野良本 Vol.30 ヒャッケンマワリ / 竹田 昼

雪の降る晩、内田百閒のアレコレについて描かれた漫画を読む

先日、関東地方に大雪が降った。出勤してから雪が降ったのだが、それが予想(予報)以上の降りっぷりであり、積もりっぷりであったから、おおいに困る。いつも車で出勤しているが、雪が積もるつもり(やや洒落)もなく、いわゆるノーマルタイヤのままである。

慣れない雪道で、しかもノーマルタイヤで運転とは、相当勇気がいることで、そんな勇気を持ち合わせていない私は、おとなしく電車で帰宅することにした。職場から駅まで歩いて30分かかるが、長靴は車に積んであったから(農家取材用)何とかなった。駅まで歩く道中、雪が闇夜を照らし、いつもは暗い田舎の夜を少し明るくしていたのが印象的だった。

それにしても、通勤で電車に乗るなんていつ以来だろうか。茨城に住んでいる間は、まるで記憶にない。東京に住んでいる頃は、電車ばかりだったけれど。久方ぶりの通勤電車に乗って、心が浮かれているのがわかった。

電車に乗ると、つい見てしまうのが広告だ(職業病)。電車内の広告は「止まっている人」が対象だから、「読ませる」広告が多い。つまり、広告コピーを読む楽しみがある。

車窓から見る景色も新鮮である。いつもは車で通る道を、電車内から眺める、なんてちょっと楽しい。

本がゆっくり読めるのもいい。最近は家にいても本を読むのは寝る前の空き時間くらいになってしまったから、こうして椅子に座ってじっくり本が読めるのは貴重な時間だ。

また、寝ることだってできる。寝過ごすのは怖いけれど。昔、東京に住んでいた頃、次の予定まで時間が空いた時は山手線に乗って寝ていたことがあったな。

そんな感じで、車通勤では味わえないことを味わいながら、久しぶりの電車通勤を楽しんだ。

駅から10分ほど歩くと家に着く。職場からの歩行時間は合わせて40分になった。日頃運動不足のため、そして、慣れない雪道を歩いたせいで、どっと疲労が出た。部屋に入るなりベッドに横になる。

ヒャッケンマワリ (楽園コミックス)

ふと、本棚に目をやると、「ヒャッケンマワリ」というマンガ本が目に留まる。百閒先生の本をすべて読んだわけではないが、自称・内田百閒ファンの私はこのような百閒本があるとついつい購入してしまう。けれど、本を買うのはいいが読むのが遅いからどんどん積読化してしまい、この「ヒャッケンマワリ」もそのうちの一冊だった。その日は雪のため退勤時間が早かったこともあり、そのまま本でも読んでくつろぐことにした。

竹田昼さんの描いた「ヒャッケンマワリ」は、主に内田百閒の書いた小説・随筆の「周辺」を描いたエッセイ漫画。内田百閒が書いた作品とその作家性のあらましを、手軽に知ることができる一冊だ思う。

阿房列車シリーズ、ノラやなどの随筆、冥途などの小説を書いた当時の百閒先生はどんな生活をして、どんな人と交友があったのか?という部分について、漫画で描かれている。夏目漱石、宮城道雄、芥川龍之介らとのやりとり、お馴染みヒマラヤ山系との関わり方、電車、酒、飛行機を楽しむ姿などなど。

中でも、電車好きの一面については描かれる頻度が高く、百閒先生と電車の関係の深さがわかる。書き出しの文章も「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。有名な特別阿房列車の書き出しの一節(3文目)である。

久しぶりの電車通勤をした後に、何げなく手に取った一冊がこの本とは。運命的なものを感じ、そのまま一気に読み終える。雪のおかげで、いい読書ができた。

翌日の朝は、当然電車で出勤した。昨晩の電車通勤の感動と同等のものがまたあると思っていたが、大違いだった。

まず、「雪だから」という理由で少しばかりゆっくり起きてもいいだろうという学生のような考えで朝寝坊する。その考えの間違いに気づき、慌てて支度をして駅に向かうが、当然私の都合に合わせて電車は走っていない。車ならば少しの遅れは高速に乗るなどして挽回できるが、電車の場合はそうもいかない。その時間帯は一本乗り損ねると、次の電車が来るまで30分ほど待つことになり遅刻決定。そもそも、帰りは家に帰るだけだから制限がないが、行きは仕事があるから制限がある、という当たり前のことが頭になかったのが失敗の要因である。電車に乗ってからは、昨晩のようにゆったりと本を読む心のゆとりも、車窓からの景色を眺めを見る余裕もなかった。

電車を降りてからの職場までの徒歩も、難儀であった。昨晩の雪が凍りつき、つるつると滑る。そのせいでゆったりのっそりと歩くから偉く時間がかかった。

「帰りはよいよい行きは怖い」。「行きはよいよい帰りは怖い」の逆である。

いや、今回の場合は「雪はよいよい通勤は怖い」か。

ヒャッケンマワリ (楽園コミックス)

 

内田百閒 (別冊太陽 スペシャル)