野良本⑧ 木 / 幸田文

幸田文の優しさあふれる名文が、「木」の魅力を存分に語る

 

この本を読むと、とことん「木」が気になる

以前に、東京で「山の本」という本のイベントに参加したことがある。

小さな本屋や出版社の人たちが、山に関する本を選書して販売するというもので、にわかに山登りをしていた私は、これは面白そうだと興味津々で東京に向かった。新田次郎や植村直巳などの本がずらりと並ぶかと思いきや、意外にもそうではなかった。そのような「直球」は抑えつつも、さすが本の世界で働く人々である、見事にセンスの良い「変化球」も交えてきて、これは打者はそうそう打てそうにないと言った投球術…ならぬ選書術を披露してくれた。

その変化球の中で私の目を奪ったのが、落差のあるフォークやカーブなどではなく、「カットボール」とでもいうべき本であった(何のこっちゃ)。

その本のタイトルが「木」であった。
かの有名な幸田露伴の娘・幸田文(あや)さんの著書である。

「山」というと、登山が真っ先に思い浮かび、新田次郎の剣岳よろしく、高山の苛酷な自然環境化で人類が四苦八苦するような物語を彷彿しがちである。
そこにきて、「木」である。

確かに山には木が生えている。生えているというか、生い茂っている。
標高が高くなれば、森林限界と呼ばれるように木が生えない場所もあるが、標高1,000mほどの山ならば大抵「木」で覆い尽くされている。だから、「山の本」というイベントで「木」という本があってもおかしくはないが、「直球」とは言えない。かといって、「変化球」というとそこまで変化しているようにも感じられず、「カットボール」くらいがちょうどよい、という訳である。

その本の表紙は、濃い緑の縁取りにクリーム色の地、そこへ薄茶色の墨で「木」が描かれていた。パッと見て、ちょっとおどろおどろしい表紙に見える。でもじっくりと眺めていると、木のぬくもりが伝わってくるような温かみのある表紙にも見える。

加えて、この本の装丁は背表紙がいい。表1(表面の表紙)の縁取りに使われた濃い緑が地の色になり、そこへ白で「木」とタイトルが書かれ、さらに薄いピンクで「幸田文」と著者名が来る。この薄いピンクの著者名が、著者の幸田文さんの人柄を表しているようで、女性的な魅力がある。

そして、本文の紙質である。最初から16ページまでは淡いクリーム色、そこから96ページまでは淡いブルーというか何というかといった感じの色。その次は淡いグリーン、その次は淡いグレーのような色…といった風に、数十ページごとに紙の色が違う。本を閉じた状態で、小口の部分を眺めていても、また美しく、可愛らしいのである。

それもそのはず、私が購入した「木/幸田文」は、新王子製紙会社が発行したもの(製作は新潮社)。一番最後のページには、使用した紙質が記載されているなど、製紙会社ならではの紙にこだわった一冊なのである。

「山の本」のイベント会場で見つけたこの変化球的な山の本に、私はとても惹かれた。そして、購入するなり、すぐに喫茶店を探して珈琲を頼み、席に座ってこの本を読み始めた。

「ふっと、えぞ松の倒木更新、ということへ話がうつっていった」という唐突な書き出しに、すぐさま本の世界へ引き込まれた。

木の魅力について、幸田文さんが素直な文章をつづっている。幸田文さんは、木の魅力の虜になって、北海道にえぞ松の倒木更新を見に行ったり、屋久島まで縄文杉を見に行ったりと、全国を旅して歩き回ったようだが、私はその幸田文さんの文章の虜になって、本の世界へ旅に出た。

えぞ松、藤、ひのきに杉。植物としての生命を遂げてやがて「材木」となる木。「木」は植物として、そして素材として、人々を楽しませ役立っている。見慣れた木も見慣れぬ木も、読み進めていくととにかく「木」が気になる。「木」について、もっと知りたくなる。本の世界から飛び出して、実際にいろいろな「木」を見てまわりたくなる。

この本は、「木」の魅力と、「本」の魅力、「紙」の魅力…そして、「旅」の魅力すら持ち合わせた、贅沢な1冊であった。

 

木 / 幸田文 (新潮文庫版)

私が購入した「木」は、1996年9月20日に新王子製紙から発行された「特装版」。この本の初版は1992年に新潮社より発行されたものである。

ちなみに、著者の幸田文さんが亡くなられたのは1990年10月31日(享年86歳)。著者が亡くなった後に書籍化されたことになる。掲載されているエッセイは「えぞ松の更新」が1971年、最後の「ポプラ」が1984年に書かれたものであり、著者の13年にわたって書いてきた「木」についての想いが綴られている。

2019年現在、購入できるのは新潮文庫から発行されているものになる。

発行  1995/11/30
値段 473円(税込)
ISBN-13: 978-4101116075