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城里町の高萩さん Vol.29 栗拾い

ヒト取材記
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城里町で”栗の王様”利平栗を拾う(取材日 2023/10/07)

栗と一緒に思い出を拾う

茨城県は言わずと知れた栗の産地で、生産量、栽培面積はともに日本一(2021年のデータ)だ。国内で食べられている栗の2割は、茨城県で採れた栗である。中でも笠間市の栗は産地として有名だ。

秋になると、茨城県の菓子店では栗を扱ったお菓子で賑わう。モンブランやどら焼き、渋皮煮など、和洋問わずに栗を用いた菓子が店頭に並ぶ。家々では、ごはんの中に栗が混ぜられ「栗ごはん」となって食卓に並ぶ。栗は、茨城の秋の訪れを知らせてくれ、秋の楽しみを味わわせてくれる食べ物だ。

茨城県の秋は栗の他にも梨やかぼちゃ、ブルーベリーに蕎麦、そしてサツマイモなど、様々な農作物が豊富に採れる。茨城県は2023年も魅力度ランキングは最下位だったらしいが、これらの豊富な食材を味わえるという、とてつもなく大きな魅力があると思うのだが。そのへんの広報は茨城デスティネーションキャンペーンに期待することにして。

城里町の有機農家・高萩和彦さん

そんな秋の日に、城里町の高萩和彦さんの畑に遊びに行くと「今日は栗拾いに行きましょう」と誘われた。はて、高萩さんは栗林など持っていないはずだったが。

「知り合いのMさんの栗畑です。その家でも昔は採れた栗を販売していたらしいのですが、今はそれができていなくて、代わりに栗拾いして販売して欲しいと頼まれまして」

城里町・Mさん所有の栗畑

何でも「城里町の隠れた地域資源を生かしながら子どもたちの遊び場を作る活動」があって、町内のMさんの敷地に農薬を使っていない栗畑があるというので、そこを活動で利用させてもらうことになったらしい。それで、去年から子どもたちを連れて栗拾いを始めたという。

「今年もやる予定でしたが、予定していた日の天気が悪いようなので中止にして、子どもたちには別のイベントを用意することにしました。ですが、落ちた栗をそのままにしておくと虫に食べられて勿体ないので、今日栗拾いを私たちでやってしまおうかと思いまして」

そのような訳で、私は高萩さんと一緒に栗拾いをすることになった。

栗の木

高萩さんの軽トラに乗せてもらい、車を少し走らせると、栗拾いの場所に到着した。地主のMさんに挨拶をして、少しお話を聞く。Mさんは農家ではなく別の仕事をしているのだが、広大な庭(というか畑)を持っていて、そこで野菜やらを作っている。栗畑も敷地の一つで、その中には柿の木もあった。

城里の景色

家は高台にあって、そこから見える畑やら近くの森やらの風景がなかなか良い。特別に何か偉大なものが見える訳ではないのに、日本の田舎ならばどこにでもありそうな風景なのに、見ているだけで心が安らぐ。

家の裏には森があって、まさしく「裏山」になっている。これもMさん所有のものだという。家の周りにこれだけの自然資源があるなんて、何ともうらやましく思えたが「管理が大変なのよ」とMさんが言うのを聞いて、(確かにそうだろうな)と思い、うらやましさも半減した。

さて、栗拾いである。

Mさんの栗畑には10本程度だろうか(違っていたらすみません)、の栗の木があって、そのキワには小川が流れていた。栗畑には、既に抜け殻になった毬栗がいくつも落ちていた。Mさんが事前に採ったものらしい。

利平栗

その栗を見て、思わず声をあげた。

「でかっ!」

毬栗のサイズが大きい。それは見慣れた毬栗よりも、明らかに一回りか二回りほど大きかった。

「利平(りへい)という品種で栗の王様と言われているんです」

と驚いた私に反応して高萩さんが答えてくれる。

利平栗

栗に品種があったことを、この時初めて知る。利平栗は外面だけではなく、中身も立派なサイズをしていて、皮は少し黒味がかかっている。「王様」たる威厳が、その大きさと風貌に表れていた。

それから、高萩さんが栗の拾い方を伝授してくれた。

毬栗を足で開く。

まず、茶色くなった大き目の毬栗を見つける。

次に、片足で毬栗の片側を抑え、もう片方の足で栗を開く。

中から出てきた栗を手で拾う。

穴が開いている栗は当然NGだ。虫に食われてしまっている。

Mさんの栗畑は農薬を使っていないため、虫が入る可能性が高い。栗拾いをしていると、虫が穴に入ろうとしている姿を見かけることもあった。だが、その分、天然ものの栗が味わえるのだ。

高萩さんにやり方を教わると、二人で黙々と栗拾いをした。いつもの農作業だと、互いの近況を話すなどしたものだが、今回の栗拾いはほぼ無言であった。採られていない栗を探し、足で剥き、手で拾いあげ、中身の状態を確認すると持ってきたバケツに入れる。単純な作業なのだが、なかなか面白い作業でもあり、言葉を交わすことを忘れて夢中になって栗を拾った。

栗拾いをする高萩さん

栗を拾いながら、姉を思い出した。

私には5歳年上の姉がいるのだが、その姉は小学生時代の私の友人に「くりこ」というあだ名を付けられて、からかわれていた。理由は、友人が家に遊びに来た時に、姉が栗を剥いて私たちに提供しくれたから。

お菓子に栗を出しただけで「くりこ」呼ばわりされることになってしまったのだ。恩を仇で返すとはまさにこのこと。姉も好意が悪意になって返ってくるとは夢にも思わなかったであろう。一緒になって姉をからかっていた私も当然同罪である。

姉ちゃん、あの時はごめんよ。

と栗拾いをしながら姉に謝罪をした。

双子の栗

そんな折、「痛っ!」と毬栗のトゲが指に刺さった。

栗拾いには厚い革の手袋をして挑んだのだが、毬栗を強引に手で剥こうとした時に堅いトゲが手袋を貫通して指に突き刺さったのだ。

次いで、小学生時代に悪友に毬栗を投げつけられたことを思いだした。それが私の服の上から肌に突き刺さり、ものすごく痛かったのを憶えている。

ひと通りの栗を拾うと「少し休憩」と言って腰を下ろして宙を眺めた。辺りにはたくさんのトンボが飛んでいた。
私が子どもの頃は、家の近所にもこのようにトンボがたくさん飛んでいて、木の枝などに止まったトンボの目先に棒をくるくる回して、トンボの目を回して捕獲する、なんて遊びをやったことを思い出した。

城里町のMさん宅で採れた柿

そうこうしているうちに、栗拾いを終えた。栗畑には柿の木も生えていたので、柿もいくつか頂戴した(その分のお金は後で支払いました)。

木になった柿の実をもぎ取り、服で軽く拭いてそのままガブリとやった。渋味と甘味がほどよく混在していて美味だった。

そういえば、以前は家の庭にも柿の木が……このように、栗を拾っていたら昔の記憶がいろいろと蘇ってきた。

栗拾いという行為に、そしてその行為ができる環境に、記憶の扉が刺激されて開封したのだろう。栗拾いにノスタルジーを抱くということは、それだけ今の私の暮らしが、栗拾いとはかけ離れたものになってしまったといえる。

だが、ここで思い出した「昔の暮らし」は、城里町では「今の暮らし」として残っている。このような自然とともに生きる暮らし方は、実は私たちが歩むべき「本来の暮らし」なのではないか。これこそが、未来につなぐべき暮らし方ではなかろうか。それに比べて、今の私の暮らしは……と考えると胸がチクチクと痛んだ。

どうやら私の心にも、栗のトゲが刺さってしまったようだ。

 

最近の高萩さん

アスパラガス

今年はハウス1棟を植え替えをしました。新しい品種を変えました。まだ小さいので、収穫は来年の秋ごろになるかと思います。アスパラに関しては地道にやってまた収量を増やしていければと思っています。他のハウスに関しても、株が古くなってきて収穫量が減ってきているので、来年植え替える、もしくは違う作物に転作する予定です。

アスパラは木が弱ってきたら植え替えるか転作するしかないですね。作っていても収量が採れなくて割に合わなくなります。アスパラの木は、10年「は」持つと言われていますが、うちは10年しか持ちませんでした。

悪天候でハウスのビニールが剥がされて、雨が直接当たってしまったことがあったのですが、それが引き金になりました。それから収量が全然採れなくなってしまって。それがなければ、あと10年くらい育てることができたと思うのですが。

アスパラガスは雨に弱いんです。だからアスパラの栽培は普通、雨除け(ハウス)栽培しています。露地で作っているのは長野県とか北海道とか一部の地域だけなんです。

レンコン

今年は雨が降らな過ぎて溜め池の水が枯れてしまったんですよ。レンコンの田んぼにも水がひけなくなってしまって、だから今年は出来が悪いですね。ポンプで水をくみ上げることもしましたが、今はガソリン代も高くて採算が取れないので今年は諦めました。

大体12月くらいには出荷していますので、そろそろカラ狩りをする予定です。いつもはカラ狩りをしていませんでしたが、息子が通っている幼稚園のサークルでレンコンのカラから繊維を取り出してそれを使いたいと言っているので、その人たちにレンコンのカラ狩りもしてもらうことにしました。レンコンの繊維で服を作るみたいです(笑)。

マコモダケ

去年は干ばつの年で全然採れなかったです。今年は6月にたくさん雨が降ったので去年よりは採れています。
葉っぱは大きいのですが、例年よりも小ぶりな印象はありますね。何の影響かは判明していないのですが。

他の野菜

今年はキュウリを学校給食用に作り始めました。夏を越すのが難しいです。まだ、栽培に苦労していますね。需要がある作物なので、うまく作れたらいいなぁと試行錯誤しているところです。

学校給食

学校給食は新しい販路というか、つながりとして今年からできました。城里町の町長に学校給食で有機野菜で使ってくれないか、と提案してみたところそれが採用されたんです。

私ともう一人の城里の生産者で、二人の仮想・生産者グループを作って給食に有機野菜を供給することになりました。いずれは全部有機野菜で出したなぁと思っているんですけど。新しい目標ができましたね。

やさいの駅

引き続き休業中ですが、やさいの駅があった平賀石材店のスペースをコミュニティスペースにする予定があります。そこでイベントをやる時に、その時だけやさいの駅を復活させようかなと思っています。

援農

夏の猛暑の影響でおやすみ中ですが、最近涼しくなってきたので援農の活動も再スタートさせようかと思っています。今年の夏はとにかく暑かったので、それを乗り越えるので精一杯でしたね。そういえば、ワークマンで空調服買いました。これのおかげで何とか乗り切れました。

夏場の農作業

午前中でも熱中症の危険がある暑さだったので、夏場は17時から仕事を始めていました。それで19時とか19時半まで仕事をして、朝は5時とか6時に仕事をして8時9時に終わりにして出荷に行って。あとは子どもを幼稚園まで送迎に行って、子どもが幼稚園から帰ってきたら、エアコンの効いた家の中で子どもと一緒にひたすら昼寝してました。

今年の夏の暑さは本当にしつこかったです。彼岸頃まで暑かったですからね。

最近の日本は亜熱帯になってしまったんじゃないかと言われるくらい、気候が変わってしまいましたよね。春と秋が短くて、気温の変化が極端になってしまいました。

今、栗とかサツマイモとか旬の野菜ができてきて、それを楽しんでいるところです。秋は食べ物がおいしくなる季節で、農家やっていてよかったな、と思える季節です。それを毎年実感しています。秋が農家が一番報われる季節ですね。

城里町の高萩さん 過去の記事はこちら

アイリスオーヤマの空調服