勝田駅~(湊線)~那珂湊駅~(散歩)~殿山(2023/6/4)
なんにも用事はなかったけれど、湊線に乗ってみたかったので用事を作って出かけることにした。
湊線というのは、ひたちなか市の勝田駅から同じく阿字ヶ浦駅(全部で11の駅、14.3㎞)をワンマン運行でつなぐローカル線である。近頃の私は、JRに勤めていた亡き父の影響か、それとも尊敬する内田百閒の「阿房列車」の影響か、いずれにしろ鉄道を利用するのが楽しみになっていた。
この日も用事がないけれど湊線に乗ったことがないから湊線に乗って出かけてみたくなっただけのことで、いわゆる乗り鉄でも撮り鉄でもないので、特別鉄道に詳しい訳ではないことをまず最初に断っておこう。
幸いにも奥方のM子さんは海鮮丼が好きだから、「海鮮丼を食べに行こう」と誘ってみたところ、「うん、いいよ」と返事があったので、「よし、じゃあ湊線に乗って那珂湊のおさかな市場へ行こう」となった。
那珂湊おさかな市場へは車で行けば住んでいる場所(水戸)から20分ほどで着いてしまうのだが、わざわざ車で勝田駅まで行って15分、勝田駅からひたちなか海浜鉄道湊線で那珂湊駅まで15分、那珂湊駅からおさかな市場まで12分と、計42分と倍の時間をかけてわざわざ行くのであった。
勝田駅まで車で行って、近くの駐車場に車を停めて駅まで少し歩いた。いざ湊線に乗ろうとするが、乗車ホームがどこだかわからない。ホームどころか、切符売り場がわからない。旅の始まりで、いきなり途方に暮れてしまい、JR改札の前でぽかーんとしてしまう。
その姿を見た奥方が「大丈夫? 頭」と無礼なことを言う。無礼千万ではあるが、怒っても敵わないから「大丈夫」と笑顔で返してやった。仕方がないから駅員さんに聞こうと窓口に行く。
「湊線に乗りたいんですけど」と言うと、「それではこのまま人がいる改札を通って1番ホームに向かってください」と言われた。切符売り場もそこにあるらしい。
女性の駅員さんが私たちに興味を抱いたらしく「どこから来たんですか?」と聞いて来たので、「水戸からです」と答えた。わざわざ遠くから乗りに来る人もいるのだろうか、「隣町から来た」という期待にそえない返答で申し訳ない気がした。
1番線ホームに着くと、窓口で那珂湊までの切符を買って、小さくて細いホームで列車が来るのを待つ。ホームには既にそこそこの人が列車を待っていた。狭いのはホームばかりではなく、備え付けのベンチも狭い。このようなちょっとした不便さや小ささが、ローカル線らしくて微笑ましくあり、好ましい部分である。
すぐ隣のJR常磐線のホームは至って普通のホームで、そこから線路を少し挟んだところにこの湊線のホームはあるのだが、それなのにどこか風情を感じる。隣町から来たのに、どこか遠くに来た気分になる。
程なくして、湊線がホームにやってきた。黄色のボディに黒いうさぎのイラストが描かれている。茨城県が誇るクリーニング屋「クリーニング専科」のラッピング車両で、一両編成だった。
確か。以前に乗った大洗鹿島線でもクリーニング専科のラッピング車両があったな。クリーニング専科の社長様は鉄道が好きなんだろうな。
ホームで待っていたそこそこの数の人は、一両の車両に無事に収まった。そこそこの数が待っていたと思っていたが、みな車内の椅子に腰をかけることができたので、実際にはそんなに数はいなかったのかもしれない。車内にも黒うさぎがところどころにプリントされていて、他に広告らしいものといえばひたちなか海浜鉄道の自社広告くらいであった。
がたん、ごとん、とゆったりと揺れて湊線は走り出す。
次の工場前駅、その次の金上駅までの車窓から見える風景は、如何にも住宅街といった感じであるが、中根駅、高田の鉄橋駅と進むにつれてのどかな田園風景が目に飛び込んでくる。再び街らしい風景になってきたかと思うと、那珂湊駅に到着した。
ぞろぞろと乗客が降りていく。それに続いて私たちも降りる。改札で切符を渡す。そして、駅の外へ出る。
どこかで見た風景だ、と思ったら、仕事でこのへんを車で走ったことがあった。列車に揺られて来たので、もっと遠くまで来ているような感じがあったのに、仕事圏内なんだと思うと少し興が冷める。
しかし、歩き出すとまた違う。車で走るのと歩くのとでは、得られる情報量も質も変わってくる。歩いていると那珂湊の街の細部まで視覚で感じられる。
ぞろぞろと列車から降りてきた人たちは、私たちと同じ方向に向かって歩く。皆目的は同じのようだ。市場が近づくと、車も混雑してくる。おさかな市場ってそんなに人気スポットだったの? 隣町に住んでいても、知らないことは多々ある。
おさかな市場に着くと、人でわんさかと賑わっている。市場の人は、皆いかつい体格をしていて日焼けをしていて、とてもケンカが強そうでケンカになるのも早そうで、ぱっと見怖いのだけれど顔を見ると笑顔なものだから、案外優しいのかも?と思いもするが、伊勢海老が置かれた水槽に「絶対に触らないで、触ったらお買い上げになります」みたいなことが書かれていて、やっぱり怖いな、と思う。
怖いもの見たさに触ってみたくなったけれど、そんなことをしたら隣にいる奥方が怒りそうだから衝動を抑える。奥方は市場の人よりも……おっとこれ以上はここでは書けない。
一通り市場を見て歩いたけれど、何も買わない。うちの奥方M子さんは、魚をさばくことなどしない(できない)し、貝類もキライだから買うものがない。かくいう私は魚介類を食べるのは好きだが、調理することはしない(できない)から、やはり買うものがない。生牡蠣を食べたいと思ったが、M子さんが食べられないから一人で食べるのも何だから、やっぱり買うものがない。
それでも、市場を歩くのは楽しいと思った。賑わっている雰囲気が、そう思わせるのだろうか。
いよいよ(表向きの)目当てである海鮮丼を食べるために、適当な店を探す。「今なら空いてるよ!」と市場の人が威勢良く声をかけてきたものだから、それに誘われてそのまま店に入った。
二人とも迷わず海鮮丼を選んだ。私はご飯を大盛りにする。少し待って、出てきた海鮮丼はなかなか豪華なものだった。エビ、いくら、マグロ、タコ、ホタテ……エトセトラ。
「エビが生きているようで怖くて食べられない」と女性らしいことをM子さんが言う。確かに生々しいが、私にはおいしく見える。殻などを剥いてあげると、M子さんはぺろりと食べた。そんなものだ、女性というのは。
海鮮丼を食べ終えると市場を出て、少し周辺を散歩することにした。殿山駅の方に、海沿いを歩く。このへんはM子さんにとって縁とゆかりのある場所だというので、そのへんを歩く。
「ここは母が働いていた場所で……」
「このへんは昔私が良く歩いていた場所で……」
「(姥の懐マリンプールあたりで)ここにも来たことある!」
M子さんがしゃべる。私は「へぇ」と相槌を打ちながら、歩く。
途中、海岸に降りられる場所があったので、降りてみる。その日は日差しがあって暑くはあったが、海水浴にはまだ早い季節である。素足を海水にひたすなんてことはせずに、海辺を歩くのみとする。
すると、M子さんがしゃがみこんで何かを拾いだした。
貝殻である。
「これは良い貝、これはダメ」
形が整っているのは良い貝で、欠けたりしているのはダメな貝らしい。面白そうなので私も手伝うことにする。
「これは良い、これはダメ」
二人で黙々と作業する。良いと思われる貝があれば、拾ってM子さんに渡した。良い貝は家に持ち帰り、飾るつもりらしい。
「あれ?」とM子さんが何かを見つける。
「何、これ」
それは、透明な石のようなものだった。
「透明な石だ」
私は見たままを口にした。
でも。
二人とも少しして気付く。
「ガラスだろうね」
ガラスが波に揉まれ、石などにあたり、削られて丸くなったもの。
「これは、良いね」
そう言って、私は透明な石を自分のカバンに入れた。
散歩の本
- 出版社 : 早川書房
- 著者 : 島田雅彦
- 発売日 : 2024/2/21
- 新書 : 224ページ
- 出版社 : 三省堂書店/創英社
- 著者 : 高橋冬
- 発売日 : 2024/3/6
- 単行本(ソフトカバー) : 398ページ