やさとの新緑を眺めながら、蕎麦をすする(手打蕎麦 まいえ)
先日、仕事で植林イベントの事務局を任され、そこで素敵なおばさまと行動をともにした。植林はやさとの山で行ったので、おばさまを乗せてやさとへと向かっていた時のことだった。
目的地に近づくにつれ、景色が鮮やかなキミドリでいっぱいになっていく。春である、新緑の季節である。このような自然に囲まれて仕事をするのはさぞ良かろう、などと素人ながらに思ってしまうが、以前に農業をやっていた時、最初の頃は同じようなことを思ったが、後にそれはなくなっていったのを思い出す。
「新緑がきれいですね」
私がおばさまに話しかける。
「そういえば」と、春の初め頃に鶏足山に行った時のことをおばさまに話した。城里の里山の木々に新しい芽や葉が付き始め、山が白っぽく染まり、まるで白く燃えているようで、とてもとてもきれいだったこと。
「あら、それはそれはよかったわねぇ!」
おばさまは言う。
そして、突然ぽつりと「春はあけぼの」と言った。
「え?」
日本三大随筆の一つ、清少納言の枕草子の一節が、突然おばさまの口から飛び出てきて、驚いた。
「いや、春はあけぼのってそういう意味もあるのかなぁって。新緑で山が白くなって美しかったんでしょ? あけぼのって感じがするじゃない? うふふふ」
おばさまは上品に笑った。
あれ、そういえば「春はあけぼの」ってどういう意味だっけ。
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて……
そこまでは思い浮かんだが(ギリギリ)、その意味までは思い出せなかったので、「あー、なるほどー」と適当な相槌を打ってその場を濁した。でも、言われてみると、確かにそうかもしれない.春、白くなりゆく山、明かり……私が城里で見た白く燃える山のイメージにぴったりではある。なんておばさまの言葉を信じてしまう。「春はあけぼの」の真相については有耶無耶にしたまま、私たちは新緑萌ゆる山に入り、植林をした。
人生初めて(たぶん)の植林体験だったが、畑に野菜の苗を植えるのとあまり変わらないな、と思った(事務局だったけれどやらせてもらった)。
植林を終えて、現地で解散となるが、私はおばさまを牛久まで送り届けねばならない。送りながら、車中でおばさまと話をした。
「私はね、自分より年上の人は、誰だって尊敬することにしているの」
おばさまが言う。
「だって、その方が人間関係がラクなんだもの」
まあ、たしかに。とりあえず尊敬して、謙虚な対応をしていれば、面倒はないな。ということは、私もおばさまを尊敬せねばならない(今まで尊敬していなかった訳ではない)。ひょっとしたら、私のおばさまへの対応に尊敬の念がまったく感じられないから、おばさまはそのようなことを言ったのだろうか、なんて考えてしまう。
考えたら、腹が減った。せっかくやさとまで来たのだから、蕎麦屋のひとつくらい仕事中に寄ってもよいではないか、と仕事中だが蕎麦が無性に食べたくなる。おばさまにそのことを言うと「いきましょ、いきましょ」とノリノリである。
「でも私、1,000円くらいしか持ってないわ」
「あ、俺も2,000円くらいしかないです」
「まぁ、何とかなるわよ。うふふふ」
またしても、おばさまは上品に笑った。
向かった蕎麦屋は「手打蕎麦 まいえ」だった。
「まいえ」は小高い丘に建っている蕎麦屋で、叫び声を上げながらアクセルを踏まねばならないくらいの斜度がある坂の上にある。閉店時間間際であったが、おかみさんは快く私たちを受け入れてくれた。
靴を脱いで座敷に上がり、テーブルに着く。お店というよりは、家のような感じでとても落ち着く。
お品書きを見ると、天もり、もりそば、ちまきくらいしかないから、迷う必要がない。値段も私たちの総資金にぴったり合わせたような金額だった。おばさまは温かい天ぷらそばを、私は天もりを頼んだ。
蕎麦を待つ間、外の景色を眺めながら、出てきたそば茶を飲みながら、またおばさまと話をした。
亡くなったご主人のこと、お子様のこと。お子様は二人とも芸術の道に進み、それで生計を立てているというのだからすごい。
おばさまの話を聞いていたら、蕎麦がやってきた。天ぷらは、茄子、パプリカ、タケノコ、それに山菜っぽいのが少し(何だかわからない)。パリッとした衣で、私好みの揚げ方であった。
続いて、蕎麦をつるつるとすする。麺は少し白っぽい。味が甘味があってうまい。
天もりには蕎麦豆腐というのも付いていて、これは初めて食べるものだった。食べてみると、蕎麦がきに似た食感なんだけれど、またちょっと違いがあってこれまたおいしかった。
食べ終わって、外へ出る。駐車場からは、キミドリに染まった近辺の小さな山が見えて、その先に筑波山の双耳峰のシルエットが見えた。
(春はあけぼのか)心の中でそうつぶやいて、車に乗り込んだ。
おばさまと別れてから、「春はあけぼの」について調べてみた。
春はほのぼのと夜が明けはじめるころが良い。だんだんと白んでいく山際が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいている様子が良い。
とあった。「あけぼの」は夜明けのことであり、新緑のことなど書かれていない。
書かれてはいないが、むしろおばさまの解釈の方が素敵ではないか、と思い、うふふふ、とおばさまのように上品に笑ってしまった。