験していなかったから、今回はぜひとも……と予定に盛り込んでしまっていた。
佐原に到着したのが14時過ぎであったから、あまり滞在時間が取れない(翌日は仕事で日帰りの予定)。だから真っ先に舟乗り場へ行かねばならない……はずが、歩いているといろいろなものが目に入り、寄り道したくなってしまう。
大きな鳥居が目に入ったので、観光案内所でもらった地図を見ると、伊能忠敬の銅像があるという、展望台もあるという。佐原に来たら、やはり伊能忠敬見ないと始まらないと思ってしまい、立ち寄ることにした。
昔測量の真似事を少しだけやったことが入り、何事も「本を買う」ことから入る私は測量の本を買った。もちろん、測量のことを何も知らないので、初心者向けの本である。その本の最初にも伊能忠敬は紹介されていた。日本人の測量士といえば、伊能忠敬を抜きには語れないということか。
これは帰宅してから知ったのだが、茨城県には伊能忠敬よりも42年も早く日本地図を「ほぼ」完成させた人物がいた。その名は長久保赤水。緯線と経線が描かれた地図を日本で初めて人物で、その地図は赤水図と呼ばれていて伊能忠敬の地図とそん色ないほどの正確さであるという。
「ほぼ完成」と書いたのは、赤水の地図には北海道が一部しか書かれていなかったから。とはいえ、その完成度の高さは折り紙つきで、伊能が測量の旅に出る際に、赤水の地図を持って行ったとか。
長久保赤水は茨城県高萩市出身。もっとPRしてやってください、高萩市さん。
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閑話休題。伊能忠敬像を見て、展望台から景色を眺め(眺望はそこそこです)、古い町並みの方へ歩く。
ここでまた寄り道。本屋を見つけてしまったのだ。旅先で本屋を見たら、寄らねばならない。これはもはやルールである。そこは小さな小さな町の本屋で、主に教科書販売で生計を立てているようだった。店員は思いのほか若い人で少し話をする。
「佐原にはこの店以外にはチェーン店の本屋が一店舗あるだけなんですよ」と言う。
ならば、応援しなければならない、本をこの店で買わねばならないと思い欲しい本を探すが見つからず。挨拶をして、店を出た。
三度散歩に戻る。
本屋から少し歩くと、古い建物が増えてきた。やがて川(小野川)に差し掛かると、古い建物だらけになり、観光客もどっと増えた。川沿いに植えられた柳が、江戸時代っぽさを演出していて良い。そのまま歩いて、伊能忠敬の旧家の前にある舟乗り場から船に乗って、小野川を下る。
舟は小さなボートで、エンジンが積んであった。手で漕ぐんじゃないんかい、と思うが口には出さない。乗客は私たち二人以外は子連れ家族で、子どもがひとり舟を怖がって始終泣いていた。
その子をあやそうと船頭のおじさんが「ドラえもんだよ、スーパーマンだよー」と子どもが喜びそうなワードを口にするが、子どもの心には届かなかったようで、泣き止まない。
「今の子はドラえもんはわからないのか」と船頭さん。
「わかりますよ」と子どもの親。
「それよりもスーパーマンがわからないかと」と私が口をはさむ。
スーパーマンかー。その言葉自体久しぶりに聞いた。エンジン音を立てながら、利根川の手前まで舟は進み、そこでUターンした。
陸地に戻ると、小野川沿いを歩いた。途中、オシャレな休憩所でオシャレな飲み物を飲み、休んだ。今風なオシャレはどうにも落ち着くようで落ち着かない。いや、落ち着かないようで落ち着くこともある。この日はどっちだったかな、落ち着いたかな。
それからはひたすら小野川沿いをひたすら歩いた。もともと、どこを歩くかなんて決めていなかったから、その場でこのまま小野川沿いを利根川まで歩こうと決めた。道の途中で、小江戸の風景は消え、普通の佐原の風景に変わった。これはこれでいい。観光地を歩くと観光をしている気持ちになるが、普通の街並みだと散歩をしている気分になる。
小江戸を抜けた後から、この日の本当の意味での散歩は始まった。
国道356号を渡るのに、横断歩道を歩いた。するとツレが「今何本あったでしょう?」とふいにクイズを出してきた。散歩中によくやるクイズで、横断歩道の白線の本数を聞いてきたのである。
ふいにこんなことを聞かれても、わかるはずがない。「10本」と適当に答えると「ブブー」と不正解音を口で言われる。何気ないやり取りでも、不正解音を聞かされるのは愉快ではないから、真剣に考える。しかし、意識もせずに歩いたから白線の数など考えたところでわかるはずがない。そこで、私はひらめいた。
私の一歩の歩幅が白線間の一つ分として数えられるという仮説を立て、体感で記憶している横断歩道の距離分をイメージして歩いてみる。体感の距離分を歩いたところの歩数が、白線の数になるというわけだ。「●本(正解は忘れた)」と答えると、「え、なんでわかったの?」とツレが驚く。
ふふふ、ここをどこだと心得る?
歩測で測量をして日本地図を作り上げた伊能忠敬が30年住んだ町・佐原であるぞ!
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- 新書 : 224ページ
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- 著者 : 高橋冬
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