野良本 Vol.19 空をゆく巨人 / 川内有緒

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「火薬画」で有名な世界的アーティスト・蔡 國強(ツァイ・グオチャン)と
いわき市の実業家であり、いわき万本桜プロジェクトの志賀忠重。
二人の生い立ちから出会い、そしてその成功への軌跡を描いたノンフィクション。

「空をゆく巨人」のあらまし

事実は小説より奇なり。

空をゆく巨人」を読んで、真っ先に思い浮かんだのがこの言葉だった。

この作品は、世界的アーティスト・蔡 國強(ツァイ・グオチャン)といわき市の実業家・志賀忠重の二人が織り成すノン・フィクションの物語である。これが、そんじょそこらの小説よりも、ずっとスリリングで、ずっとダイナミックで、ずっと感動的で。

えーっと他にも、いろいろと考えさせるものがあったり、何かを学んだり。とにかく、とてもとても良い本だったのだ。

しかも、物語の舞台のひとつが福島県のいわき市で、いわき市といえば私が住む茨城県との県境にある市で、仕事やプライベートで何かと縁のある場所であった。

そんな馴染みが深く愛着のある町が舞台なのだから、物語の世界にもすぅっと入っていけて、尚且つ、水戸市にある芸術館の人や取手、高萩など、茨城県内の市町村名や人も度々登場してくるのだから、余計である。

さて、二人の物語は、その生い立ちから語られる。
生まれながらの商売人の志賀と生まれながらのアーティストの蔡。青年期、いわきで次々と事業を成功させていた志賀と比べ、蔡は中国でもがき苦しんでいた。その時、蔡に一つの発想が生まれる。

それが、「火薬」だ。
後に蔡の代表的なアート技法のひとつとなる「火薬画」によって、成功への足掛かりをつかむ。そして、私費留学先として日本を選び、いわきへ。志賀と蔡は出会い、そこからストーリーは大きく展開していく。

蔡の作品は世界に認められ、世界各国で個展を開くことに。北京オリンピックでは開会式と閉会式のビジュアル・ディレクターに起用されるほどの世界的なアーティストになった。

蔡の斬新で突拍子もないと思えるアート・プロジェクトに、志賀は事業家として、また作品の制作者として応えていく。志賀も志賀で、その商才をいかんなく発揮し、それで得た財力でもって、蔡以外の偉人もサポートするようになる。

空をゆく巨人

 

北極海単独歩行編

その志賀の活躍ぶりが存分に描かれているのが、「空をゆく巨人」の中でも異彩を放つ、第8章の「最果ての地」である。この章は、それまでの章と違って冒険小説の装いをまとった一つの作品になっている。

志賀は、冒険家の大場満郎と出会い、大場の冒険の支えをすることになる。大場の冒険とは、北極海の単独歩行。1730キロという途方もない距離を、海が凍っている間に歩いて、独りで渡るというもの。

その冒険は、それまでに成功者はいないという過酷な冒険であり、大場も過去に3度挑戦して失敗に終わっていた。「失敗」とさらりと書いたが、単なる失敗ではない。大場はその失敗の際に、手足の指を凍傷によって失っている。下手をすれば、いや、下手をしなくたって命に関わる、非常に困難で危険な冒険なのだ。

それでも、大場は4度目のチャレンジをする。その挑戦のパートナーに、志賀は選ばれたのだ。志賀のパートナーとしての支えとは、北極海横断中の大場へヘリコプターで補給物資を届けるというもの。

大場の熱意にほだされ、サポートを受けることにするのだが、数々の事業を成功させてきた志賀とはいえ、初めての経験で、しかも世界中を探しても達成者がいないという極めて危険な冒険であるから、手順がわからない。加えて、大場は危険な冒険自体には何度もチャレンジしているが、その冒険方法は他の冒険家と違って古典的なものであった。

大場の冒険は「単独徒歩」ばかり。近代の利器を最大限に活用して、チームで冒険を進める他の冒険家とは随分と勝手が違うのだ。いわば、大場は近代的な冒険の初心者といっていい。

近代冒険の初心者の大場と、それをサポートする冒険サポート未経験の大場。そんな二人が前人未到の冒険に挑戦するというのだから、無謀といっても過言ではない。案の定、大場に危機が訪れて……。

その展開は、まさに冒険譚であり、スリリング極まりない。植村直己の本を読んでいるかのよう(実は未読だけれど)。私が読んだ本の中でいうと、「剣岳」とか。あとは、漫画の「岳」とか、映画の「エベレスト」とか、そのあたりか。遅読の私が、この「最果ての地」ばかりは一気に読まずにはいられなかった。

劒岳〈点の記〉 (文春文庫)

 

いわき万本桜プロジェクト(いわき回廊美術館)編

そしてもうひとつ、特筆すべきは12章から15章(最終章)の「いわき万本桜プロジェクト編(勝手に命名)」であろうか。

このプロジェクトは、東日本大震災後のいわき市の里山に、9万9000本の桜を植樹しようというもの(世界最大)。9万9000本という途方もない数字を植え終わるのは、何と250年後だという。桜の植樹は2020年12月現在も続いていて、2017年時点では約4000本の桜が植えられている。

このようなプロジェクトを発案するのは、やはり世界的アーティストの蔡なのか?と思いきや、実は志賀である。きっかけは、2011年3月11日に起きた東日本大震災と、それによる原発事故だ。

放射能により汚れてしまった故郷、病人のように元気をなくした知人・友人たち、そして、事実を報道しないメディア。他県の人は、みな口をそろえて「福島には放射能が怖いから行きたくない」と言う。
志賀は、震災直後にボランティアをしながら見た光景に、現実に、怒りを覚えた。

そして、震災から一か月後。福島県に桜の季節がやってくる。それを見た志賀は、多くを失った故郷に、世界に誇れる場所を作りたいと思った。

それが、桜だった。
その時に、蔡の言葉が頭をよぎる。

「99という数は無限の意味を持っています。100は完結し、99は永遠に続いていきます」
(空を行く巨人より引用)

桜の数は、9万9000本に決まる。9900本でなかったのは、桜の名所である京都の吉野山に植えられた桜の本数が約3万本であり、「どうせなら世界一がいい」ということもあって、それを超える数が設定がされた。

こうして、志賀による「いわき万本桜プロジェクト」がスタートし、いわき市の山に桜の植樹が始まった。震災と原発事故の被害に遭った方々が、思いを込めて桜を植えていく。

しかし、この物語はここで終わらない。
「空をゆく巨人」は前述したとおり、蔡と志賀の物語である。
蔡がこの万本桜プロジェクトに関わることで、二人の最大の共同作品が生まれるのだ。

それが、「いわき回廊美術館」。
桜を植えている山に、回廊型の美術館を作ろうと蔡が提案したのだ。

それは、桜が植えられた山のてっぺんに向けて龍が昇るかのような回廊を作り、その壁に美術品を展示しようというもの。その姿から、いわき回廊美術館の別称は、Snake Museum of Contemporary Art(SMoCA・スモカ)となっている。

蔡の提案に山道した志賀たちは、山の回廊づくりを始め、いわき回廊美術館は2013年にオープンする。
その後、敷地内にツリーハウスやブランコが設置され、蔡の作品<廻光-竜骨>も展示された。

この12章から15章にかけての、著者の川内有緒さんの文章の熱量がすごい。
震災時の様子をリアルに描き、恐怖とともに志賀と同じく怒りすら覚えるほどであった。

この熱量は、恐らく川内さんのものだけではない。
志賀と蔡、いわきチームの人々や震災被害にあった人々、みんなの想いが、文章に乗っている気がした。

「プルトニウム(放射性物質)の半減期は2万4000年。一回ちょっとミスすれば、2万4000年も(回復に)かかるんだ」
志賀のこの言葉が、私の心に爪痕を残す。

そうなんだ、私たちだって、一度は同じような情報を目にし、耳にしているはずなんだ。
でも、それが日常にすっかり飲み込まれてしまっていて、今はまた別の報道(情報)=コロナによって霞んでしまっている。

忘れちゃ、ダメだ。
踊らされては、ダメなんだ。

事実、まだ完全に復興は終わっていないのだから。

震災から数年経った時、私は仕事で福島の「人が住めない地域」に行ったことがある。

そこは、ゴーストタウンだった。
倒壊した家、車は当時のまま、庭は荒れ放題。
町の形をしているのだが、人の気配がない。
その町にいるのは、除染関係の仕事をしている人と警察官の人だけ。
何か動いたと、その方向を見てみれば、子連れの猪だったり、猿だったり。

当時の光景は、今も私の記憶に確かに残っているのに。
(シートベルトをし忘れて警察に捕まった記憶も)

2020年現在も、「人が住めない地域」は存在している。

同時に、蔡と志賀の二人が作った「作品」も、いわきに存在している。

震災と原発事故の残した爪痕は甚大なものであるが、二人が残した希望の光もまた、とても大きく、温かく、忘れてはいけないことを思い出させてくれる貴重な存在になっている。

この二つの事実は後世に語り継がれるべきコトであり、そして、この二つの事柄を丁寧に記した「空をゆく巨人」にもまた同じことがいえるだろう。

空をゆく巨人

野良本Vol.17 バウルを探して<完全版> / 文・川内有緒 写真・中川彰 / 三輪舎刊
「バウル」本、三度目の発行は亡き戦友が写した写真と亡き戦友への手紙が綴られた<完全版>。