樹にぶら下がってゆうらゆら。それはまるで、みのむしになったやうな…
木と触れあい、友達になる。そして、ミノムシになる。
ツリークライミング(R)という木登りの技術がある(通称:ツリクラ)。
木登りというと、道具を付けずに木の幹にしがみついてよじ登っていく姿を想像すると思うが、ツリークライミングはそれとはまったく異なる方法で木に登る。
主に使うのは一本のロープのみである(ヘルメットやカラビナ、サドルなどの安全用具は身につける)。ロープを木の太い枝にぶら下げて、そこに結び目や輪を作って、見事なまでに器用に登ってしまうのである。
輪に足を引っかけて、ぐいと力を込めて足を伸ばし、身体を起こすようにして少しずつ高度を出すのだが、これが見た感じなかなか大変そうで。しかし、やってみるとあれよあれよという間に木に登れてしまうのだから、何とも不思議なものである。
ツリークライミングの発祥の地はアメリカで、元々はアーボリスト(樹護士)が樹木を管理したり、遺伝原子を保存したりするために開発した技術。
それが一般の人々にアウトドア・アクティビティとして広まりだした。
茨城県では、ツリーフロッグという団体がツリークライミングの体験会や講習会を開いていて、今回城里町のフォレストピア七里の森で体験会が行われると知り、ちょっくら体験してきた訳である。
「体験できてよかった! ツリクラ最高!」なんて、初々しい体験談を書くつもりは毛頭なく、
かといって「ツリクラしんどい、疲れた」なんて苦労談を書くつもりもない。
それもそのはず、私はツリクラ経験者なのだから!(といっても、今回が2度目か3度目の程度)
ここは経験者らしく、連れて来た友人たちにお手本を見せようと思うが、そこまで人生甘くはない。
体験したのは数年前。
登り方など全く覚えておらず、初体験の友人と一緒にツリーフロッグの方(小島さん)から指導を受ける。ツリークライミングについて、ロープの結び目について、などの説明を受け、皆と一緒に初々しく「もくもく体操(木の気持ちになって身体を動かす準備体操のこと)」をした。
(ああ、そういえばこんなのあったな)と徐々にツリクラ体験の記憶がよみがえる。
指導を受け終わり登り始めると、今度は体力と筋力がモノをいう。連れて来た友人Hは、自慢の筋肉でもって猛然と木に登っていく。対する私は、えっちらほっちらとゆったりペース。まぁ、ツリークライミングは競うものじゃないから…とぐんぐん私よりも高い場所に登る初心者・Hに対して言い訳をして、心を落ち着かせた。
ツリクラって、そんなに体力・筋力が必要なの?思われる方もいるかもしれないが、案外そうでもない。
主に使うのは足の筋肉で、足は人間の中で一番筋肉があるところだから、終わった後も少々太ももが筋肉痛になるくらい。女性や子どもでもすいすい登っている。子どもの方が身軽な分、軽やかに登っているように思う。このへんは山登りも一緒か。ぜいぜいと息を切らすお父さんを尻目に、子どもが楽ちんそうに登っている光景が思い浮かぶ。
ツリークライミングは、身体が宙に浮いた瞬間にパッと世界が変わる。日常生活ではまったく味わえないであろう浮遊感を得た時に、ちょっとした驚きとものすごい感動がある。
身体を地面から浮かせ、宙にぶらぶらとしているだけで楽しいのだ。そして、高度を上げて地上から6メートルくらい浮いたところまで上がれば、更なる感動が待っている。周囲に近隣の山々の風景が見渡せて、下を見ればちょっと怖いが高さを実感できる。ここまで自力で登ったんだ、という達成感がわいてくる。何より、木にぶら下がってゆ~らゆらと揺れているだけで、心地よい。
なんだろう、この感覚は。
味わったことがない感覚なんだけれど、既視感はある。
ああ、そうか。ミノムシだ。
と、木にぶら下がって揺れているミノムシの姿を思い出した。
ミノムシはいつもこんな風にぶら下がっているのだろうか。だとしたら、なんて羨ましい生活をしているのだ。いや、たまにぶら下がるから楽しいのか。いつもぶら下がっていたらここまで楽しくないのかもしれない。
とにかく、人として生きている以上、日常では得られないこの浮遊感をいつまでも味わっていたい気持ちになり、私と友人Hは時間いっぱいまで木にぶらさがって揺れていた。一緒に登り始めた子どもたちは、既に地面に下りていたのに。
「いつもは子どもが下りてこないんだけどね。今回は大人が下りてこないとは。珍しい」
インストラクターの小島さんにそんな風に言われ、笑われた。
だって、心地よいんだもの。
「体験できてよかった! ツリクラ最高!」
何度体験しても、やっぱり初々しい体験談になってしまうのは、ツリークライミングがそれだけ非日常的な体験であるからだろう。
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