アートタワーのまぁるい窓から水戸の町を眺める(水戸散歩)

水戸芸術館のアートタワーにのぼってきた(2022/8/7)

水戸芸術館のアートタワー

東京にスカイツリーや東京タワーがあるように、
大阪に通天閣や太陽の塔があるように、
水戸にはアートタワーがある。

その姿は、
砂漠で観るシロクマのように、
都会で観るオーロラのように、
火星で観る生命のように、
それはそれは美しかった(謎謎/RADWIMPSより)。

水戸市制100周年を記念して、水戸芸術館のシンボルとして建てられたこの塔は、今や芸術館だけではなく水戸市のシンボルとしてそびえたっている。

その高さは、100周年記念のため100m。地上86.4mの部分には展望室があり、水戸市近郊の風景を眺めることができる。冬にはイルミネーションが施され、町ゆく人々の目を楽しませてもいる。

アートタワーの何よりの特徴は、その形状だろう。1辺9.6mの正三角形が組み合わさり、三重のらせん形状に天に向かって伸びている。その様は、どの町にあるシンボルタワーとも一線を画した異形さである。ルーマニアの彫刻家、コンスタンティン・ブランクーシの「無限柱」に着想を得たという。

8月のある日曜日、暑い暑いとうな垂れながら、水戸の町をツレのM子と散歩してきた。千波湖のほとりに車を停めて、偕楽園を抜けて、市街地を目指す。

何となく路地裏っぽい道を歩きたくなってこの散歩を始めた。この道はちょっと細いからイイネ、あの道は太いからイヤダ、みたいな感じで、歩く道を選ぶ。歩いているうちに、やっぱり大きい道路(国道50号)に出てしまい、そこからは路地裏散策は諦めて、「モヤサマ」のように気になった店に入ってみよう、とM子に提案してみると、

「気になるお店なんてないよ」

ツレはツレナイことを言う。

程なくして、前方に高いイビツな塔が見えた。水戸芸術館のアートタワーである。「のぼったことある?」とツレに聞くと「ない」というから、アートタワーにのぼることにした。

水戸に住んでいると、アートタワーのある風景は当たり前になっているが、その不思議な形状が目の前にデンと現れて改めてしみじみと眺めてみると、何とも不思議な形だなと思う。低いビルばかりが建ち並ぶ水戸の町中では、アートタワーの高さだけでも異様だというのに、あの形状が加わる。

圧迫感……というのはまるでない。なんかこう、不思議な感じ。良くわかりもしないのに、アート作品を眺めているような、そんな感じ……(あっ、アートタワーだから当然か)。

コロナ拡大中だから、塔にのぼるのは難しいかと思いきや、普通にのぼることができた。エレベーターで展望室まで上ると、そこには丸い窓が散りばめられていた。何というか、未来的、機械的で無機質な空間である。

窓から外を眺めると、水戸の町並が見える。今歩いて来た道、京成百貨店、スーパーホテル……千波湖などなど。ぼへーとしながら、ぐるりと展望室を歩いて、あちこちの窓から外を眺める。背の届く範囲のすべての窓から外を眺めていたら、ふと気付いたことがある。

(窓があると、のぞきたくなるな)

内側の窓からのぞきこみたくなるのもあるが、外側からものぞきこみたくなる。屋上などにいって、どこかの家の窓があったとしたら、そこから部屋の中をのぞきたくなる。その人はどんな生活をしているのだろう?と知りたくなる。

私はアートタワーのまぁるい窓から見える、あらゆる「窓」をのぞき見た。距離があるから窓の中の様子などまるでわからないが、その行為にドキドキしワクワクした。高層マンションなどは無数に窓があるから、私にとってはドキドキワクワクが無数にあることになる。

アートタワーから出て、そのことをツレに打ち明けると。

「変態だな。やめてよね」

そうだな、確かに変態かもしれないし、犯罪かもしれない。気になったので調べてみると、軽犯罪法1条23号「正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者」とあった(モロ該当してるやん)。

窓があるとのぞきたくなる、というのは「正当な理由」には当てはまらないだろうな。