ヒタチエの、UFOキャッチャーで盛り上がる40代夫婦
令和6年の暮れの日曜に、妻と二人で散歩に行くことにした。
「田舎過ぎず、都会過ぎない町がいい」という妻の要望に応えるために、どの町がいいか思案する。「町」というから山はダメだ。川や海といった場所も同様だ。「都会過ぎない」というから東京都内はもちろんダメだ。水戸市内ならばちょうどよいと思って提案したが、どうやらそれもダメらしい。水戸が都会に当てはまるかどうかは、個人の判断によるものだから、頭ごなしに否定はできない。その判断を尊重すべきだ。
「田舎過ぎない」というからちょっとした店が建ち並ぶ場所がよいのだろう。ならば、日立がいい。そう思って日立散歩を提案したところ、承認が得られた。
2023年4月、日立駅前のイトーヨーカドーがあったビルに「ヒタチエ」という名の商業施設が誕生した。東京・渋谷の「ヒカリエ」にちなんだネーミングであろうその施設に、私は足を運んだことがなかった。
フードコートでは妻の好きな牛タンが食べられる。日立駅周辺は「田舎過ぎず、都会過ぎない町」という妻の散歩の要望に合っている。私が好きな「無印良品」もテナントに入っているし、書店「丸善」もある。日立散歩の核に相応しい存在だ。
スポンサーリンクヒタチエの駐車場に車を停めるが、これが昔ながらの立体駐車場で少々古さを感じさせた。日立市が10億円も出して買い取った場所らしいが、駐車場までは手が回らなかったようだ。イトーヨーカドーは30年以上その場所で営業を続けていただけあって、駐車場はその歴史をその姿で表しているかのようだった。
まずはヒタチエ内を歩いてみようと提案するが「見たいお店がない」とバッサリ切り捨てられた。悲しいかな、ヒタチエ。でも、落ち込むことはない。妻の見たいお店はなくても、私の見たいお店はたくさんあるのだから。
そんな訳だから、ヒタチエから外へ出て周辺を散歩することに。駐車場から外へ出た途端、寒々とした風が私たちを吹き付け、雨だか雪だかのようなものが空からポツポツと落ちてきた。
「寒い」と妻が嘆く。異論はない。確かに寒い。けれど、歩かねば散歩じゃないし、じっとしていた方がもっと寒い。私たちは適当に歩を進めるが、妻は「あー寒い、あー寒い」としか言わない。この寒さでは妻が持たない。無理に散歩に連れ出して、風邪でもひかれたら後が怖い。「じゃあ、戻るか」と5分ほど散歩を切り上げて、日立の街を歩いてヒタチエの中に逃げ込んだ。
ヒタチエの1階には大型の無印良品があって、地下にはいばらきコープがあった。私は無印もコープも見たかったが、妻はそうでもないらしく、素通りして2階に行った。2階にはフードコードがあった。まだ空腹ではなかったので、目当ての牛タン丼の看板を確認するだけにして、フロア内の他の店舗を散策することにした。
2階のOgawa grand lodgeでテントを物色。テントは欲しいが、家族がテント泊を望んでいないという事実がある。
「キャンピングカーだったら泊まってもいいな」
妻よ、テントの値段を見て「高い」と驚く私に、その30倍はするであろうキャンピングカーを要望するとは。でも確かに、キャンピングカーは欲しい。金があるなら買いたいが、金がないので誰か譲ってくれないか。
3階に行く際のエスカレーター付近に「gasha coco 5F」と描かれた看板を見つける。名前からしてがガシャガシャの店だ。妻はガシャガシャが好きな人で、ディズニーのガシャがあると金に糸目をつけずに回す。ガシャガシャでもして時間をつぶすことにしよう。私たちは5階へと向かう。
途中の4階で丸善の姿を確認する。寄りたい、が今はその時じゃない。ただでさえ本の購入を取り締まられている現状、いそいそと本屋に乗り込んでも「また買うの? 捨ててからにしなさい」と言われるに決まっている。本屋に行きたい衝動を抑えながら、エスカレーターで運ばれる。
5階に着くと、ゲームセンターが目に入る。UFOキャッチャーがある。息子の好きなキャラクターのぬいぐるみが景品にあったので、やってみる。
私は、この手のものは「やらせ」だと思っている。例え、機械の手がぬいぐるみをがっちりと掴んだとしても、不自然な動きをしてぬいぐるみを落とす。その動作から、決まった回数に達しないと、取れない仕組みになっていると予測できる。
事実、私は一回目にして見事そのぬいぐるみをがっしりと掴んだ。されど、機械の手は不自然な「ゆるさ」を見せて、ぬいぐるみをぽとりと落としやがった。まったく解せない。このようなものに金をつぎ込むなんて、なんとバカバカしいことかと思いつつ、両替をしに行く私。
「やってみな」と妻に100円を渡す。「えー、取れないよー」と妻は可愛らしく言いつつも、動かした機械の手は見事にぬいぐるみを摘まみ上げた。どうせまた落ちるのだろう、と思いきや、機械の手はぬいぐるみを落とすことなくするするっとゴールの穴まで移動して、そこでパッと手をゆるめてぬいぐるみを落とした。
信じられない!
妻はそんな表情で私の顔を見た。おそらく私もそんな表情をしていたであろう。
「きゃー」
「おー」
私たちはその場で飛び跳ねた。そして、ハイタッチを交わした。ここで断っておくが、私たち夫婦は同年齢で今年(2024年)で45歳になっている。年甲斐もなく、なんて言葉が似つかわしいのは紛れもないので、これ以上は言及しないでおく。
妻はその喜びから目をらんらんと輝かせていた。結婚してから、いや出会ってからこの方、妻が一番喜んだ瞬間を目の当たりにした。この事実に、私は喜んでいいものやらわからずに、少々当惑したが、まぁ喜んでいるのならばいいのだろう、という気持ちで一緒になって喜んだ。
しかし、である。このぬいぐるみを取るのに要した金額はわずか300円である。購入したら2,000円は下らないであろうクオリティのぬいぐるみだ。それをわずか300円とは。
これは、イケる。実は、UFOキャッチャーってお得かもしれない、と馬鹿な私はそのまま他のUFOキャッチャーやらガシャガシャやらに金を投資する。
当然、世の中そんなに甘くないわけで、1,000円をあっという間に溶かす。いくら機械の手にぬいぐるみをがっちり掴ませるように、絶妙な操作をしたところで、手はぽろりとぬいぐるみを不自然に落としやがる。
思い出せ、これは確率だ。パチンコやくじ引きのようなもの。ならば、回数を重ねて「当たり」が出る確率を上げればいい。とさらに両替をしにいく。
「まだやるの?」と訝しむ妻。
「最後だ、これが最後」と私。
我ながら、ギャンブルで失敗する性格だな、と思った。
掴んでは落とし、掴んでは落とすを繰り返す。そんなことは気にせずに、矢継ぎ早に100円を投入していく。これでも私はいい歳をした大人なので、1,000円や2,000円なんて痛くも痒くもない。だが、その1,000円や2,000円を節約したり稼いだりするために、日々の暮らしに気を配り、バイトやら投資やらをしているのだが。
ただ「当たり」を引くまで金をつぎ込むのも馬鹿らしいのでちょっと工夫をしてみる。ぬいぐるみに付いている紐やタグに機械の爪をひっかけて取ろうとする。しかし、これはさらに難易度が高く、あっさりと諦める。
そうして、何回かそれを繰り返していくうちに、機械の手が掴んだぬいぐるみを明らかに、故意に(機械に意志はないだろうが)、持ち上げたその場で落とす瞬間を私は目にしてしまった。わかっていたとはいえ、これは残念な事実だ。40オーバーのおっさんの夢を奪う事実だ。
腹いせに、目撃者を一人増やそう。妻よ、よく見ていろ、UFOキャッチャーの真実を。すると、今度はぬいぐるみを持ち上げたまま離さずに、ゴールの穴まで運んでいく。
「おお」
「獲れた」
と顔を見合わせる二人。
何と喜ばしいことか。家で待つ子どもたちに、思いがけない土産ができた。妻もご満悦の様子。その様子を見て、今ならばイケると思った私は「ちょっとだけ本屋へ寄ろう」と丸善に行き、欲しかった松永K三蔵さんの「カメオ」を買った。
「この本の作者はね、水戸で生まれたんだよ。カメオというのは犬の名前でね……」
とその本を買って読むことの意味の大きさを妻に説明する。「どうでもいい」とつれない返事をする妻だが、私にとってみれば本を買ってしまえばこっちのものだ。
最後にフードコートに戻り、ランチにする。目当ての牛タン丼は品切れであったが、デザートにクレープをご馳走してやった。これで腹が膨れ、妻も満足することだろう。
冬の寒空から差し込む太陽のヒカリのように、「ヒカリエ」散歩は私たち家族の心を温かくしてくれた。