はじめての茶摘み@茨城県東茨城郡城里町(2023/5/9)
茨城県城里町で作られている「古内茶」。当ブログ内では何度も紹介しているが、その元祖と言える茶木「初音(はつね)」の茶摘みが2023年5月9日に国有形文化財の島家住宅で行われた。
初音は城里町内の清音寺にある木で、命名したのはなんと徳川光圀公。光圀公が清音寺を訪れた際に飲んだお茶がとても気に入り、その茶木に「初音」と名付けたという。さらに、光圀公が付近にお茶の栽培をすすめ、今に残るのが古内茶だ。
清音寺の初音から挿し木をして作られた苗木350本が、2017年に島家住宅へ植えられた。それから3年後の2020年5月25日に初めての初音の収穫がされ、今年も収穫の季節がやってきた。
その日、島家住宅にはおおよそ30名が集まった。JA水戸古内茶生産組合の組合員の方々(古内茶生産者)、JA水戸の職員や城里町の職員、地域おこし協力隊、そして町長まで。メディア陣もNHKやら茨城新聞やらがいて、そこには陶芸家の岩野一弘さんの姿もあった。岩野さんは今年から庭先カフェの事務局を務めるようで、6月11日に開催される庭先カフェのチラシを配布していた。
そして、その中に何故だか私もいた。
今年度から古内茶生産組合の組合長になった大坪さんや高安園の高安さんの挨拶、そして上遠野町長の挨拶が終わると、茶摘みが始まる。茶摘みというのは生まれてこのかた経験したことがなかった。その日は仕事でその場に居合わせたのだが、せっかくなので、と茶摘みをやらせてもらうことになった。
古内茶生産者であり、前・生産組合の副会長である加藤秀仁さんから「本葉3、4枚のあたりを摘んでね」と教わると、初音の木と向かい合って腰を下ろした。お茶の木の枝と葉がもしゃもしゃとしているから、始めはどれが新芽だかわからなかったが、じっくり目を凝らして見ていると何となくわかってくる。新芽は葉に艶があるが、古い芽はそれがない。
言われた通りに、本葉3、4枚のあたりを片手でぷちっと折ると、簡単に茶の芽が採れた。要領を得てくると、ほいほいと芽を摘むことができた。
茶摘みをしていて、コシアブラの収穫を思い出した。木の密集度は違うけれど、コシアブラも新芽を採るという点では同じである。コシアブラは成長しすぎた芽だと、あまりおいしくないと言って採らなかったが、お茶はどうなんだろう?
「あまり小さい芽だと栄養がいきわたってないからおいしくないんだよ」
またしても、加藤秀仁さんが教えてくれる。なるほど、だから「本葉3、4枚」なのか。
慣れてくると、作業が面白くなってくる。採り逃してはならんと目を凝らして初音の新芽を探し、必死に手で摘み取った。しばらくの間、仕事のことなどそっちのけで、茶摘みに没頭してしまう。
普段のお茶の収穫は、この日のように手で摘むことなどしないらしい。機械でもって、スピーディに作業がされるという。今日のように丁寧に手で摘まれたお茶は、とてもおいしかろう。
そんなことを考えていたら、近くの人が声をかけてきた。
「あっちに茶摘みの名人がいるよ」
その言葉に興味がわいたので「あっち」に行ってみる。すると、老婦人がちゃっちゃと(お茶だけに)すごいスピードで茶の芽を摘んでいた。まるで、草でもむしるかのような速さで、新芽を摘んでいく。これぞ、熟練の技というものである。
6キロの初音の芽を摘むと、茶摘みは終わった。腰をあげて、辺りを見渡す。この日はとてもいい天気で、島家の茶畑と近くの里山、そして春の薄い空が合わさり、長閑で清々しい風景となって、日頃の仕事でPCばかり見て疲れ切った私の目を癒してくれた。とても気持ちがよかった。仕事でなければ、もっとよかった。
古内茶の生産は、5月~6月半ばにかけて大忙しになるという。この素晴らしい茶の里の風景を今後も見続けるために、後世に残すために、生産者にはお茶を作り続けてもらいたい。そのために、私たちができることは……「お茶を買って飲み続ける」という消費活動ももちろん大事だけれど、「現地でできるお手伝い」という実質的な応援が必要なのでは、と最近は思うようになった。
……などと頭の中でごちゃごちゃと考えていたら腹が減ったので、とりあえず山桜(城里町の直売所)に行って蕎麦を食べることにした。