沖縄を舞台にした記録とクイズの物語「首里の馬」
帰りの飛行機内で何か読もうと那覇空港の本屋に行く。さて「何か」とは何か。最近ハマっている森見登美彦本か。それもいいが、せっかく沖縄からの帰りの飛行機だから、沖縄の本が読みたい。しかもノンフィクションではなくフィクション、小説な気分だ。
那覇空港の本屋は少し小さめで、文庫本のコーナーはその小さな本屋の片側の壁に3,4棚分並んでいた。著名な作家の「沖縄を舞台にした小説」がいくつか見つかり、ぱらっと捲って読んでみるがピンとこない。
(本は諦めて飛行機の中は寝て過ごすか)
諦めかけたその時に、エンドに置かれた棚に目が行く。そこに置かれていた「首里の馬」に手が伸びる。首里といえば、首里城、沖縄だ。帯に「ずば抜けて面白い」「芥川賞受賞作」と書かれており、ぱらっと捲り読んでみてピンときた。
この本はきっとずば抜けて面白いに違いない!(帯のまんま)
多大なる期待を込めて「首里の馬」を購入し飛行機に乗り込んだ私は、旅の疲れで本はいくらも読めず、結局寝てしまった。
翌日、「首里の馬」を一気に読み終えた。確かに、ずば抜けて面白かった。
スポンサーリンク舞台は沖縄。だけれども、この本には沖縄のエメラルドの海なんて出てこない。出てくるのは、沖縄の記録(歴史)と馬。主人公は若い女性で、仕事は問読者(トイヨミ)というクイズの出題者。オンラインでつながった僻地の人(外国の人)に、日本語でクイズを出す、という一風変わった仕事だ。
一方で、郷土資料館で資料の整理を趣味で手伝っていた。彼女は孤独だった。クイズに答える人も、孤独だった。そしてまた、舞台となっている沖縄も、孤独な経験を持つ島だった。クイズを通して、孤独な人々がつながっていく。そんな物語だった。
著者の高山羽根子さんの文章もいい。難しくもなく、静かで孤独な感じが出ている。淡々と話が進んでいく中で、時折飛んだり跳ねたりする。遅読な私が、たった一晩で読み終えてしまったのだから、間違いなくずば抜けて面白かった。
先日、14年ぶりに沖縄旅行に行った。その時泊まったホテルの朝食のお弁当にさんぴん茶の360g缶が一人1缶付いてきた。私以外の家族の舌は大変わがままなものだから、私は皆の分もこの茶を飲んだ。以前、2010年に沖縄旅行に行った時も私はさんぴん茶を好んで飲んでいて、沖縄から帰ったあともその名残惜しさからジャスミンティーを好んで飲んでいたから、他の家族分のさんぴん茶を飲むことになっても、私にとっては喜ばしいことであった。
とはいえ、4人家族×2日分=8本ものさんぴん茶を一度に飲むのはさすがに難しく、現地で飲み切れなかった何本かは茨城の家に持ち帰ってきた。このさんぴん茶360g缶ひとつとっても、そうした記録がある。いや、原料の栽培から、製造まで辿るとすると、もっと大量の文字数が必要になるが。
そう、この本は記録の本だ。
沖縄ではひめゆりの塔を訪れた。子ども二人は車に残し、妻だけが付き合ってくれた。そんな状況だから、ゆっくりと見ていられない。ほんの少しの時間だが、この場所からものすごい何かを感じ取った。重苦しくて悲しい気持ちが、壕の中からあふれ出ていた。
ひめゆりの塔は、戦争の悲しみと苦しみを記録している場所だ。沖縄にはそうした場所がいくつもある。「首里の馬」にも、沖縄のいくつかの記録が刻まれていて、作品の主人公・未名子はそのような記録を将来につなぐ手伝いをしている。
また、この本はクイズの本だ。
話の中に出てくる事柄は、抽象的に書かれていることが多い。ウルトラクイズ、高校生クイズ、地下鉄サリン事件(オウム真理教)など、その固有名詞は明かされず、ヒントとなるような言葉のみで表現されている。パーマカルチャーのような存在を示していたものもあったかな。読んでいて「これって、あのことでしょ?」と思うことがいくつもあった。
でも、答えははっきりとは出てこない。固有名詞では書かれない。まるで、こちらの知識を試されている感じ。まさに、クイズを出されているかのよう。クイズは物語を構成する重要なパーツのひとつであるが、作品自体がクイズめいている。「にくじゃが」「まよう」「からし」。未名子が最後に出題したクイズは、最後まで読者にすら答えを明かさなかった。
そうして、この本は孤独を認めてくれる本だ。
物語に登場するほとんどの人が、孤独を抱えて生きている。主人公の未名子、クイズの解答者の3人、電気屋、宮古馬。順さんも、孤独を感じていたかもしれない。いわば、孤独が当たり前のような世界だ。そんな世界に浸かると、孤独が正当化されているようで心地よくなる。孤独だっていいんだ、こうやって生きている人は他にもいるんだ、そんな風に思えてきて、いやむしろ孤独がいいじゃないか、孤独ってかっこいいじゃないかとすら思えてしまう。
最後に。この本はつながりを感じさせてくれる本だ。
「首里の馬」はクイズによって孤独を紛らわせる人々の物語でもある。孤独を紛らわせるとは、人と人がつながりを持つこと。
今回の沖縄旅行では、家族と非日常を共有することで、つながりを強めることができたように思う。沖縄旅行中に、部屋に鍵を忘れて、ホテルの従業員と一緒に部屋まで取りに行った時、古宇利の存在を教えてもらい、行く予定はなかったがその日のうちに古宇利に行った。訪問先がひとつ増えたのは、偶然がつながったから。
同じホテルに茨城県出身の人が泊まっていて、チェックアウトする日に出会えて話ができたのもつながりだ。その人は自転車で47都道府県を巡る旅をしている人で、旅行から帰ってからSNSでまたつながることができた。茨城県に住む私が、沖縄旅行の最後に那覇空港の本屋でこの本と出会えたのも「つながり」だろう。
本を読み終えたあと、解説を読んでもうひとつ強烈なつながりを感じた。著者の高山さんが横浜DeNAベイスターズのファンだと知る。この本の着想を得たのが、ベイスターズのキャンプを見るために沖縄に来た時だったという。何という奇跡か。私がこの本を購入したその日、ベイスターズは26年ぶりの日本一に輝いた日だった。
そして、私もまた、この「首里の馬」のことと、沖縄旅行のことを、ここに記録する。いつか、誰かの役に立つように。そして、このページのリンクから、新しいつながりが生まれることを祈って(それを世の人はアフィリエイトという)。